聖バレンタインの嘘
何が正しいかなんて、私は知りませんけど。
バレンタインが男にチョコを渡す日だなんて、一体いつの話だよ。イマドキそんな真似をする女子など稀有だという事を、毎年妙な期待をする男子諸君はしっかりと心に刻んでいて欲しい。だってキモいんだよ、この日だけ妙にソワソワするどう見てもお前見向きもされないだろとかいうパッとしてねぇ男子とか。お前ら何でそんなに自意識過剰なんだよ?! 何処から自分がチョコを貰えるかもしれないとかいう見当違いも甚だしい期待が湧いて来るんだよ?!
なんて思いながら、妙に期待を込めた目で私を見つめる兄を華麗に無視しつつ、私は家を出て高校へと向かった。ちなみに、私が通っている高校は女子校である。だからそもそも男子にチョコを渡そうなんてイベントが起こる筈も無かった。……いやでも、共学に通う友達だってイマドキ男子にチョコ渡したりなんてしないって言ってたし!! 「じゃあ、沢山チョコを作って行って男子に配ったりもしない訳?」なんて訊ねたら、「はぁ? そんな事したら、男子に媚び売ってるなんて因縁つけられて女子共から干されるに決まってんじゃん」とか言ってたし!! だからせいぜい、男子共はソシャゲで推しキャラから課金チョコでも貰って満足してればいいと思う。変な期待を持った勘違い男共よりも、そうやって現実に折り合いをつけたオタク男の方が私的には逆に好感が高い。だってそっちの方が楽だし。
まぁどちらにせよ、女子校通いの私が出来る事と言えば、級友達と菓子パを楽しむ事くらいだった。
四時間目が終わり、昼休みが始まるとすぐに、級友達は持ち寄った菓子を各々の机の上に並べ、教室は即席の立食パーティー会場と化す。私も持って来たステラおばさんのクッキーのアソートを自分の机にボンと起き、目ぼしいお菓子を捜して彷徨う。手料理が上手い事で有名なみゆぽんの机は既に大勢の亡者共に集られて、気の弱いみゆぽんは既に涙目だった。
「何だい、ななちー。今日はバレンタインなのにクッキーなんか持って来て」
ヒャッハー状態な級友達に辟易して窓際で黄昏ていると、ミサミサがそう話しかけてきた。手にはみゆぽん製らしきトリュフがしっかりと握られており、その口回りをココアパウダーでみっともなく汚している。
「いやだって、チョコばっかだと飽きちゃうじゃん? だから、せめて味変用に違うモノを用意しようという私のささやかな思いやりなんだけど」
「でもクッキーなんて、ホワイトデーじゃないんだし。せめてチョコにちなんだものを持って来るべきじゃないのかなーって、ミサミサちゃんは思うんだ」
「じゃああんたは何を持って来たの」
「カントリーマアムだけど」
「あんただってクッキーじゃん」
「いいの、カントリーマアムはちゃんとチョコチップが入ってるから」
「そういう問題?!」
「そういう問題」
ミサミサはのほほんと言いながら、開封したカントリーマアムを私の口に押し付けて来た。私は仕方なく口を開けて、ソレにミサミサの指ごとパクついた。
「痛っ?! もー、何すんのさ!!」
「いや、なんとなく」
「なんとなくで暴力なんて振るわないの!! 私はあなたをそんな子に育てた覚えはありません!!」
「私だって、あんたに育てられた覚えな無いわ……」
「あら、あなた達は二人ともクッキーなんですの? 普通のチョコを持って来るのが嫌だと言うのは分かりますけれど、それならもっとやり様はあると思いますわよ?」
私とミサミサがそんな応酬を繰り広げていると、いきなり麗亜様がやって来て、偉そうに口を挟んでくる。
「そういう麗亜様だって、手に持っているのは細長いチョコみたいだけど」
「これはただのチョコではありませんわ。オランジェットですのよ」
「オランジェット? なにそれ」
「オレンジピールってミカンの皮? 麗亜様って意外と庶民臭いやつを持って来るんだね」
「庶民臭いとほ失礼ですわね!! これはれっきとしたフランス菓子の一つですのよ?!」
「昔のフランスの人にももったいない精神というものがあったのかな……。日本人として、何か共感するよ」
「ええい、変な事をゴチャゴチャ抜かすな!! 先ずは食べてごらんなさい!!」
そう言って麗亜様がそのオランジェットとやらを私の口に押し付けて来るので、私は仕方なく口を開けてそれパクつき、ついでに麗亜様の指をペロッと舐めた。
「ひゃんっ?! な、何をしますの?」
すると、麗亜様は凄い勢いで指を引っ込めつつ、顔を真っ赤にしてそう言った。
「だってミサミサが暴力はダメって言うから」
「そう言う問題ですの?!」
「そう言う問題ですの」
なんてよく分からない会話を繰り広げていると、不意にドアがガラッと開いて、不思議の国の来栖さんが、その長い金髪を靡かせながら教室へと入って来た。サボリ魔且つ謎多きとして有名な来栖さんが昼休みに教室に来るとは、珍しい事もあったもんだ。教室のあちこちで宴に興じていた我が級友たちも、突然の乱入者に目をぱちくりさせてドアを見つめている。そんな中、来栖さんは教室の中を誰かを探すようにキョロキョロと見渡し、そして私と目が合うと、ちょっとだけ頰を染めて、私の方へいそいそと向かって来た。よく見ると、その手には綺麗にラッピングされた箱が握られている。
「……あの、ななちー? ななちーって、来栖さんと面識あったの?」
「面識というか、何度か話した事はあるけど」
「えっ、いつ?!」
「授業中」
「あぁ……。そういえば、貴女もたまに授業をサボって何処かに消えている時がありましたわね……。一体、何をしているのかと思っていましたが……」
「だって、授業抜け出して誰かに会いに行くって、まさに青春って感じがしない?」
「あなたは青春ドラマの見過ぎですわ……」
「お話中ごめんけど、ちょっといい?」
そう、私達の中にずけずけと入り込んで来る来栖さん。相変わらずのマイペース振りである。そんな来栖さんにきょどってる他二人を尻目に、私は軽く声をかけた。
「やー、来栖さん。来栖さんも菓子パに来たの?」
「いや、私が用があるのは奈々子だけ」
「えっ?」
「はい、これ」
来栖さんはそう言って、手に持っていたラッピングされた箱を私に押し付けて来た。私がびっくりしてまじまじと来栖さんの顔を見つめると、来栖さんはまたまたちょっぴり頰を染めて、そっぽを向いた。いつも威風堂々とした来栖さんにしては珍しい感じだ。レア来栖さんだ。何か得した気分だ。
「わぁ、これくれるの? でも私、今日クッキーしか持って来てないけど」
「いや、いい。お返しは、別の機会にやってもらうから」
「そ、そう?」
「ん。じ、じゃね」
そう短く告げて、来栖さんは去って行った。本当に私に用があっただけらしい。どうせならみんなと仲良く宴に興じればいいのに、と思ったけど、みんなとワイワイやってる来栖さんを想像するとコレジャナイ感じが凄くて、やっぱり来栖さんはいつもの来栖さんでいいやって思ってしまう。
「……え、何々、チョコ? 本命?」
来栖さんが去ると、フリーズしていたミサミサが息を吹き返して、興味津々といった様子で私の手元を覗き込む。
「本命? んな訳」
ない、と言おうとしたけど、さっきの来栖さんの様子がどうも気になって否定しきれない。まさかねーなんて思いつつラッピングを解くと、中から赤いゴムで閉じられた金色の箱が現れた。そして、ゴムの箱の間に挟まった、二つ折りにされた紙切れが一枚。
「……」
「……」
「これは……」
もしかして、もしかするんだろうか。私はおそるおそる紙切れを開く。すると、中には来栖さんらしい、かっちりした文字で、一言だけ記されていた。
『あなたが好き。それだけ伝えたかった』
「……」
「……」
「わ、わぁ……」
……青春、だなぁ。
「ちょっと待って、私マジでどうしたらいいの」
どうやらバレンタイン告白というものをされたらしいと気付いた私の脳内では何故か服の代わりにチョコレートで裸体を隠した天使たちがビュンビュン飛び回っていた。要するに、絶賛混乱中だった。自虐ではないが、私は16年生きてきて告白された事なんて生まれて初めてなのだ。
ぴっちぴちの純情乙女なのだ。
恋愛への免疫なんぞゼロに等しい。
「どうしたらいいかって、そりゃあ付き合うか振るかどっちかでしょ」
「いやそれはそうなんだけど。確かにそうなんだけど。でも、私はどちらの道を選択すべきかなぁって話であって」
「えー、断っちゃうの? 勿体無い」
「勿体無いで済ませられる問題?」
そう言って、私は小さく溜め息をついた。いやはや、同級生でやたらと後輩にモテるイケメン系女子はいるけど、まさか私がなぁ。何の変哲もない平凡型乙女である私がなぁ。
……まじかぁ。
「……あなたは、どうしたいのですか?」
私がうんうん唸っていると、麗亜様がやたらと真剣な表情で私に問いかけた。その余りの真剣さに戸惑いながらも、取り敢えず私も出来るだけ真剣モードになってどうしたいのか考える。考えた末に出てきた答えは、
「来栖さんと仲良くなくなるのは嫌だなぁ……」
という、何とも締まらないものだった。
「……貴女は、来栖さんの事が好きなのですか?」
「好き? それは、ラブ的な意味で?」
「ラブ的な意味で」
「……それは、ないと思うけど。別に来栖さんとキスしたいとか、そんな性的な目で見た事もないし」
「では、キスするのは嫌だと」
「嫌って訳じゃないけど」
別に、その程度ならどうって事もないだろう。寧ろ私がキスしだと時来栖さんがどんな反応を見せてくれるのか気になる。普段は威風堂々とした来栖さんが真っ赤になってあたふたする姿は、きっととても可愛らしい事だろう。
「……顔がにやけてますわよ、奈々子」
「えっ、そう?」
「一体何を想像していましたの?」
「いや、来栖さんにキスしたら、それはそれは可愛らしい反応を見せてくれるのかなぁって」
「……それは、ラブ的な意味で貴女が来栖さんの事が好きだという事ではなくて?」
「えっ、何で?」
「何でって……」
「だって、普段威風堂々とした来栖さんがあたふたする姿って、想像するだけでグッと来ない?」
「……えーと、それは、ギャップ萌えというやつなのでしょうか?」
「そうそう、それ、ギャップ萌え! あー、なるほど! 私が来栖さんに感じている気持ちは、萌えなのか!!」
「も、萌え……」
「来栖さん、萌えー!!」
大声でそう宣言する私に対して、麗亜様は何故か頭を抱えていた。
「……あれ、どしたの? 麗亜様。そんな頭痛を堪えるような顔をして」
「真剣に悩んでいた私が馬鹿みたいに思えたのですわ……」
「そ、そんな事ないよ!! だって麗亜様が居なければ、私は自分の気持ちに気付けなかった訳だし」
「それが、萌えですの……」
「そう、萌え!!」
「はぁ、何でこんな事に……」
麗亜様が崩れ落ちた。
「……あれ、ちょ、麗亜様?」
「……」
へんじがない。ただのしかばねのようだ。
「おーい、麗亜様ー? ねぇちょっと、ミサミサも何とかしてよ」
「うん、取り敢えず、ななちーは一度死ねばいいと思うよ」
「何でっ?!」
「はぁ、あのねぇ……。ななちーが来栖さんと正式に付き合うとしたら、キスだけで済む訳がないでしょ? 友達と同じじゃ済まないんだよ。来栖さんはちゃんと、恋人として特別に接さなきゃいけないの」
「大丈夫!! 私、来栖さんの色んな姿を見る為なら、きっと何だって出来ると思うから!!」
「それがたとえセックスでも?」
「セッ……。ちょ、ちょっといきなり何言ってんの、恥ずかしい!!」
「そこは一丁前に恥ずかしがるんだね……。でも、恋人がそういう事をするのは当然じゃない?」
「それはそうだと思うけど、そこまではもっと段階を踏んで……」
「何でここでいきなりしおらしい乙女を演じるかなぁ……」
ミサミサが酷く呆れた顔をしていた。何でだろう、私何も変な事言ってないのに。
「まぁ、じゃあななちーはそういう事に対する抵抗感は無いって事? ちゃんと段階を踏めば大丈夫って?」
「うん、そうだね」
「じゃあ、もし相手が来栖さんじゃなくて麗亜様だったら?」
ミサミサがそう言った途端、崩れ落ちていた麗亜様がピクリと震えた。どうやらまだ生きていらしたらしい。良かった。
「? 何で麗亜様?」
「いいからいいから」
「麗亜様ねぇ……。うーん、でも反応が想像出来るからなぁ……。相手に必死に誘いをかけるのはいいけど、いざ本番になると易々と相手に主導権を奪われてしまう。所謂誘いネコってやつだよね、きっと」
「?! あぁ待って、しっかりして、麗亜様ぁぁーー!!」
見ると、ミサミサが崩れ落ちた麗亜様の口から漏れ出す魂的な何かを必死に押し留めようとしていた。魂って本当にあるんだなぁ。これならば、死後の世界だってあり得るかもしれない。
「要するに……。麗亜様と……行為に及ぶのに……抵抗感はないけど、ギャップが無いから……萌えないって……事?」
何とか麗亜様の救出に成功したらしいミサミサが、ぜぇぜぇと肩で息をしながらそう言った。
「そうなるのかなぁ」
「じゃあ、ななちーのお兄さんとは?」
「そうなるくらいなら舌を噛み切って死ぬわ」
「うわぁ……。極端だねぇ……」
ミサミサが引いていた。いっつと飄々としたこいつがこれだけ態度を崩しているのは地味に珍しい気がする。でめ別に萌えなかった。やっぱり来栖さんが特別なんだろうか。
「じゃあ、ななちーは女の子相手には貞操概念の無いレズビッチだって事?」
「……言い方に悪意を感じるんだけど」
「気のせいじゃない?」
「絶対違う……。まぁいいや。でも、別に性欲すら大して無ければひとりエッチすらした事のない清純派の私がビッチな訳ないじゃん」
「お前みたいな清純派がいてたまるか!!」
ミサミサ渾身の叫びだった。
鼓膜が破れるかと思った。
「あぁ……。もう不安しかないよう……。こんな奴がマトモに恋愛出来るの……? いっそもうこいつの脳を取り去って、別人の脳を移植してやった方がいいんじゃない……?」
「そうなった私は、もう私とは言えないんじゃ……?」
「外見さえ同じなら大丈夫だよ! それに、今のななちーが消えたとしても、次のななちーは今ほど酷くはないだろうし!!」
「私の人格が全否定されたっ?!」
「……で、ななちーは来栖さんの告白を受けるつもりなんだね?」
「うん。これから色んな来栖さんを知っていきたいしね」
「それだけ聞くと、普通に来栖さんが好きな女の子に見えるんだけどなぁ……」
「別に、その認識で間違いはないんじゃない? ただ、私にとって大事なのは来栖さんの色んな姿を見る事であって、キスやセッ……エ、エッチがその手段に過ぎないってだけで」
「あぁ、うん……。きっと、私ふぜいがななちーを理解しようなんておこがましい事なんだろうね……」
ミサミサが遠い目をしていた。
「……じゃあ、言って来なよ。麗亜様は、私が何とかしておくから。然し、この人も不憫だよねぇ……」
「えっ?」
「んや、なんでもない」
「あ、でも、行く前に……」
「なに?」
「貰ったチョコ、まだ食べてないやって」
「あっ……」
というか、箱開けてすら無かった。
ちなみに、箱の中身はチョコではなくよく分からない粒状のお菓子だった。食べてみると、砂糖でコーティングされたアーモンドのようだ。確かに来栖さんはチョコとは言って無かったけど……。何なんだろうね、これ。
我が校舎には、幻の5階と呼ばれる空間が存在する。校舎自体は4階建てなのだが、封鎖された屋上のドアの前にちょっとした空間があり、その場所がそんな呼称で呼ばれているのだ。ちなみに命名者は私だ。そして、この呼称を知るのは、私と来栖さんの二人だけだった。
幻の5階では、放置されたいつの時代のものか分からない机に座って、来栖さんが待っていた。私が着くと、不安げな顔をして私を見つめる。私はそんな彼女に優しく微笑みかけながら、内心では普段とは全く違う弱々しい姿にキュンキュンしながら、窓際のパイプ椅子に腰かけた。そこが、私たちの定位置だった。
「奈々子……」
弱々しい声で、縋るように言う来栖さんの様子に、私のテンションはもうマックスだった。ただ、私だって今がはっちゃける場面ではない事くらい分かっているので、ただ「なぁに?」と優しく問いかけるだけに留めておいた。
「私……」
来栖さんは私にかける言葉を必死に探している風で、でも結局何の言葉も出せないまま、ただ時間だけが流れてゆく。私はそんな空気を払拭するべく、気になっていたあの話題を提供する事にした。
「……来栖さん、さっき私にお菓子くれたよね? ほら、アーモンドを砂糖か何かでコーティングしたやつ。あれは、何だったの?」
「あれは、ドラジェ」
来栖さんが、歌うように言う。
「ドラジェ?」
「うん。ヨーロッパで、祝い事なんかで使われるお菓子」
「祝い事……」
「婚礼、とか」
「婚礼って……それは気が早すぎるんじゃ」
「それだけ私が本気だって、知って欲しかったの」
来栖が、決意を秘めた目で私を見る。その目は、未だに迷いを孕みながらも、私を鋭く射抜く程の光を秘めていた。
「来栖さん……」
そんな顔も出来たんですね。
「だから、私は知りたい」
来栖さんはどこまでも真剣で、『萌え』なんて軽率な感情に振り回されている私が申し訳なく思えてかる。もしかしたら、私の感情は、彼女の隣を歩くには余りにも軽過ぎるのではないか……? 今更ながら、私はそんな事を思った。
「あなたは、私の事をどう思ってるの?」
……ここで彼女に『好きだ』というのは容易いだろう。けれど、私の『好き』と彼女の『好き』は明らかに違う。彼女の『好き』は明らかに私に向けられているけれど、私の『好き』は彼女のギャップに対して向けられているだけで……。必ずしも、彼女本人に向けられている訳ではないんじゃないか。
恐らく、私は他人に対して恋愛感情を抱けない人間なんだと思う。本質的に、私は自分と他のニンゲン達との間に決定的な隔たりがあると思っているから。もし私が他人に対して『好き』を向けるとしても、それは愛玩動物なんかに向ける『好き』に近いもので、同じニンゲンを、同じニンゲンとして愛すなんて、私にはきっと出来ない事なんだ。
だから、『好き』に対して、私は来栖さんほど真剣になれない。来栖さんが私を見るように、私は来栖さんを見ていない。
だから、私は喋らない。
どう喋ればいいのか、分からない。
「……いいよ、正直に言ってくれて」
私が黙っていると、来栖さんがそう言って、哀しげに笑った。
「私だって、最初は変だなって思った。確かにここは女子校だから、女の子同士の距離は近いし、カッコいい女子に憧れる子も多いよ。中には、本気で恋してると思ってる子もいる。いや、本気で恋してると思い込んでる子もいる。……まぁ、全ての想いを否定したい訳じゃないけどね。でも、その多くが、恋する自分に酔うために見た『錯覚』である事は否定出来ないと思う。彼女達が見ているのは、ある意味幻でしかないんだ。
「でも、君は違った。
「私と君は、ただのクラスメイト。君はまぁ……。顔の造形は多少良くても何処にでもいる女生徒だし、何らかの特質性を有している訳でも無かった。私が君に変な幻想を抱く余地は無かった。でも事実、私は貴女に恋をした。……結局、たとえ私達が出会ったのが女子校じゃなかったとしても、私は君に恋をしたんだろうね。
最初は否定しようとしたけど、じきに自分の気持ちが否定出来なくなった。だからもう、逃げるのを止めようと思った。私はガチだよ、奈々子。この気持ちは、一時のまやかしなんかじゃ絶対にない。私は、真剣に君に恋してるの。それだけ、君に伝えたかったから。別に、私を否定しても構わない。ただ、私の気持ちを、女子校にありがちな気の迷いだとか、そんな風に思って欲しくないんだ」
「別に、そこを疑う気なんかないよ」
私は言う。
「でも、私は、恋愛感情が分からないから。たとえどれだけ貴女が本気だろうと、私にはそれが分からない。貴女と同じ土台に立てない。
「私の『好き』は、きっと貴女のそれよりもずっと軽いよ。別に貴女と恋人関係になる事に抵抗は無いし、私だって、普段の毅然とした、『不思議の国の来栖さん』とは違う、もっと色んな貴女を知りたいと思う。けど、それだけなんだ。貴女が私を求めるように、私が貴女を求める事は決してない。
多分、私には大きな欠陥があるんだ。他人に必要以上の執着を抱く事はないし、そもそも私と他人が対等な存在であるとも思っていない。私と他人の間には大きな隔たり……何だろう、次元のズレ、みたいな感じの? があって、それを越えられる事は絶対にないんだ。
「貴女の気持ちは素直に嬉しいよ。私も素直に、貴女と一緒にいたいと思う。けどきっと、私は貴女に何も渡せない。私は何も為せない。だって、私は欠陥製品だから」
「欠陥製品?」
「そう、欠陥製品。戯言遣いを真似てみたの」
そう言って、私はシニカルに笑う。自分の事を欠陥製品と称する彼に、私がどれほどの共感を覚えた事か。
「だから、貴女が私に貴女と同じだけの愛を望むなら、私は貴女の前から去るよ。だって、それはきっと不毛な事だから。でも、貴女が許してくれるなら、私は貴女の許に留まりたいと思う。だって、私は私なりに、貴女を愛しているから」
「許すも何も、私はそれを望んでいるんの、奈々子」
彼女が言う。
「君が私と一緒にいたいって言ってくれて嬉しい。君の気持ちが聞けただけで、私は満足。それに、愛の形なんて十人十色なんだから、自分の愛が劣っているんじゃないか、足りないのではないかなんて悩む必要はないと私は思う。
「誰かに尽くしたいという愛とか。逆に誰かを破滅させたいという愛とか。誰かを自分のものにされたいという愛とか。若しくは、誰かのものにされたいという愛とか。
「私は、ただ君に側にいて欲しいだけなの。これから私が経験するであろう沢山の喜びや悲しみを、一緒に経験して欲しいだけなの。それで時には笑い合ったり、時には悲しみ合ったり。そうやって、私の人生を一緒に分かち合って欲しいだけなの。勿論、君の人生だって、私に背負わせて欲しい。
「鋼の錬金術師でエドワードが幼馴染に言ったプロポーズの言葉、知ってる? 『俺の人生半分やるから、お前の人生半分くれ』って。私が望んでるのは、まさにそういう事なの。
「君は自分の事を欠陥製品なんて言うけど、私にはそれ、自分の欠点を正当化しているようにしか思えない。そうやって、『自分は元々こうなんだ』って自分に言い聞かせる事で。でも、人間が何処か欠けてるのなんて、当たり前だと私は思う。だから、人は人を求めるの。ジグソーパズルみたいに、自分の足りない部分を埋めるように。それで、私には君が必要だと思った。
「そして、君は私に、何を求めるの?」
何を求めるの、と聞かれて、私は『栗栖さんの色んな顔が見たい』という願いを告げようとした。然しその間際、私は唐突に気付いたのだ。その願いには続きがある事に。
『栗栖さんの色んな顔が見たい。でも、それを知るのは私だけでいい』
「……ねぇ」
私は、栗栖さんに問いかける。
「何で栗栖さんは、いつも自分を隠そうとするの?」
「……感情的になるのが、醜いと思ったから」
栗栖さんは、そう答えた。
「今だってそう。本当はこんな理屈ばかり並べるよりも、今すぐ君を掻っ攫って自分のモノにしたいと思ってる。けど、それは私のポリシーが許さない。だからこうして、理知的な自分を演じてるの。
「……私の父は、酷いDV親父だった。仕事が上手く行かないとすぐにモノに当たった。母に当たる事すらあった。私はそんな父の姿を見て、こんな大人にはなりたくないって思いながら育ったの。だから、自分の感情を隠して理知的である事が美徳だと今でも考えてる。……それとも、奈々子こんな私は嫌?」
「逆だよ、逆」
「逆?」
「うん」
私は笑う。心の奥底にたゆっていた自分のあさましい思いに。
「私は、自分以外の人間に貴女の素を見せて欲しくないんだ。私は貴女の全てを知りたい。けど、それを知るのは私以外誰も許さない。貴女がどんな風に笑うのかだとか、貴女がどんな風に泣くのだとか、それを知る人間は私以外必要ない。私だけが、貴女を理解出来ればいいんだ。
「ねぇ、私のモノになってよ、栗栖さん。貴女には私以外必要ないんだ。勿論、貴女を密室に閉じ込めて監禁、なんてするつもりはないよ。貴女はいつも通りに過ごせばいいよ。そういつも通り、自分の素を隠しながらね。
「栗栖さんの色んな顔が見たい。けど、それを知るのは私だけでいい。それが私の願いかな。どう、自分勝手な願いでしょ?」
「さっきも言ったけど、愛なんて十人十色だから。それを私の価値観で評価するのは、何か違う気がする。だから、私は何も言わない。けど、私は出来る限りその願いを叶えるよ。だから、奈々子も私の願いを叶えて」
「……うん、分かった」
「……じゃあ、改めて告げる」
栗栖さんの顔に、微かに笑みが浮かぶ。
「私、栗栖来夢は、井芹奈々子の事が好き。だから、私と結婚を前提に付き合って欲しい」
「……えっ、今結婚の事まで持ち出す?」
「……最初に言った筈。ドラジェは、婚礼の場で使うお菓子。私は、最初からそのつもりだから。君を離すつもりなんて、サラサラ無いの」
「……あはは、何かすっごい照れるなぁ、その台詞」
「……で、返事は?」
「勿論いいよ。ていうか、仕切り直す時は私の方から言おうと思ってたのになぁ……。栗栖さん、いきなり言っちゃうんだもんなぁ……」
「私は、もう遠慮する気なんてないから。もう君に対してクールな自分を演じる気もない。だって、君が言ったんだよ? 『栗栖さんの色んな顔が見たい』って」
そう言って、栗栖さんは何とも悪戯っぽい笑みを浮かべた。私はその無邪気な笑みに目をぱちくりさせつつ、自分も笑みを浮かべて、こう言った。
「あはは、これはしてやられたなぁ。まぁいいさ、許すよ。でも、もうちょっと私に見せ場を作って貰えたら嬉しいんだけどね?」
「それは、奈々子の努力次第」
「さいですか……。ふふふ、私も頑張らないとなぁ」
あぁ……。今の私はきっと自然に笑えているのだろう。たとえ普段は溝を感じていても、今この瞬間は彼女と確かに繋がっているのだと思う。願わくは、この一瞬が永遠にならんことを。
まぁ、今は一先ず。
「じゃ、教室に戻ろ? もうすぐ昼休みが終わっちゃうよ」
「……私も行くの?」
「うん。だって、ミサミサ達に、栗栖さんを『私の彼女です』って紹介しなくちゃね」
「……来夢」
「えっ?」
「栗栖さんじゃない。来夢って呼んで」
「……もう、分かったよ、来夢」
「……ん」
「好きなの。私と付き合って」
「嬉しい!! 私も同じだよ!!」
これが書けないが為に、変な恋愛理論をこねくり回してばかりの自分が嫌になる。