幼年期の終わり
「ただいまー」
ささやかな閉会式の後、私は一人、自宅に帰った。床を踏む音がはっきり聞こえるくらい静かだ。答える者はいないけど、家の中にあいつの気配が漂っている。
部屋の戸を開けると、正面に体育座りしている新沼の姿が目に入る。周りにはこけしが散乱していた。
「女子の部屋に勝手入るなんてサイテー」
軽蔑も露わに新沼を見下ろす。新沼はやっと聞き取れるような弱々しい声で応える。
「他に行くところがなかったんだ。もう出ていくよ」
「外、警察いる」
新沼は力なく腕を下ろした。私はこけしをよけて、スペースを作り、隣に座った。
新沼の携帯からペンギンの関連企業との取引記録が見つかり、警察が動いている。さっき学校で聞いた。
証拠となるドローンを落としておいたり、杜撰すぎると思っていた。むしろ発覚が遅すぎるくらいだろう。
「津軽三味線頼んだのあんた?」
「……そう」
新沼の脇に大きく膨らんだリュックが置いてある。これが昨日言ってた準備だったらしい。
「うちのおばあちゃん、優勝した。雅は準決勝進出。今は先生のうちで打ち上げやってる」
「雪さんは?」
「二回戦で負けた」
「弱いね」
傷を抉るにしても、もっと配慮する奴だと思ってた。余裕がないんだろうな。事実だから腹も立たない。
「雪さんは結果に満足した?」
「ううん、全然」
新沼が落胆のため息を漏らした。私のことしか考えていないなんて考えただけでぞっとする。
「嘘でもいいから満足したって言って欲しかったな」
新沼は膝に顔を埋めた。
「幸せっていうのは自分のことだけ考えても成立しないんだよ。あの場にあんたがいなかったから、私は満足してない」
新沼には共感力が足りない。私が喜んでも、新沼が喜ばない結果だったら意味がないじゃないか。
「僕ね、誰かを幸せにしておいでって言われたんだ」
「誰に?」
「キングペンギン」
この際、キングペンギンが誰なのかはどうでもいい。多分黒幕的な奴だ。
「入社試験みたいなものだったんだよ。誰でも良かったんだよね。君を利用しようとした。ごめんね、でも全部無駄だった」
ずるそうに笑う新沼の顔はいつにもまして憎たらしい。
ああ、よかった。この胸の痛みは軽くないけど、大したことはない。薄氷を踏み抜く覚悟さえあれば。
「私も嘘ついてた。両親は生きてる。ペンギンに殺されてなんかいない。あんたには無関係だよ」
「そう、なんだ。よかった」
隠しきれない温情が新沼の口から飛び出す。役者なのか。もうそんな必要なんかないのに。
「ペンギンとも無関係なんでしょ? 警察にちゃんと謝ってさ、許してもらえば」
「できない。僕はペンギンだから。やりたいことがあるんだ」
強情な奴。もう知らないんだから。私は部屋にあってかるたの札を一枚裏にして新沼の前に突き出した。
「これ、当ててみて」
「わかるわけないよ」
私は吹き出した。新沼は怒ったように眉を持ち上げる。
「これがわからない限り、あんたは誰も幸せにできない。次に会う時までに当ててみて」
新沼は感極まったように私の手を握りしめる。事実、涙をあふれさせていた。
「絶対だよ! 雪さん、絶対会えるよね」
「うん……、会うから。答え聞かして」
私も並々ならぬ量の涙で頬を濡らし、会おうねを繰り返していた。今生の別れかもしれないとお互いが理解していた。
一階からけたたましく戸を叩く音がして、二人で身を縮めた。
「……、私が引きつけておくから、庭から逃げて」
寒風が部屋を駆け抜ける。一筆書きのように隅々まで風が染み渡る。
窓が開いていて、新沼は消えていた。別れの言葉もなしに。
私はかるたを丁寧にそろえて箱にしまい、階段を降りた。
ペンギンはいずれ私の前に現れるだろう。この札の答えを知るために。
二
青森ねぶた祭りの歴史は古い。一説では坂上田村麻呂が蝦夷征伐のために太鼓などを用いて誘き寄せたという伝承がある。
八月の二日から七日の間、竹や木を骨組みにして紙を貼った武者や鬼の人形が街を練り歩く。
灯明に照らされた巨大な人形群は、ふいごで命を吹き込まれたように膨らんでいた。
沿道には日焼けした子供の姿が目立つ。親と手をつなぎ、首を目一杯伸ばして荒々しい人形を見送る姿に胸が熱くなった。
「いつかきっと」
新沼が物憂げに言った。
「大型のロボットがこれら人形の仕事を代替することになるんだ。さながら軍事パレードだね」
「そんなわけないでしょうが」
私は澄まし顔の新沼の頭をひっぱたく。一年経ってもこの男は全然変わらない。背は伸びたみたいだけど、中学生みたいな顔と中身だし、成長している感じはしない。
新沼が蒸発して一年が経っていた。その間、私は表向き何食わぬ顔で受験勉強し、国立大に入った。
ペンギンは中国と協力して、宇宙ステーションの建造を始めた。アメリカも後に続こうと各国に呼びかけたけど反応は芳しくない。EUでも次々離脱が起きて、ペンギンを支持する動きが強まっている。
日本では初のAI市長フライングゲットーが誕生したり、宇宙インフラのための工場が建設されたり、着々と植民地のような扱いが増えた。
「かるたの答え、わかった?」
新沼の顔が祭りの熱気に当てられたように、赤くなっている。
風のないむしむしする夜だ。私は団扇を振って涼に努めている。化粧が落ちたらつまらない。
「浴衣似合ってる」
「はぐらかしたから0点でーす。もう会わない」
新沼は、手を合わせてもう一度チャンスをくれるように懇願してきた。次はないと思え。
「何か変わったことあった?」
新沼が私のプライベートに嘴を入れてくる。うるさいから答えてやろう。
「雅が駆け落ちした」
「えー!?」
新沼は口では驚いていたけれど、意識は祭りの喧噪に向いている。驚くに値しない事実だったんだろう。私だってそうだ。
「村にいた自衛官とね、ある日ドロン。あんたが消えてまもなくだったね」
新沼を捜しに行ったのかもしれないと一瞬考えたけれど、雅がそれほど新沼に固執していた記憶がない。単なる尻軽だったんだ、奴は。きっと何年かしたら、子供の二、三匹連れて私たちの目の前に現れる予感がする。
「みなそれぞれの人生だからね。僕は宇宙を目指すよ」
さいですか。いいね、ロマンがあって。目を輝かしちゃって。危ない方向に向かわないか心配だ。毎年こうやって確認してやらないと。
私が新沼にクイズを出した札の答えは、
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
これは紫式部の歌で、久しぶりに見かけた友達とすれちがうという意味。
今のところこれが私の気持ちに近いけれど、来年はどうなっているかわからない。
私はこのままでいいと思ってるけど、ペンギンがそれを許してくれない可能性も十分ある。
誰しも運命からは逃れられない。崇徳院が不本意な戦に巻き込まれたように、人生がままならないのは何千年経っても変わらないんだ。
ペンギンの夏がやって来ませんように。雲に隠れる月に密かに願った。




