Ⅳ
「――――――ルギニア・ローウェン……あの一人軍隊ですか……
すみません、先輩。どうやら、私たちは、まだあの化物を軽んじていたようです」
苦々しい表情で、己の失態を詫びる、小柄な少女。
鈴の音のような可憐な声音に、病的とすら言える白い肌、光を反射する長い白銀の髪を腰のあたりまで伸ばした、まるで妖精のように美しい少女の名は、エルス・アルヴィル。
世界を二分にする『魔法』と『科学』の内、『魔法』側に属する組織の頂点に位置する、アルヴィル家に生まれた、正真正銘の姫君。
超常の魔力量を持つエミルだが、その生まれはごくごく一般の家庭であり、本来ならば交わることのない二人だったはずが、何の因果か、アルヴィル家が持つ豪華な屋敷の一室に招かれていた。
「ルギニアさんのこと知ってるの?」
「えぇ、彼の正体を公にこそしていませんが、数年前、研究者の間で騒がれていた突然変異体です。
当時の研究データには、魔眼に類するものは報告されていませんでした。
故意的に隠していたのか、それとも、魔力を見る程度誰にでもできると勘違いしていたのか、どちらにせよ、あの化物ならその程度できても不思議ではありませんした。
そこまで、考えがいたらなかった私の失態です」
「失態だなんて……僕がこうして平和に暮らせているのは、他でもないエルスのおかげだよ。
それに、ルギニアさんも、秘密は守ってくれるって言ってたし」
「先輩……でも、失態は失態です。その、責任は取ります。
具体的には、私と結婚して、私が生涯、面倒を見るというのはどうでしょうか!」
エミルの手を小さな両手で包み、蒼玉のように美しい蒼色の瞳が見上げる。
エルス・アルヴィルは誰もが美しく可憐な、妖精のような少女だと揃って口にする、文句なしの美少女。
病弱の身で、常に車椅子に乗っている姿は、より儚さを際立たさせている。
そんな彼女の、真摯な想いを無下に出来る人間がいるとすれば――――――――――
「そんな三文芝居を見せるために、私たちを呼び出したんですか?
責任を取ると言いながら、自分の欲望を通そうだなんて、相変わらず、油断も隙もない女狐ですね」
「―――――ふぅ……私が呼び出したのは、愛しの先輩だけであって、貴女のようにあれこれ理由をつけて先輩を、束縛するような似非妹は呼んだ覚えはないのですが?
儚い雰囲気は霧散し、凍えるような冷たい瞳が、エミルの隣に座るメリルへと向けられる。
対するメリルも猫を被った女狐に、容赦のない侮蔑の視線をぶつける。
犬猿の仲である、二人挟まれ、居心地の悪い思いをしているエミルの前に、ティーカップが置かれる。
「ご主人、エミル様が困っていますよ。
それに、意中の殿方の前で、本性を現すのは淑女としてあるまじき行為ですわ」
「ハク、私は先輩だけを通すように、『命令』したはずですが」
「盲目的に主に従うだけの侍女など三流、主の指示を予測し動けるようになって二流、主の意向に背こうとも、善き道へと導いてこそ一流というものですわ」
エルスの機嫌を損ねれば、二重の意味で首が飛びかねないというにも拘らず、その追及をやんわりと受け流し、テーブルに茶菓子を並べていく。
燃えるような赤い髪を一つにまとめた、女性としての魅力を一目で視認できる、抜群のスタイル。
大人の余裕と、茶目っ気を持った、妖艶な美女であり、エルス付きの侍女である、ハク。
洗礼されたその動きは、一つの芸術。
しかし、その経歴は一切不明であるという、ミステリアスなところも含め、幾つもの縁談やら、引き抜きの話を受けているが、その返事は一つの例がもなく否という、忠義にも満ちた、誰もが羨む、その正体は
「まったく、天使というものはもっと従順なものと聞いていましたが、これでは小言ばかりの姑です。
やはり、私の理想の天使は先輩だけということですね。
そいう言うわけです、代わりは先輩が引き継ぎますので、さっさと天界へと戻っても構いませんよ」
「あらあら、つれませんわね。 私は御主人への忠義も愛も満ち溢れているというのに。
エミル様、少々どころか根っこまで捻くれた、表面ばかりの愛想しか持たない、我が御主人ですが、どうか、これまで通り、その慈愛を与えてあげてくださいね」
「首です! 首! 今すぐ、荷物をまとめて、その体を置いて天界へ帰りなさい!」
世界広しと言えど、エルスをここまで弄ぶことができるのは、このハクだけだろう。
絶大なる権力を持つエルスの不感を恐れもしない、その正体は、エルスが交霊した神の御使いである天使。
しかし、本来霊体であるはずの天使が、常に現世に留まっているのには、絡繰りがある。
それは、現代の技術の全てを、金を惜しまずに作らせた、最高級の機械人形。
本来なら、決められた動きを取る人工知能か、遠隔操作によって動作するため、人間らしさはそれこそ見た目だけになるのだが、その機械人形に天使を交霊させた存在こそ、世界で唯一の魔法と科学の合作である、独立魔導兵器、ハクである。
体内に内蔵されて武装に加え、人間ではありえない、機械人形でこその出力を、一つの知能が操る、その脅威は語るべくもない。
本来戦闘に不向きな天使であるハクに備わっている固有能力、それは光を魔力に変えるという、膨大な動力を使用する機械人形にあつらえたような能力。
それ故に、エルスが契約を断ち切り、魔力の供給源を断ち切ろうとも天界へと帰還せず、憑代も必要としないハクは、まさしく独立した一つの生命体なのだ。
「しかし、あの、ルギニア・ローウェンが味方に付いてくれるとは、思いもよらない幸運でしたわね」
「―――――――えぇ、正直、あれが先輩の秘密を風潮するというのであれば、先輩を殺して心中するしか方法はなかったでしょう」
「実際に目の当たりにしましたけど、アルヴィル家が、そこまで言う存在ですか」
「あれも一応は人間ですし、アルヴィル家が総力をあげれば殺せないことはないでしょう。
具体的には、ハクを初めとしたアルヴィル家の最高戦力を足止めに使い、先輩の魔力にモノを言わせた飽和攻撃であれば、打倒は可能です。
――――――ですが、それほどの損失を見込んだ戦いに、理由が問われないはずがありません。
あれを殺すということは、先輩の秘密を公にすると同義です」
身の丈の三倍はあろうかという巨木を片手で掴み、大気圏まで投擲する、化物じみた膂力。
あれが、対人に向けられようものなら、肉片一つ残さず、この世から抹消させられるだろう。
それほどの存在が、味方に付いたという点は、幸運というほか言いようがない。
「先輩、とにかく、彼と敵対する行動、出来るのであれば、彼と接触することは控えてください。
報告では善良な青年だとは聞いていますが、あらゆる意味で常識外の存在です。
なにが地雷になって、牙をむかないとも限りません。
そして、なにがあっても、もう一つの秘密だけは悟られることのないように」
重苦しい空気の元、エミルは首を縦に振る。
エミルの秘密は、人知を超越した魔力量だけではない。
それだけなら、世界で一人とはいえ、ルギニア・ローウェンという超常の前例があり、命を懸けてまで隠し通す秘密ではない。
本当に知られてはならないのは、エミルに架せられたもう一つの秘密。
それ単体では意味を持たないものではあるものの、エルスは、その秘密から、世界の危機にすら発展しかねない事実を言い当てている。
「でも、安心してください。 先輩は私の命に懸けて守りますから」
「ルギニアさんは、悪い人じゃないし大丈夫だよ。
だから、無理して、体調を崩さないようにね」
自身の身より、エルスの体調を気遣う心遣いに、心が満たされる。
誰が見ても明らかだが、エルスはエミルに対し、大きな好意を抱いている。
だが、エミルに求めているのは男女の恋愛ではなく、ただ傍にいて、甘えさせてほしいという、年相応のたわいもない願いだ。
しかし、エルスの立場故に、寄ってくる人間は、下心ありきの人間ばかり。
だからこそ、エミルに止められようと、無理をしてでもエミルの安全が最優先。
この世で唯一、エルスが気を抜いていられる場所を護る為に。
―――――それに、体調を崩せば、先輩の看病という美味しいイベントもありますしね