エピローグ
「はぁ……こんな真似、二度とごめんだぞ」
「お疲れ様。全部、カルロの読み通りだったね」
へなへなと、腰が抜けるように、座り込むカルロ。
そんなカルロに、駆け寄ったエミルは、笑顔で水の入ったペットボトルを渡した。
笑顔の理由は、当然、誰にでもできることではない偉業を、期待通りにやってのけた親友を誇っているからこそ。
「うるせぇ。毎度毎度、予想の斜め上の面倒事を運んできやがって、少しは反省しろ」
ノエリアが帰還するまでの間、身をも護る術一つなく、10分もの間、口八丁で生き抜くという、安全装置なしでジェットコースターに乗るような修羅場を潜り抜けたのだ。
ノエリアの殺気を一度は体験していたとはいえ、グリンハルドの殺気を耐えられたものだと、カルロ自身、驚くほどだった。
「聞きたいことは多くあるが、まずは謝礼だな。
そなたらの勇気に感謝を。そなたらがこの場に駆けつけなければ、我はこの場で果てていたであろう」
純血はおろか、混血でさえ脅威となる弱小な種族でありながら、それらを相手に、ノエリアを救出し、絶対の隠密性すらも破って見せた。
長き時を生きるノエリアだが、これほどまでの窮地も、目を見張る逆転劇も初めての事。
その偉業は、ノエリアの記憶に永遠に刻まれることになるだろう。
「気にすんな、って言ってやりたいところなんだが、恩義を感じてるんなら、頼みたいことがある」
「――――カルロ、僕の事なら気にしなくても」
「いいや。これは、メリルも同意見で、2対1だ。今回の件、俺もメリルも結構やばい橋を渡ってんだよ。
俺が体張っただけなら誤魔化せるんだが、お前が絡んだ上、魔法を視られて、手ぶらで帰ったなんて姫さんに報告してみろ。間違いなく、俺は殺されるぞ」
脳裏に浮かぶのは、妖精のように美しく、死神のように残酷な姫君。
比喩でも何でもなく、世界よりもエミルを取るほどに寵愛しているエルスが、エミルを命の危険に晒すだけでなく、少なからず魔力を消費させたとあらば、何らかの成果を示さずに済むはずない。
もっとも、カルロが何の戦果も挙げていないと言えば、それは嘘になる。
30を超える混血と、純血の吸血鬼を相手に、犠牲なくして勝利はなかっただろう。
加えて、『ハデスの兜』と言う、限りなく完全に近い隠密性を発揮する魔道具を加味するならば、敗北すらありえたのだ。
それを、被害なくして殲滅しただけでなく、不死殺しの剣である『ハルパー』と『ハデスの兜』を戦利品として手に入れた。
これほどの戦果に比べれば、エミルの使用した魔力など微々たるものに思えるが
「――――――ふむ。つまり、先輩の命の危機と釣り合う対価を示せる、そう言いたいわけですね」
その声を聴いた瞬間、エミルとカルロの顔は一瞬で青ざめた。
物音どころか足音一つしなかったというにも拘らず、声のする方向には、侍女であるハクに車椅子を引かれたエルスの姿がそこにはあった。
儚さを象徴したような容姿。車椅子を引かれなければ遠出すらできない弱い体。そんな少女相手に何を警戒しているのかと、ノエリアは疑問に思うが、その恐ろしさを骨の髄まで思い知らされているエミルとカルロからしてみれば、単純に強いだけのノエリアやグリンハルドの何倍も恐ろしい相手。
「あ、あのね、エルス。これには訳があって……」
一瞬で、カルロと目線で意思疎通を取ると、この世界で唯一エルスが情けも容赦も掛けるエミルが、少しでもその怒りを治めようと先手を切る。
「訳があれば、私との約束を破ってもいいということですか?」
「それは、違うんだけど……」
「あまり、私に心配をかけないでください。
何度でも言います。先輩が死ねば、私も死にます。
その体は私の体でもあることを、もう一度胸に刻み込んでください」
「――――うん。ごめんね、エルス」
「反省、してくれましたか」
「ごめんなさい」
冷ややかな声とは一転、悲痛と親愛を込めた声でエミルを叱責し、優しく抱きしめ、エミルを傷つけるわけでもなく甘やかすわけでもない絶妙な力加減で、陥落させた。
その間、たったの3秒。だが、エミルの肩から覗く、親しみを込めた声音とは真逆の冷たい視線がカルロに突き刺さる。
エミルを使って、懐柔しようなどと、浅はかな考えは文字通り秒殺された。
「――――――了解だ、姫さん。それなりの戦果は示させてもらうが、少し交渉の時間をくれ」
グリンハルドのような単細胞とはわけが違う。
エミルが持つカリスマ、メリルが持つ知識、カルロが持つ智謀、3人で不足を補っているエミルたちとは違い、全てを高水準で持ち、ホノワリスと言う純血さえも警戒する力を持っているラスボスのようなエルスに、小手先の技など通用しない。
誤魔化すことなく、エルスを納得させる戦果を示すため、再びノエリアへと向き合った。
「さぁて、話が逸れたが、交渉の再開だ。
恩着せがましくて、自分でも嫌になるんだが、俺も自分の命は惜しいんでな。
あんたには、エミルが死ぬまでの間、エミルの護衛を頼みたい」
目立ちすぎる風貌や性格には、やや難はあるものの、能力的には申し分ない。
混血達を一蹴する、一騎当千の戦闘力。
なによりも、いかなる場所にも潜り込める、変身能力は、影から護衛するにはうってつけの能力だ。
「もちろん、ただでとは言わねぇよ。
不死殺しの剣、こいつの呪いに苦しめられているあんたは、是が非でもこいつを破壊したいはずだ。
勿論、報酬は別途払う。こいつは、契約の前座ってやつだ。
―――――――――悪い話じゃ、ねぇとは思うが、どうだ?」
拾い上げた不死殺しの剣を示し、契約の是非を問う。
その問いに、ノエリアは目を伏せ、息を吐いた。
「―――――我も安く見られたものだな、我を誰と心得る。ノーヴェンリシア・ヒルト・キルストフィーア、吸血鬼を統べる純血を裁く、裁定者よ!そのような、見え透いた思惑如きで動くと思うてか」
その返答に、カルロは顔を顰めるが、してやったりと、ノエリアが頬を緩める。
「―――――まったく、下らぬことを言うでない、我が友よ。
そなたらの頼みを、我が無碍にすると思うたか」
恩を仇で返すなど、ノエリアの美意識に反する。それが、命すらも惜しむことなく、駆けつけた勇気が咎められるともなれば尚の事。
「案ずるでない。そなたらにとって百年とは一生の時であろうが、我らにとって、それは決して長い時間ではないのだ。奇跡のような巡りあわせに、流されるのも悪くはなかろう」
したり顔のノエリアに、割と本気で冷や汗をかいたカルロは、安堵の息を心の底から吐いた。
ノエリアの性格上、断らないであろうと勝算を持っていた為、断られたときの保険など用意する当てもなかった。
「―――――そういうわけだ、姫さん。エミルの魔力も極力抑えるように手は打った。今後エミルが自衛で使う魔力を考えれば、安い買い物だと思うが」
「――――いいでしょう。今回の命令違反については不問とします。ですが、次はありませんよ。
では、行きましょうか、先輩」
「あ、えっと……!ノエリア、戻ったらメリルの診断を受けてね」
エルスに手を引かれ、共に立ち去っていくエミルを見送ると、取り残されるカルロとノエリア。
本音を言えば、今すぐにでも帰って泥のように眠りたいところではあるが、聞きたいことが山ほどあるであろうノエリアに、最低限の説明をするために、改めて腰を下ろした。
「さてと、お待ちかねの質問タイムだ。手短にしてくれると助かる」
「――――うむ。質問と言っても、先の会話でおおよその予想はつくのだがな。
あれほどの魔導の才は、長き時を生きる我とて見たこともなかったわ」
「そう、勘違いするのも無理はねぇんだが、あいつに魔法の才能なんてねぇよ。特に攻撃に類する魔法は、からっきしだからな」
10にも満たない子供にすら劣ると言ってもいい程、エミルに魔法の才能はない。
唯一、治癒系統だけは、目を見張るものがある程度だが、それも飛びぬけた才能と言うわけではない。
仮に、カルロにエミルと同じだけの魔力があれば、グリンハルド程度、赤子の手をひねるように、圧殺できただろう。
「あいつにあるのは、飛びぬけた魔力だけだ。それも、制限付きなんだが、その説明はまた今度にするか。
種明かしをすると、あいつが俺の声に合わせて魔法を使い、俺が使ったように見せかけ、それを盾にあんたが戻ってくるまでの時間を稼いだんだ」
究極的に言ってしまえば、魔法は上位のモノ程、魔力の効率が上がるだけ。
1の魔力1の現象を引き起すのが初級であるのなら、百の魔力で万の現象を引き起こすのが上級。
エミルがやっているのは、魔力効率を度外視した力技。万の魔力を持って万の現象を引き起こし、初級の魔法を強引に上級に引き上げているに過ぎない。
「――――俄かに信じがたい話ではあるが、それはこれも同じか」
グリンハルドが持っていた、『ハルパー』、そして散々に苦しめられた『ハデスの兜』。
贋作でありながら、真作と同等の性能を発揮する規格外の代物。
それを手にした際、当然と言えば当然の疑問が沸いた。
「カルロよ、エミルに魔法の才が無いというのならば、最後のあれはどう説明するのだ?
それに、そなたはグリンハルドが投げ捨てた方を拾ってきたが、それは偽物であろう」
最後のあれとは、不可視であるグリンハルドの手中にある不死殺しの剣とカルロが持った、鈍らの剣を交換転移させた離れ業。
グリンハルドの姿を視ることができたとはいえ、高速で動き回るその姿を視界に捉えるのがやっとだった、エミルがいかに規格外の魔力を持っていたとしても実現できる技ではない。
「―――――なんだ、気付いてなかったのか。ありゃ、手品ともいえねぇ、子供騙しだってのに」
少なくとも、エルスに見せようもなら鼻で笑われかねない、お粗末な演出。
奇術師だの詐欺師だの、ありえるはずのないノエリアの戦線復帰で散々に揺さぶりをかけたからこそ、実行しようした、いわば苦肉の策だ。
だが、説明を求められるのであれば、説明しないわけにはいかない。
あの時と同じように、カルロは剣を逆手に上着を被せ、直ぐに取り払う。
当然のように、カルロの手からは剣が消えているが、冷静になって改めてみると、右手に持って上着が不自然であることに気づいた。
「まっ、そういうことだ。手品の基本、ミスディレクションっていうやつだな。
大げさに左手に注目を集めてりゃ、意外と右手には目がいかねぇもんだ」
種明かしをしてしまえばなんてことはない。左手に被せた上着を取る瞬間、左手に持った剣を上着で見えないように抜き取ったに過ぎない。
逆手に持ったのはその為。剣で上着が山なりになれば、この手品はあっさりとばれてしまう。
だからこそ、剣を逆手に持ち、抜き取っても不自然ではないようにしたのだ。
「――――だが、そうなると、グリンハルドが持っていたのは本物であろう。
あの時、我は確かにこの腕で受け止めたのだぞ?」
「そいつはもっと単純だ。態々、左腕と指定したのは、エミルが魔法をかけやすいようにするため。
そのひらひらした服なら、外から見えないように、袖の内側に結界を張るくらい、エミルにでもできるからな」
動き回るグリンハルドには、魔法を当てられはしないが、立ち止まっているノエリアになら、魔法を仕込むことは出来る。
並みの結界ならば、グリンハルドの斬撃を防ぐことなど叶わないが、エミルの魔力ならそれも可能。
グリンハルドから見れば、カルロの手品で、純血には通用しない偽物にすり替わったと、誤認しても不思議ではない。
「そんで最後、鈍らであんたに血を流させることができた理由、ここまで説明すりゃ分かんだろ」
「――――うむ。そなたが刺したのは右腕。不死殺しの剣にて、吸血鬼の不死性が失われている右腕であったな」
戦線復帰したノエリアが、完全回復していないことはグリンハルドも悟っていたが、それがいかなる理由であるか理解できるはずもない。
理解できなければ、事前の仕込みも合わせ、カルロが持っていた偽物こそ本物であると、ほぼ間違いなく思わせることができる。
そして、戦闘力で劣るグリンハルドが丸腰になれば、ノエリアに敵うはずもない。
「言うは易しが、これを土壇場で思いつくとは、そなたの慧眼には驚かせるばかりよ。
―――――クク、これだから、人間と言うものは恐ろしい」
「あぁ、そっちの面は信頼してくれ。
あんたには、俺らにはない武力方面で活躍してもらうからよ」
「任せておれ。そなたらといれば、退屈はせずに済みそうだ」




