夢くらいちゃんと見させてくれよ
二人の常軌を逸した戦いでいくつかの建物が崩壊したが、シックスから喧嘩を売ったようなものなので、教会のお布施から引いておくと苦笑いだった。
「ん、ああ……」
壁に激突していたワンをシックスが起こすと、ボロボロなカイムを見て、今こそイレギュラーを排除すると剣を手にした。さて、どうしたものかと、消耗した体で戦えるか考えていると、間にシックスが割って入った。
「教王としての命令で、この男をこの場で斬ることを禁ずる」
先ほどまでの、どちらかといえば接しやすかった態度から一変。反論しようとするワンを一睨みする。
「水晶の教会以外のナンバーズですよ! 間違いなく、この先邪魔な存在になります!」
「だから、傷ついて弱っているところを一方的に殺すのか? それは間違いだな」
しかし、と尚もカイムを殺すための一言を欲するワンへ、シックスはもう一度睨み付けると、教王に逆らうのかとすごんだ。
「……失礼、しました」
分かればいい。シックスはもう一本煙草を咥えて火をつけると、こちらを見てきた。
「お前たちは、これからどこに行くんだ?」
スノウから赤いロングコートを受け取って羽織ると、スリィのところへ行くと、拳を交わらせたから素直に教えてやった。
「そのスリィで思い出したが、なんでワンにアインヘルムを襲わせた? ニオを狙って、ついでに赤目のドワーフたちをつれて」
その問いに、シックスは煙草を咥えたまま腕を組んでいる。思い当たる節がないようだ。
「なにがあったんだ」
「お前の部下のワンが、ハイエルフの里アインヘルムを襲ったんだよ。赤目のドワーフを連れてな。教王なら、何か知っているんじゃないか」
嘘をつくような性格ではないと、ついさっきわかっているので真実を待つと、唸りながら、わからないと両手を振った。
「ワン、アインヘルムは長年ドワーフとエルフの確執を埋めるために尽力してくれた場所だ。族長ニオ・フィクナーは俺の二倍以上は生きている。エルフを従えても、アインヘルムだけは残そうと決めていたほどに重要な場所だ」
「この男が嘘をついているとは思われないのですか?」
「こいつはそんな男じゃない。それに、人間と悪魔がハイエルフの里が襲われたなどと嘘をついて何になる」
ワンは言葉を探しているようで、目を閉じると、ナンバーズになったから、どれだけやれるのかを試してみたいと答えた。
「動機が俺と同じだな」
からかってやると、明確な敵意を向けられたが、すぐ前へ向き直り、勝手な行動がどうとかと謝っていた。一方こちらは、スノウがカイムの体中を見回している。
「カイム、痣だらけだよ?」
「あの巨体と殴り合ったんだ。当然だろ」
「でも、治さなきゃ……」
その心配はない。だんだんとサタナキアの血が赤い光を発し、体中の傷を癒し始めた。全力を出したからか、傷の回復が始まるまで遅かったが。
しかし、おかげで最強を自負するシックスと相打ちになった。剣と斧での戦いとなればどうなるか。腰に縛り付けたマックダフの剣を抜いて、あの豪腕から繰り出される大斧の一撃を想像してみると、こればかりはどうなるか見当もつかなかった。
そんな相手のシックスがこちらへ来て、部下のせいで負傷者も出たからと頭を下げた。地の続く限り広がる水晶の教会の教王が頭を下げるなど、天と地がひっくりかえった様なものだ。ドワーフたちはどよめいている。シックスは知らんぷりだが。
「しかし、それだけの傷でスリィの住むアラムの森へ行くのはやめておいた方がいい。それに、どういうわけかワンはお前のことを強く敵対視している。その子のためにも、自分の身のためにも、俺たちがエレナへと旅立ってから出発としたほうがいいぞ」
「忠告には感謝する。俺も寒空の下、回復しきれない傷を抱えたまま歩くのは嫌だからな」
サタナキアの力でも限界はあり、特に馬乗りになられ何度も殴られた顔面は痣だらけだろう。
だが、あまり長居はできない。ニベルでの大勝がまだ残っているが、限度がある。それをそのまま伝えると、教王の権限で教会の一室を使えるようにすると、手を差し伸べられながら言われた。
「その手はなんだ」
「握手だよ。ライバルで悪魔とはいえ、拳を交えれば友だ」
その証だよと、九百歳のハーフドワーフは差し出したままだ。
「柄じゃねぇってのに」
仕方なく握手に応じれば、スリィによろしく伝えてくれと言い残して、ワンとドワーフの騎士たちを連れていく。
「さて、これでようやく一杯飲めるな」
運命のいたずらか、少なくとも一日はサンストに残ることとなった。夜の酒場が待ち遠しいと歩を進めようとすれば、急に意識がぼやけてきた。
「旦那!」
「カイム!」
いつの間にか近くにいたマックダフとスノウの声を聞きながら、カイムはその場に倒れた。力を使い過ぎたのだと理解するころには、意識を手放していた。
誰かの声がする。いつか聴いた――そう、これは歌声だ。みんなが幸せに暮らしていた場所で、かつて聴いたラッパの、かろやかなリズムに乗せて歌った、あの歌が――
「……夢かよ」
真っ暗な部屋のベッドで見ていた夢は、失ってしまった大切なものたちの残骸だ。一方的な暴力とちんけな正義感のせいで失った、野良犬ではなくなった頃の記憶。もう過去のことだと何度も割り切ろうとしてきた。失ったものは、もう戻らないのだと諦めようとしていた。二十四のいい大人が、家族も恋人も得ずに、虚空だけしかその手に掴めていないのも終わりにしようとした。
「あ……」
そうしてまた、手を伸ばしていた。暗いどこかの天井しかないというのに、虚空を掴んでいた。
「いい加減、やめねぇとな」
視線を動かせば、服装は、シックスと戦った後から変わっていないようだ。枕の横には畳まれた赤いロングコートがあり、伸ばしていなかった右手には、小さな温もりを感じていた。
「スノウ」
寝たままその顔を見れば、眠りながら泣いていたのか、泣きながら寝たのか、閉じられた瞼から涙がしたたり落ちている。限界を知らずに戦った代償として倒れたカイムと、おそらくずっと一緒にいたのであろうスノウは、寒いというのになにも羽織っていない。
「頑固な奴だ」
手のひらを起きないように離して、ベッドから立ち上がり、赤いロングコートをかけてやる。起き上がってみてわかったが、どうやらここは教会の部屋らしい。水晶を模した絵画が飾られており、質素ながら装飾も施されている。
部屋の隅には荷物一式も置いてあり、誰かが――マックダフあたりが運ぶのを手伝ってくれたのだろう。体をおもいっきり伸ばしてから鞄をあさり、キセルと刻みタバコを取り出す。そのまま月明かりが照らしている窓を開けて、その淵に座ると、冷気が密閉されていた部屋に流れ込んできて、体が一気に冷える。サタナキアの血のおかげで風邪にはならないが、今はそんなことよりも目を覚ましたかった。今見ていた夢を、現実にするために。夢で見なくなるように。この目で見られるようになるために。
「ふぅ……」
吐き出した煙は、月へと向かってユラユラと登っていく。シックスと全力で戦ってみてわかったが、あの月をこの手で掴むほどの気概が、夢の成就には必要だ。
「アラムの森、だったか」
シックスがスリィのいる森をさしてそう呼んだ。ニオにもっと詳しく聞いておけば、今頃はたどり着けていただろうか。いや、たどり着いていなくてよかった。自分の全力がどれほどで、どれだけその状態を維持できるのかを知ることができたのだから。
「もう、夜明けだ」
どうやら、夜明け前の一番暗い時間に目を覚ましていたらしい。キセルの灰を窓の淵で叩いて落とすと、もう一度ベッドに横になろうかとも考えたが、やめた。
「俺は固い床で寝るのが慣れているからな」
などと、不器用だと自負しているスノウへの優しさから、そっと体を持ち上げてやると、まだカイムの温もりが残るベッドに寝かせてやった。その体はとても軽く、抱き上げてみて知ることができたが、ずいぶん骨ばっている。
「……俺は、飯のない生活にも慣れているからな」
だから朝が来て旅の準備ができたら、ラム肉でも買ってやろう。しばらくは小さな村が点々としている地域を進むのだから。食べられるときに、食べさせてあげたい。自分で考えてなんだが、まるでやっていることが、定職を持たず流浪の旅につきあわせている父親のようだ。そんな父親は御免だが、悪魔よりかはマシかもしれない。
「馬鹿な妄想は夢の中だけにするか」
子供の頃は野良犬の様に地べたに寝ころんで眠っていたので、こんな雨風しのげる部屋の床なら問題はない。いつしか瞼は重くなり、もうすぐ来る夜明けの日差しを前に、もう一眠りした。
「大丈夫、なんだよね」
「もう何度目だ」
どうやら、あの場で倒れてから半日眠っていたようだ。目が覚めてから、ボケッとしていたスノウに床からおはようと呼びかければ、体に悪いだとか、ゆっくり眠れないだとかうるさかったが、万全に回復した。それを信じ込ませるために飛び上がって、空中で一回転などやっていたら、丁度様子を見に来たシスターに元気ですね、などと笑われた。
そうして体に問題がないとわかってもらったので、今は旅に出る前の確認をしている。その中で何度も体について心配されて、ラム肉の串焼きを一本買ってやったら、やっぱり病気か怪我のせいでおかしくなっているとさえ言われた。
「それじゃ、カイムさんとスノウちゃん。お元気で」
「わざわざ見送りにくるとはな」
「そりゃそうだ! 俺の剣が活躍する冒険譚の始まりだからな!」
ドワーフの国に来て、出ていく頃にようやくドワーフらしい大らかな笑い顔を見ることができた。冒険譚になるかは微妙なところだが、そこは触れないでおこう。
「では、仕事もあるので帰るとしますか! エレナでの宣伝、期待してますからね!」
忘れかけていた約束を、相槌をうつ頃には思い出せたので、覚えておくとだけ口にした。
「忘れ物はないよな。ここから森まではあまり遠くはねぇが、国がなくなる」
「大丈夫、かな。カイムへのプレゼントも買ったから」
「プレゼント?」
「うん、怪我をした人が元気になったら、渡すといいって神父さんに言われたから」
はい、と差し出された手のひらに乗っていたのは、ちょこんと小さな布の袋だった。
「あけていいのか?」
「それは、もったいないかも」
もったいない? と聞き返せば、中身は高級な刻みタバコだという。いつの間に買っていたのか知らないが、いくらしたのだろうか。聞くのは野暮な気がしたので鞄にしまうと、礼だけはすませた。
「準備はいいな、行くぞ」
検問を通り抜けていく先は、スリィの住むアラムの森。徒歩で行くと三日ほどらしいので、補充した食料だとかはもつだろう。しかし、その先での補給まではわからない。念のために多く買っておいたが、どこまでもつか。
「馬の乗り方がわかればな」
などと、無意味なことを口走ってから、日がてっぺんに登る手前にサンストを後にした。




