雪道
私は雪を好きになる事は出来ない。
粉雪が舞う季節。指先がかじかんで全身が雪に埋まってしまったかのような倦怠感の中、私は一人家路を辿る。
足取りは重く、ぬかるんでいる道のせいか歩く事すら覚束ない。
いや、本当は分かってる。
歩くのが辛いのは、雪のせいなんかじゃなくて、ただ……振られたからだって事。
「ごめーん!仁!待った!?」
「遅いぞー実花待ちくたびれたよ……で、説教はどうだったの?」
「うーん、ちゃんと宿題くらいやれってさ」
「お前さぁもうちょっと何とかならないわけ?宿題くらいすぐ終わるじゃん」
呆れたような幻滅したような顔を浮かべながら仁は言った。
「いやぁ……めんどくさくない?」
「めんどくせーけどやんの」
「えー……」
私と仁は所謂幼馴染というものにあたる関係で、昔から家が近所なのをいいことにしょっちゅう仁の家に通っては遊んでいた。
幼稚園、小学校、中学生と同じ所へ通い、果てには高校まで同じところになってしまった。
私としてはここまで一緒だと少し運命めいたものを感じてしまうのだが、当の仁は全くそんなことはおくびにも出さず昔から変わらない態度を取っていた。
そんな話をしているうちに夕焼けが少し眩しい時間になって来たので帰る事にした。
「あ、悪い。マフラー忘れたわ。すぐ戻る」
校舎の玄関で靴を履き替えながら仁は思い出したかのようにそう言って教室の方は走っていってしまった。
「マフラーってチェックのあれかぁ、仁の趣味なのかな……ちょっと可愛いかも……」
そう呟いて私はぼーっといつも愛用している白いマフラーに顔を埋めながら待つことにした。
五分くらい経った頃、同じクラスの女の子が仁が向かった教室の方から歩いて来た。
「西園さーん!」
女の子がこちらに気付き、ゆったりとした足取りで近づいて来た。
「実花ちゃんは……帰るところ?」
「そうだよー、仁待ってるんだけど見てない?」
「……仁君ならもうすぐ来ると思うよ」
「どうしたの?具合悪い?」
西園さんは先程から心なし頰が赤く落ち着かないような息遣いをしていた。
「えっ!?そんなことないよ……?いつも通りだと思うよ」
西園さんは心配された事に驚いたのか、少し慌てて答えた。
「もう冬だからねー、風邪には気をつけないとだめだよ?」
「うん……ありがとう……じゃあ私先に帰るね」
「またね!」
軽く会釈をすると西園さんは来た時と同じようにゆったりとした足取りで帰っていった。
西園さんはクラスの男子から人気のある方で、落ち着いた物腰、分け隔てない対応、派手過ぎず身の丈にあったおしゃれ。確かに私には無いものばかりで人気があるのも頷ける。
「……西園さん、可愛いなぁ」
そんな愚痴ともとれるような事を言ってるうちに仁が近づいて来た。
「悪いな、お待たせ」
先程よりも急いだからだろうか、仁は少し頰が赤くなっていた。
「遅いよー、仁も待たせてばっかじゃん」
「俺のはしょうがない、お前のはお前が悪いからだろ」
「なにそれ!?ひどいよ!」
「ははははっ、まぁまぁいいから帰ろうぜ」
仁はそう言うと、悪びれもせずに玄関の方へ歩いていった。
いつものように二人並んで歩いて帰っているとふとした疑問が湧き上がってきた。
「そろそろクリスマスだけどさぁ、仁って好きな人とか居ないの?」
いつも私に合わせてゆっくり歩いてくれている仁がこちらを向きながら答えた。
「好きな人ね……居なくは無いかな」
「えっ……!?いるの?」
私は驚いて上ずった声で聞いた。
「まぁね…俺も男だからね」
私が知る限り今まで仁は彼女を作ったことがない。恐らく私が隣にずっと居るからだとは思うがその手の噂すら聞いた事がない。
「どんな人!?」
「なんだよお前やけに食いつくな、秘密だよ、秘密」
「えー教えてよ!」
「やだよ、お前他の奴に言うじゃん」
そう言って仁はめんどくさそうに少し早足になった。
「いいじゃん教えてよ!」
私は追いかけて執拗に問いただした。
「はぁ……わかった、わかったよ」
仁が答える気になった途端に、私は何かが心の底でドクン、と蠢くのを感じた。何か良くないもの、聞きたかったはずなのに聞きたくないような。
「い、いや、やっぱり嫌なら言わなくても……」
そんな呟きは仁には届いておらず、仁は渋々といった感じで答えた。
「俺が好きなのは……西園…だよ」
「えっ…?」
咄嗟に口に出たのは驚きの言葉だった。意外ではない、だって相手は男子に人気の西園さんだし、それは分かる。でも、でも……どうして私じゃないんだろう。
学校もずっと一緒でいつも遊んでた仁が私を選んでくれない……?
そんな風に考えているうちに、気付いてしまった。
私は期待していたんだ。
仁がどんな時でも私を最優先に選んでくれるって。
でもそんなことは……決してなかった。
私が勝手に期待していただけ。
どうして……どうして……
堂々巡りの考えをしているうちに溢れでてしまった。
「私…………がす、き」
「えっ?なに?まだなんか聞きたいわけ?」
仁は先ほどと同じようにめんどくさそうに返した。
もう止められない、怖い、でも今言わなきゃ。
「私……仁が好き!だからっ西園さんじゃなくて私とっ、付き合って!」
私は辺りに響き渡りそうなくらい大きな声で仁に向かって告げた。十年以上どこかに溜め込んでいた思いを。
それを聞いた仁は顔色を変えて言った。
「おせぇよ……お前はいつもおせぇよ」
仁は絞り出すような声で震えながら続けた。
「ごめん……お前とは付き合えない。俺はもう、お前とは遊べない」
それを聞いた途端私は何も考えられなくなってしまった。その場に座り込み、目から熱いものが込み上げるのを止められなかった。
「だから、今日でお別れなんだよ……じゃあな」
そう言って仁は気まずそうに走って去っていってしまった。
どれくらい時間が経っただろう。
辺りはすっかり暗くなり、大きな柔らかい雪の粒がひらひらと空から落ちてきた頃。
まだ私は道の端でうずくまって動けずに仁に振られたという事を認められず堂々巡りの問答をやめられずいた。
私は……何がしたかったんだろう。確かに期待はしてたし、ずっと側に居てくれたのだからこれからもそうなんだろうって心のどこかで思っていた。
でもそんなに世界は私に優しくなかったし、結果的に私は一人になってしまった。
どうしてもっと早く、仁が西園さんの事を好きになる前に告白しなかったんだろう。でもしょうがないじゃない。私だって仁の事を好きだなんて思ってなかった。自分でわかってない事なんか出来るわけない。
……もう仁の事は諦めよう。
そう思い切り、実花は涙で腫れた目を隠そうともせずゆっくり歩き出す。
二人ならあっという間に過ぎていた歩く時間も今は永遠に感じる。振り返っても足跡は一人分しかなく、これからも一人分。辛い事も楽しい事もこれからは一人。
「仁……」
呟いても二人になる筈も無く、ただぬかるんだ道は歩くのは辛かった。
貴方は雪を好きになれますか?