Ⅵ
「もしかして、エルスの親戚の人かもしれないね」
イカサマのコイントスで告白してた男を撃退した日の放課後。
生物部のエースとして、動物の世話と、部費獲得のための活動。エルスの世話に、その為に必要な技能の習得の為、アルヴィル家にて見習いとして働いているエミルは、そのほとんどを忙殺され、ルルーナと下校を共にするのは、極めて珍しい事だった。
その珍しい時には、ローウェン兄妹もロングベル家に招待され、食卓を共にすることが恒例となっており、せめて荷物持ちだけでもと言う配慮で、商店街へと向かう最中、エミルが見破ったイカサマの経緯を説明されたときの事だった。
「――――あぁ、道理で、お姫様の影が見えるわけね。
うん、ないない、お姫様と親戚になるなんて絶対にない」
学生同士の交際で、本気で結婚を考えるわけではないものの、そうなる可能性が一分でもあるのなら、相手が如何に優良物件であろうと、考慮にすら値しない。
好き嫌い云々の前に、脊髄に到達する前に、畏怖してしまうエルスと、今以上の関係なんて心労で倒れる自信すらある。
「エルスは本家筋と、最低限しか関わってないから、そんなに心配することないと思うけど」
「さらっと、重いこと言わないで」
なにより、世界のアルヴィル家の家督問題という、世情を左右しかねない大問題を、いくら親しいからと言って話してしまうエルスもだが、それを大問題ととらえていないエミルも、どこかずれている。
「それに、エルスは、ああ見えて、身内には……」
突如言葉を打ち切ったエミルを不審に思い、隣を歩くエミルに視線を向けると、いつの間に現れたのか、エミルの足元に三毛猫が並走していた。
それだけならば、よく見る光景なのだが、不思議なことに、猫の方もそれ以上エミルに近づくこともなければ、エミルも抱き上げることはしなかった。
「―――――ロングベル君……どうかしたの?」
「ルルーナさん、落ち着いて聞いて。僕たち、尾行されてるみたい」
「なに言って……」
「振り返らないで」
反射的に振り返ろうとしたルルーナを、初めて聞くような強い声が押しとどめる。
「僕たちが気付いてることに気づかれたら、強硬手段に出ることもあるから。
難しいかもしれないけど、自然にふるまって」
「―――――どうして、尾行されてるって分かるの……?」
「何度かエルスに誘拐されたから、どうしてって聞かれると、慣れかな」
「あの……そんな凄いことをさらっと言わないでくれる?
どう反応していいか、分からないから」
事情を説明すると、エルスと親密なエミルは、誘拐するだけの価値があるからだ。
世間一般からは知られてはいないものの、エルスは、かのアルヴィル家の次期頭首候補。
他の頭首候補による妨害工作だけでなくとも、身代金の要求に、アルヴィル家に敵対している組織による凶行と、誘拐される理由は片手では数え切れない。
宝くじの当たりを引くよりも、遥かに現実的な可能性に備えての、訓練として、エルスの私兵から、幾度も誘拐されている。
「僕も、実際役に立つ時が来るとは思わなかったけどね。
でも、ほら、避難訓練と同じだと思えば、特別な訳もない気がしない?」
「こんな特殊すぎる状況を想定しないといけない時点で、特別だと思うけど……
でも、それだったら、今回もその訓練の一環じゃないの?」
「―――――違う、と思う。確実にそうだって言う確証はないけど、エルスの部下の人なら、少なくとも、この子たちにも簡単に見つからないはずだから」
「この子たちって、まさか……」
エミルと出会った当初、どれだけ追いかけても捕まえられなかった時、カルロが冗談のように、言っていた言葉を思い出した。
『鳥の一羽にでも見つかれば、居場所が特定される』
当たり前だが、人間と動物とで意思疎通ができるはずがない以上、そんなことができるはずがないと、カルロのこけおどしだと思い込んでいたが、それを実際に見せつけられては信じざるをえない。
エミルを捕まえようと思うのならば、空を飛ぶ鳥の目すら欺かねばならないと。
実際、4回目までは、エミルも成す術なく捕まっていたのだが、その4回目、野良猫たち戯れていた時に、誘拐されて以来、彼らの逆鱗に触れてしまってからというもの、エミル捕縛の難易度は桁違いに跳ね上がった。
5回目から10回目まで、その道のプロですら、尾行の数分後には勘付かれ、失敗に終わるだけでなく、それ以降はカルロの手を借りて逆に捕まえることすらできるようになっていた。
そんな経緯の下、エミルの誘拐は、エミルだけではなく、捕まえる側も訓練になるほど、高レベルの駆け引きになっている。
故に、如何に動物相手とはいえ簡単に見つかるような稚拙な尾行は、逆説的にエルスの手のものではないと示していた。
「ルルーナさん、ルギニアさんは今何処に?」
「たぶん、学園だと思うけど……?」
「だったら、一度、学園に戻ろう。
あそこなら、エルスの監視もあるし、帰りもルギニアさんがいれば安全だから」
「でも、来た道を引き返すのは危険なんじゃ……」
「大丈夫。路地裏を迂回すれば、気付かれないで学園に戻れるから」
尾行から、誘拐の定石は知らないものの、人目のないところへ入る危険性はルルーナにも分かる。
人目のある商店街を歩いているほうが安全ではないかと、言おうとしたが、路地裏に入った途端、走り出したエミルに手を引かれ、複雑な十字路を迷うことなく走り抜けていく。
時折、横道から駆けてくる猫たちを視止めると、通路を変え、気が付けば、誰にも遭遇することなく学園の前へと辿り着いていた。
尾行されていたこと自体、嘘なのではないかと言うほどに、あっけない逃走劇。
しかし、魔の手は、確実に背後へと迫っているのであった。




