Ⅸ
ルルーナは、人生で初と言えるほどに、困惑していた。
その原因の一つである、カルロの確信したような言葉。
ルルーナがエミルの秘密を知っているという事実は、ルギニアしか知らないはずなのだ。
いくら監視カメラで街全体に網を張っていたとしても、個人の会話を聞き取れる精度があるはずもなく、尾行なんて、ルギニアが気付かないはずがない。
ルギニアが、報告した可能性に関しては、考慮に入れることすらしない。
何故なら、ルギニアは、エミルがアルヴィル家と関わりがあることを知らないうえ、もしも、エミルを伴って知ったとしても、その情報をルルーナに伝えていないはずがない。
なにより、ルギニアがルルーナとの約束を反故にするはずがない。
「どうぞ、我が主が中でお待ちですわ」
そしてもう一つ、ルルーナは燃えるような赤髪を一つにまとめた美女に、学園の奥にある、一般生徒では知りようもない部屋の前へと連れられていた。
学園どころか街中を監視できるほどの権力を行使できる、世界の半分を手にしているアルヴィル家。
その影響力は一国の王と同等、それが小国であれば上回るほどの力だ。
カルロが姫と呼んでいるのは誇張でも何でもなく、それだけの地位を持っているということ。
心臓の弱い物ならばショック死しても不思議ではない重圧の中、未だに思考を回し続けているルルーナの肝の太さが窺い知れるが、その思考は完全に空回りしていた。
「―――――――確かに瓜二つですね」
扉を開いたその先にいた少女を目の当たりに、一瞬、我を忘れた。
ルルーナも自身の美貌にはそれなりの自身を持っているが、それとはまた別種の美しさ。
ルルーナの美しさを、端麗、艶やかと評するならば、その姫君は、神秘、儚さと評されるだろう。
「ようこそ、ルルーナ・ローウェンさん。
私は、エルス・アルヴィルと言います。
どうぞ、掛けてください、承知だとは思いますが、私は、貴方に一切の危害を加えるつもりはありません」
「その前に一つ聞かせて。
どうして、私が、お兄ちゃんから、エミル君の秘密を聞いてると知っていたのかを」
「知っていたのではなく、知ったんですよ。
疑わしいとは思っていましたが、貴女の兄は、刺激するには危険すぎますからね。
正確な経緯は聞いていませんが、あの男が確信するに相対する証言が、貴女の会話にあったんでしょう。
よければ、その会話の内容を教えてもらえませんか」
その発言に半信半疑になりながらも、カルロと交わした言葉を思い出す。
ルギニアの影響力を盾にした交渉から始まり、この一週間、撒かれ続けた絡繰り、そして、エミルとアルヴィル家の意外な接点。
思い出してみても、やはり、確信を持てるような言葉はない。
しかし、エルスは納得したように頷いた。
「やはり、カルロ様は優秀な方ですわね。
素人とは思えない一連の流れ、見事としか言いようがありませんわ」
「目立ちすぎる風貌を除けば、良い諜報員になれるでしょうね。
ハク、予定通り、あれは貴女に預けます。 2年でモノにしなさい」
「承知いたしましたわ」
傍にいたハクが、カルロを絶賛し、エルスもそれに頷く。
いくら思い出しても、いくら考えても、一向に答えの出ない疑問に、ルルーナは完全に余裕を失っていた。
この状況すら、カルロによって作り出されているとは知らずに。
「さて、貴女の問いですが、先入観を除けば簡単に答えが出ます」
「―――――――先入観……?」
「はい。 私と先輩の関係を、どう思っていましたか?」
エミルを先輩と呼ぶ、エルスの言葉に全てを理解すると、怖気が走った。
この仕掛けは、ルルーナやルギニアでなければ、機能しない、巧妙な罠。
普通の人間ならば、一般人であるエミルと、特権階級のエルスの間に交流があることに疑問を覚える筈なのだ。
しかし、エミルに人知を超えた膨大な魔力があるという事前知識があれば話は変わる。
それほどの優れた人材ならば、『魔法』側の頂点であるアルヴィル家と関わりがあっても不思議ではない。
だからこそ、ルルーナは、カルロの言葉に疑問を挟まなかった。
そして、それこそが、カルロが確信した理由。
「―――――どこから、仕組んでたの……」
「ご想像にお任せしますが、まさか、こんなお膳立てまでしてくれるとは思いませんでした。
素晴らしい忠義心です。これも私の有り余るカリスマ故ですか」
「えぇ、女性だけではなく男性までもたらしこむ、エミル様のカリスマには私も驚くばかりですわ。
その後光と慈愛には、天使である私が首を垂れ、神と仰ぎたくなるほど。
同僚に奪われるくらいならば、先に手を付けておくべきかと思い悩みますわ」
「首です! 首! どこの世界に、主の男に手を付ける侍女がいるんですか!」
「あらあら、では、私が過ちを犯さないように、ご主人も精進あるのみですわね」
目の前で繰り広げられている主従のコントでさえ、気にならないほどに、茫然自失となっているルルーナ。
自分が天才などと己惚れていたわけではないが、ここまで踊らされた完全敗北に、いくら図太い精神を持つルルーナもショックを隠せない。
――――――――しかし、舞台はまだまだ、序章でしかなかった。
「―――――こほん。 さて、理解もしていただけたようですし、交渉に移りましょう」
「―――――交渉……?」
「はい。 貴女は先輩と会いたい、私は先輩と関わって欲しくない。
お互いの望みがかみ合わなからこそ、貴方はここを訪れたんですよね」
エルスの言葉に、ここに来た理由を思い出す。
ここまで打ちのめされ尚、未だに、目的を果たそうとするタフさは、最早称賛されるべきであろう強靭さだが、のこのことこの場所にやってきた時点で、否、カルロに会ってしまった時点で運命は決定していた。
「もっとも、これ以上先輩に付き纏うような真似はさせません。
最初に言っておきます、これは交渉ではなく脅迫です」
エルスの発している空気ががらりと変わる。
雪のような儚さは、絶対零度の氷へ、強靭な精神を持つとはいえ、所詮は一般人。
急激に重力が増加したかのように体は重くなり、瞬きすら忘れ、喉は枯れ果てる。
なにも驚くべきことはない。 目の前の少女は世界の半分を手にした王より生まれた姫君。
人の皮を被った、人を支配する上位種たる証の前に、ルルーナが対峙するにはあまりにも無力すぎた。
「理解していただけたようですので、最初から切り札を切りましょう。
私が望むのは、これ以上先輩に干渉しないことの一点。
この要求を呑むのであれば、貴女がこの一週間繰り返した、ストーカー行為は見なかったことにしましょう。
証拠は、聞くまでもありませんよね」
「―――――――――――ッ」
「言いたいことは分かりますよ。
それは、貴女が後ろ盾にしている、あの化物を敵に回すことにも繋がりかねませんが、この私が、泳がせている一週間の間に、対抗策を練っていないと思いましたか?」
なぜ、一週間もの間、泳がされていたのか。
それは、犯罪の証拠となる映像を手に入れることだけではなく、ルギニアという超常の化物を討伐するための準備を整える為。
「なにより、公的に罰せられるべき人間を、暴力でなかったことにしようものなら、『魔法』だけではなく『科学』側も黙ってはいません。
全世界の全戦力をもって、法治国家に仇を為すテロリストを排除します」
兄の強さを知っているルルーナだからこそ、その言葉が大げさだとは思わない。
むしろ適当だとすら思える采配だが、その果てに待っているのは、多くの人が死に、誰もが不幸になる、灰色の結末。
その戦争の引き金を握っていると言われて、動揺しないわけがない。
その真っ青に染まった表情に、エルスは勝利を確信した。
――――――――どうやら、ブラフであることには気づけないようですね。
ルギニアの脅威は世界の重鎮であれば誰もが知ること。
その化物と全面戦争をする理由が、エルスのお気に入りである一般人のストーカー被害を防止するため?
そんな個人的な理由で、世界の崩壊にもつながりかねない戦争へと繋がるはずないのだ。
ルギニアへの対応策などあるはずもなく、ルルーナをストーかとして仕立て上げるなど一日あれば十分。
一週間泳がせていたのは、その間、カルロの元へと訪れなかっただけ。
だが、それをブラフだと気付ける程、思考を回す余裕はルルーナにはない。
それだけの余裕を奪うために、あえてカルロは、エルスに解凍を任せ、無力感を植え付けさせた。
そして、その意志を汲んだ、エルスは、急激な態度の変化により威圧し、いかにも論理的な未来予想を装いながら、ありえるはずのない最悪の未来を、実現するかのように思わせた。
「賢明な判断を期待しています。では、お引き取りを」




