Ⅴ
「よっ、二人してどこ行ってたんだ」
エルスの屋敷から、戻った二人を、目つきの悪い巨漢が出迎えた。
身長は2mに迫り、体重は80㎏と、一目見ただけで強いと分かる風貌に、見るものを威嚇する三白眼。
なにより、額に入った一本傷が、ただ者ではないと、恐怖を誘う。
物腰柔らかなエミルとは、富豪と庶民の関係であるエルスとエミル以上に、釣り合わない巨漢だが、留守にしていた家に、合鍵で出入りできるほどの親しい間柄。
「カル兄には関係ありません。
いいですか、兄さん、余計な事を言わなくていいですからね」
「あぁ、その反応で予想はついた。
災難だったな、エミル」
「あはは、ごめんね、カルロ。
今日は、ご飯食べていくでしょ?」
エミルと幼馴染であり、高等部に進学した今でも、一番の親友と言えるのは、目つきは悪く、初対面の9割は恐怖する強面のカルロ・エーヴェンスである。
今でこそ、家族仲も良好であるエーヴェンス家ではあるものの、幼いころは大の大人よりも体が大きく、幼さ故に手も出やすかった、親ですら手を焼くカルロが、道を外すことなく真っすぐに育つことができたのはエミルのおかげだと、カルロ自身、そう思っている。
高等部に進んだ現在でさえ、小さく華奢なエミルが、カルロを力づくで更生させることなどできるはずもないが、それでも、決してエミルは諦めることなくカルロに付き合い続けた。
学校をサボろうとする、カルロを引き留め、暴力沙汰になりそうな場面を、身を張って止め続けた。
当然、怒りの矛先はエミルに向くわけだが、エミルに危害を加えようものなら、エミルに懐いている動物たちが容赦なく襲ってくるため、手を出せない。
その応酬の果てに、カルロは折れ、真面目に学業に励み、暴力を止め、家族との仲を取り戻したのだ。
「で、エミルだけならともかく、メリルまで、あの姫さん所に行くんだ、なにかあたんだろ?
まさか、エミルの秘密がばれたなんて言わねぇよな、はっはっはっ!」
カルロの高笑いが虚しく家屋に響く。
場を和ませるはずの冗談を、沈痛な面持ちで受け止めている二人に、カルロの笑みも凍り付く。
「お、おい、まじか? あの姫さんがエミルの安全の保障はしてんだろ?
馬鹿げた出力の魔法でも使わない限り、エミルの魔力量なんて調べようが……」
「――――少ししか使ってないよ?」
「馬鹿野郎! お前の少しなんて、当てになるか!
あぁ、くそ! おい、メリル、なにが関係ないだ! 一刻を争う一大事じゃねぇか!」
「あぁ、もぅ、だから、兄さんは余計なことを言わないようにと言ったのに……
カル兄、その件に関しては、とりあえず解決済みです」
身を乗り出し、問い詰めるカルロを、溜息を尽きながら説き伏せるメリル。
解決済みという言葉に、予想外の一大事に失った理性が戻ってくる。
エミルとメリルが二人で、エルスを訪ねた意味、それは少なくとも、アルヴィル家の力で、最悪の状況は免れたのだと、受け取り、大きく息を吐き出した。
「――――――ったく、焦らせやがって……
んで、事の顛末はどうなった?」
「兄さんの秘密を口外しないという約束は取り付けました。
嘘や約束を破るような性格には見えなかったので、おそらくは大丈夫です」
「おいおい、あの姫さんが、そんな温い対応を取るわけねぇだろ。
ってことは、アルヴィル家の人間か?」
「アルヴィル家とは、全く関係がありません。
ですけど、手を出せないという意味では、ある意味アルヴィル家よりも厄介です。
あの女狐が言うに、アルヴィル家の全戦力を投入しなければ倒せないと」
「どんな化物だ、そりゃ……
世界の半分と、戦えるってことだぞ」
カルロの言葉尻からは、驚き半分、猜疑半分が込められている。
カルロの知る、エルスが手出しできない、それはメリルの言葉に真実味を持たせてはいるものの、規模が規模だ、実感するには難がある。
「嘘偽り、誇大なく正真正銘の化物です、彼は。
だから、私たちにできることは、極力関わりを持たないこと、そして、絶対に敵対しないことです」
「もぅ、カルロもメリルも心配しすぎだよ。
ルギニアさんも、悪い人じゃないんだし、むやみやたらにしゃべったりはしないよ」
「お前(兄さん)は、もっと、心配しろ(してください)!」
「あうっ……」
事のわりに、いまいち危機感に足りないエミルに、両側から怒号が飛ぶ。
予想外の反応に、しゅんとするエミルに反して、カルロもメリルも怒号の割には深刻な表情からはすぐに回復していた。
「まぁ、エミルがそういうんなら、悪いやつではないってことだな」
「兄さんの悪意レーダーが反応しないということは、ひとまず安心ですからね。
まぁ、あの女狐のように、例外はありますが」
その理由は、純粋なエミルへの信頼。
小動物並みに悪意に敏感なエミルは、下心を持った相手に、心を許したりしない。
逆に言えば、ここまでエミルが心配していないということは、相手が悪人である可能性は限りなく低いということ。
「――――――で、そいつの名前と特徴は?」
「ルギニア・ローウェン。 黒髪で容姿端麗、身長は180くらいで、常識はずれの膂力を持っている割には細身ですが、素人の私たちから見ても相当鍛えられていると思います」
「聞いたことねぇ、名前だな。
それだけ強いってんなら、『兵隊科』でも、少しは有名だと思ったんだが」
エミルたちが通う、アーシェル学園には、共通学科と選択できる三つの専門学科に課程がある。
エミルとメリルが選択している、魔導治癒科。 通称『医療科』。
カルロが選択している、魔導士官育成科。 通称『兵隊科』。
そして、残る一つが、神秘研究科。 通称『技術科』。
学ぶ内容はその通称の名の通り、『医療科』、科学では回復に時間が掛かる外傷や、回復できない呪いを解呪するため、人体の基本から、その治療法を学ぶ、医者の卵を育成する部門。
『兵隊科』は、災害や外敵に対応する、士官を育成し、将来の殆どは軍や、救助隊などの危険を伴う職場につくためのイロハを教わる部門。
『技術科』は、現代をもってしても解明できていない神秘を研究し、解明し、それを技術として社会に反映する、研究畑の部門だ。
「実力を隠してるとか? 魔力を見る魔眼も隠してたみたいだし」
「あぁ、なるほどな。ばれた直接の理由はそれか。
こりゃ、いよいよをもって、姫さんの失態だな」
「む、エルスにも言ったけど、僕がこうやって暮らせているのはエルスのおかげなんだから、エルスを責めるのは筋違いだよ」
「分かってるよ、で、なんて言われたんだ?」
「――――――結婚して、責任を取るって言われた。
結局、ハクさんが有耶無耶にしてくれたけど」
「あぁ、なるほどな。メリルの不機嫌な理由はそれか」
唇を釣り上げるカルロと、苦々しい表情で視線を逸らすメリル。
一見、脳みそまで筋肉で出来ているような風貌だが、その実、カルロはかなりの切れ者だ。
あらゆる面で優等生なメリルとは違い、成績面でこそ人並みだが、観察力と得た情報から回答を導く発想力の高さは、カルロが上回る。
「相変わらず、苦労してるな、メリル」
「―――――ッ、だから、カル兄には聞かれたくなかったのに……!」
事が事だけに、メリルもカルロに隠しておくつもりはなかったのだが、エミルが説明すれば、必ず余計なことまで話してしまい、知られたくない事実まで勘付かれてしまう。
だからこそ、二人の時にメリルが直接説明するつもりだったというのに、その計画を見事に潰してくれたエミルは、いつの間にか侵入していた猫と戯れていた。
いつもいつも、思い通りに動かず、心配ばかりかける割に、当の本人はあっけらかんとしていても、嫌いになれず放っても置けないのは、そういう理由だ。
メリルが同性愛を毛嫌いしているのも、それに根付いたもの。
女であるならまだ、納得のしようもあるというのに、よりにもよって男に奪われるなど、どう、納得しろというのか。
「―――――本当に、よくやってるよ、お前は」
「――――――同情なんていりません。
私たちは、『兄妹』だからこそ、共生を許されているんです。
兄さんに全面の信頼を置いているとはいえ、問題があれば、流石に父さんも、母さんも許してくれません」
その言葉が、強がりにしか聞こえなくとも、カルロは、それ以上何も言わない。
椅子に深く腰を上げ、二人で住むには広すぎる家屋の天井を仰ぎ見る。
その空白を見つけるたびに、自分の無力さを思い知らされるこの家が、カルロは大嫌いだ。
エミルから受けた大恩を返せずに、この現状に甘んじる以外に、方法を持たない。
その結果、一番苦しんでいるのは、妹であるメリルだ。
――――――――あぁ、くそ。 結局現状維持以外、俺にできることはねぇってことか……!




