Ⅶ
「私にこんな可愛い弟がいた覚えはないけど……?
もしかして、お父さんの隠し子とか? それとも、あんまり可愛くて、道を外しちゃったとか?
―――――あれ、意外と悪くないかも……」
衝撃を隠せない3人を前に、冗談なのか本音なのか分からない、声音で小首をかしげる。
「いくら世界一可愛い妹とはいえ、許せないこともあるんだぞ。
こいつらは、友達だよ。正直、この状況は意味が分からんけどな」
妹との再会を喜びたいが、この状況は本当に予想外すぎる。
いくら、ルギニアの優先度ランキング一位が妹になっているとはいえ、この状況で騒ぎ立てられるほど常識は捨てていない。
「はい、ダウト。
シスコンのお兄ちゃんが、お友達に、私の写真を見せていないわけないよね。
私の顔を知ってるなら、こんな大げさな反応はないだろうし」
「―――――友達ってのは本当だよ。一昨日あったばかりだけどな、なぁ、エミル?」
「なるほど、大見得切って出て行ったのに、友達の一人もいない寂しい生活を送ってたなんて、面子が立たないもんね。
それで、エミル君だっけ、私の顔に何かついてる?」
コントじみた会話が終わり、ルルーナの意識がエミルへと向けられる。
憧憬と失望に瞳を濡らし、溢れだしそうな想いを、歯を食いしばり耐えるエミルは、俯き、震える声で言葉を紡いだ。
「――――いえ……その、知っている人と良く似ていて、見間違えただけです……
ルギニアさん、ごめんなさい、今日は帰ります」
返事も待たず、駆け出すエミルを見送る4人。
困惑する二人と、予想すらしていなかった悲劇に天を仰ぐ二人。
一つだけ言えることは、少なくとも、ルルーナの歓迎には失敗したということだった。
「――――悪いな、思惑を潰しちまって。」
凍った空気の中、最初に切り出したのはカルロだが、今を持って尚、目の前にいる少女の事を受け入れ難いことは、変わっていない。
ルルーナの外見は、身長・容姿・声音に至るまで、エミルの姉であるアーシャにあまりにも似すぎている。
唯一違うのは、金髪碧眼だったアーシャとは異なり、黒目黒髪であるというところだけ。
「いや、元々、こっちが急に頼み込んだんだ。
責めるつもりは毛頭ないが、事情くらいは説明してくれると助かる」
「あぁ、勿論だ。 その代わりと言ったらなんだが、納得したらエミルとは金輪際関わらないでくれ」
「残念だったね、お兄ちゃん。
せっかく、出来た、お友達だったのに」
「仕方ないさ。俺も同じ立場だったら、会いたくなんてないだろうしな」
日が落ち、薄暗い帰り道に、ルルーナがぽつりと呟き、ルギニアがそれに応える。
聞かされた内容は、ルギニアこそ驚いていたものの、ルルーナにしてみればほとんどが予想通りだった。
少し考えれば、エミルが零した言葉から、その背景を創造するのは容易い。
「ふーん。ねっ、お兄ちゃん、どうやったらお兄ちゃんみたいなアウトローな人が、エミル君みたいな子と、お友達になれたの?」
「時々言葉きついけど、もしかして、俺嫌わてる?」
「んーん、それより、エミル君との馴れ初め教えてよ」
「妙な言い方するな! あれだ、一昨日、嵐が来てただろ?
その時、ちょっと溺死しそうになったところを、助けてもらったんだよ」
「うーん、そんなに軽く命の危機って言われても、いまいち実感わかないけど、お兄ちゃんでも死にかけることなんてあるんだね」
「俺は世界最強だが、一応は人間だしな。
人間、死ぬときは、あっさり死ぬだろ」
「そーだね。でも、ちょっと安心した、お兄ちゃんって、一人だけずーっと長生きして、寂しい思いをするんだろうなぁって思ってたけど、ちゃんと死ねるんだね」
「兄が死にかけたのに安心するなんて、お前くらいだろうな。
そういうところも、可愛いぞ」
くすくすと笑うルルーナと、褒め散らかすルギニア。
世界最強の兄と、一般的な身体能力しか持たない妹の、少し独特な会話だが、兄妹の仲がいいことは疑いようのないモノ。
だからだろう、妙に鋭いと知っているはずのルルーナの前で不用意な発言をしてしまったことに、ルギニアは全く気付いていなかった。
「ところで、お兄ちゃん。 エミル君のことで、何か隠してるでしょ?」
「―――――ナ、ナンノコトダ」
あまりにわかりやすい反応に、くすくすと笑みを深める。
隣を歩いていたルギニアを一歩追い越し、人差し指を立て、その根拠を説明し始めた。
「まず、お兄ちゃんは、私に嘘はつかいよね
つまり、本当に、溺れそうになってエミル君に助けてもらったってこと。
お兄ちゃん、泳げないしね」
「だから、エミルに助けてもらったんだろ?
それの、なにがおかしいんだ」
「うん。普通の日だったら、おかしくないかもね。
でも、その日は嵐だったでしょ? それも、私が帰省日を変えるくらい、凄い嵐」
そこまで聞くと、己の失言を悟り、額に手を当てた。
今更ながら、どうしてエミルたちが、溺れたところを助けたではなく、打ち上げられていたところを助けたと誤魔化そうとした理由が理解できた。
ルギニアが悟った雰囲気を察し、くるりと翻るルルーナは、指を横に振りながら、楽しそうに結論を口にした。
「あの嵐の中、川で溺れている人を助けるなんて、普通は無理。
エミル君が、お兄ちゃんみたいに、地面を割れるような子には見えないから、実はすごい魔法使いなのか、それとも、未だに『魔法』でも『科学』でも解明されていない、超能力者とみた。
どう、名探偵ルルーナの推理は?」
ビシッ、と人差し指をルギニアへ向け、自身満々のドヤ顔を見せる。
これがカルロならば、見た目と反した頭脳で、誤魔化すこともできただろうが、ルギニアはその特徴通りでしかなく、観念して両手をあげた。
「お前の前では、迂闊なことも言えないな。
最初に言っておくが、一応口止めされてるんだ。
命の恩人に、恩を仇で返す様な真似はさせないでくれ」
「分かってる。でも、お兄ちゃんこそ気を付けないとだめだよ。
いくら、私がお兄ちゃんの事を知ってたからって、不用心すぎるんだから」
「肝に銘じておくよ。
とはいえ、エミルとの関わりを禁じられた今となっちゃ、不用意な発言なんてしようにもできないけどな」
「ふーん」
清々しいほどまでに、律儀で義理堅い言葉に、迷いはない。
化物じみた力を持つルギニアに、何の偏見も持たず関わってくれた珍しい人間ではあれど、命の恩人の古傷を抉るようなことを出来るはずもない。
その決断に、含みのある相打ちを返した、ルルーナは、数瞬、想いを馳せると、小さくほくそ笑んだ。
「ねぇ、お兄ちゃん。 ホントにこれで終わりでいいの?」
「良いも何も、向こうが合いたくないって言ってるんだぞ。
無理に関わろうとしても、批評をくらうだけで、お互い良い事の一つもないだろ」
「そうなんだ。 ところで知ってた、お兄ちゃん? 私って結構、天の邪鬼なんだよね」
楽しそうに目を細める妹に、諦観のため息をつく。
こうなったら最後、誰が何を言っても止まりはしない。
言い寄る相手には、見向きもしないというのに、避けようとする相手には自ら近づこうとする悪癖。
ルギニアは、妹である、ルルーナ・ローウェンという少女を、稀代の変人と心から思っている。
超常の力を持ち、人間とは隔絶した視界で世界を見るルギニアが、真っ当な倫理観を持っているのは、妹であるルルーナが、それほどまでに変人だからという理由が大きい。
だからこそ、真っ当なエミルを友人としてあてがい、異次元とすら呼べるその価値観を修正できればと思っていたが、その思惑すらも外してしまった。
「私は、まだ何一つ納得してない。
だから、まだ絶交なんてしなくてもいいよね?」
――――――――納得したらエミルとは金輪際関わらないでくれ
当然、納得しようとしまいと関わるなと、カルロは言っているのだが、それを律儀に守る義理もなければ、納得しなければ関わっても良いと、都合よく解釈のできる言質も取った。
「頼むから、やりすぎるなよ?
命の恩人に不義を働くなんて、人間として最低の行為だからな」
「分かってる。エミル君の秘密をだしに使うつもりなんてないし、私がそのことを知ったってことも隠しておく。
だから、これは単純に、私個人の好奇心」
兄とは異なり、ごく普通の体力を持ち、天才と呼ばれるほどの頭脳も持っていない。
それでも、ルギニアが稀代の変人と呼ぶ、異常な価値観だけを持ったルルーナ。
しかし、そんな少女がエミルとの交流を望むのは、異常とは決して呼べない普遍的なものだった。
「あんなに驚くくらい似てるって言われたら、見てみてくなるのが人情ってものだよね」




