遅刻しても責任転嫁するので私は悪くありません。
私には特殊能力があった。
相手に責任を転嫁するという能力だ。
だから私は……叱られたことがない。
責任。責任。責任。責任。
周りの大人たちはそういうことばっかり言っている。
私は朝食を食べながらテレビをつけた。
そこにはカメラのフラッシュを焚かれながらも、深々と頭を下げている大人の姿があった。
ナレーションの声が事件の概要を説明していく。
「岡山県の警察学校では、訓練用ナイフではなく、刃渡り○センチの刃物を使用していたことがわかりました。これについて、教官に当たっていた人物は、『訓練に緊張感を持って取り組ませるために用いた』と供述していますが、被害者となった学生は、全治一カ月以上の怪我を負い、警察学校を辞めています。しかし、岡山県警察はこの件を隠ぺいしようとしたため、被害者側が訴訟を起こし、慰謝料の請求に踏み切ったという流れです」
「なぜ隠ぺいしようと思ったんですか?」
記者の質問に対し、警察署長が答える。
「マスコミに公表する必然性を感じなかったからです」
「被害者に対して謝罪の言葉はないのですか?」
「訓練中の事故ですから仕方ありません」
「慰謝料の支払いについてはどのようにお考えでしょうか」
「一銭もお支払するつもりはありません」
「これからもこのような訓練を続けていくつもりでしょうか」
「その教官については、教育の方からは除名しましたので、今後は改善されていくと思います」
「免職もしくは自主退職の処置は講じなかったのでしょうか?」
「はい。これからも警察官として厳正に勤務させていきます」
続きまして、いじめ問題に関するニュースです。
責任。責任。責任。責任。
世間の大人はいろいろと大変だねえ。
同じ社会人であるにもかかわらず、私はそうのん気にこぼした。
「学校側はいじめの実態をどこまで把握していたのでしょうか。学校長による涙の謝罪会見です」
続きまして、闇営業の認識はあったのか。
それについて迫っていきたいと思います。
あの大物政治家に不倫疑惑?
間もなく、緊急記者会見が開かれます。
ネガティブなニュースは世間に受け入れられやすいが、ここまで謝罪会見ばかり続くと、視聴者も飽きてくるんじゃないか。そうワイドショーを見ながら食器を片付けていると、スマートフォンが鳴った。会社からだ。
「ねえ、とっくに出社の時刻は過ぎてるんだけど」
「はい。わかりました。すぐ行きまーす」
粘着質な先輩の長電話をさっさと切って、だらだら支度をして、ゆっくりと仕事場に向かう。
大丈夫。大丈夫。
そう私はテレビの中で頭を下げている人たちをあざ笑った。
私は謝罪なんかしない。だって特殊能力があるから。
触れただけで、その対象に責任を転嫁する能力。
「おはようございまーす。みんなの笑い者、遅刻常習犯でーす」
そう会議室のドアを開けると冷ややかな視線を一気に浴びた。
うん、この感じ。サイッコーに気持ちがいい。
あふれる笑顔が止まらないよ。明日も遅刻しよう。
そう心に決めていると、先輩の女性社員がハイヒールを鳴らして近付いてきた。
「ねえあなた。これで何回目?」
「知りませんよ。だって私が遅刻するのは」
そう左手を思いっきりスイングして相手の背中を叩く。
「先輩のせいなんですから。反省してくださいよ!」
先輩は前髪を揺らしてつんのめったが、高いかかとを器用に操作して体勢を立て直すと、
「ええそうね。今回は私のせいだわ。あなたのせいにしてごめんなさい」
そうだぞ。しっかりしろ。
会議室からも先輩に対してブーイングが起こった。
私はいっさい悪くない。だから反省しない。
そのときも、いつも通りに会社に遅刻していた。
私は履き慣れないパンプスをいまいましく思いながら、短い距離を移動する。
社宅から会社へは歩いていける距離だが、こうも暑い日が続くと外に出るのがおっくうになる。
だからといって出社しないわけにもいかない。
日をまたいだ責任転嫁はできないからだ。
この特殊能力には、「何時間以内のみ有効」みたいな制約があるのだ。
私は通勤通学の時間は避けているため、現在は人通りが少ないどころか、人影すら見かけなかった。直射日光にさらされながら信号を待っていると、今日も日焼け対策を万全にしてきてよかったなーと心から思う。それにしても暑い。暑すぎる。まるで地球がインフルエンザにでも罹患してしまったかのようだ。
流れる汗が目に入る前に顔をぬぐうと、
「それじゃあ元気に遅刻してこよっかなー」
信号が青になり、私はそう足を踏み出した。
瞬間、何か固いものが右半身に衝突して、ぐしゃり、と骨格がつぶれる音が内から響いて、身体が浮遊感に包まれて、すぐに熱したフライパンみたいな路面に叩きつけられて、骨折と打撲と擦過傷に耐えながら、「痛ーい!」と大声で叫ぶと口の中に血の味が広がっていた。
「なにすんのよ。え、交通事故? これはジュウゼロであんたの責任だからね」
そう下りてきたドライバーに告げると、彼女は、いや先輩は、こう言った。
「あんた、自分の人生に責任持てるの?」
「え、なんですか。急に。それよりも救急車……」
とんでもない衝撃に、意識を保つことすら精一杯な私だったが、それでもまだ思考能力は生きていた。
「ちっちゃな責任からも、逃げて逃げて逃げて逃げて。あんた死ぬときにきっとこう思うよ。なんで私の人生はこんなに空虚なの? だれか責任持ってよ! 無理だよ。自分の人生に責任が持てるのは自分だけなんだって。もう他人のせいにするのはやめよう」
「なんなんですか、急に!」
私はだんだんと怒りが込み上げてきた。
本当の本当に、今回に限っては、私は悪くないはずだ。
「あなたに触られると、なんだか私が悪いみたいに錯覚しちゃって、それに周りもはやし立てるものだから、私に責任があるんだなって思って、今まで見過ごしてきたけど、もう限界だよ。ねえ、これで遅刻は何度目? 無断欠勤は何回やった? 納期は守らないし、定時になると勝手にひとりで帰るし」
「定時に帰るのは普通なんじゃ……」
「普通じゃない。日本の中小企業にはサービス残業っていうクソみたいなサービス精神があるの。働き方改革で残業がなくなったのは大企業だけ。今まではそれすらもやってこなかったから、そんな当たり前のこともわからないのね。欧米諸国に比べて日本は労働時間が短い? それは数字だけ見てるバカが言ってることなの!」
そう説得するクレイジーな先輩に私はこう思った。
軽自動車で人身事故を起こして、人に説教垂れ流してるんじゃねーよ。
全部お前のせいだよ。早く救急車を呼べ!
お前は。
そう腕を動かそうとして、私は上半身の神経系が麻痺していることに気が付いた。え、これじゃあもう責任転嫁できないじゃん。どうしてくれるのよ。全部あんたのせいじゃない。
「ねえ、もう他人のせいにするのはやめよう」
先輩は優しくそう言った。
「ゆるさない」
私はぼそりとつぶやいた。
責任転嫁する人が多いけど、むしろ責任をとった方が人として成長できるんじゃないかと思ったら、こんなサイコパスなアイデアが舞い降りてきました。