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私の緑のドアはここですか?  作者: ひさし
真夏の夜に蠢く影
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エミルたちとノエリアの会合から一夜、シアが率いる野生の動物たちのネットワークにより、件の吸血鬼はあまりにもあっさりと、その根城を特定されていた。

街外れの、地図にすら記されていない知る人ぞ知る寂れた廃墟。

人の手であれば、見つけ出すのに時間が掛かるであろうが、野鳥一羽の目に留まれ居場所を特定するシアの捜査網にかかれば、苦ですらない。

そして、居場所さえわかれば、足踏みをする必要もない。

街灯が落ち、街が寝静まったころ、ノエリアは静かに闘気を漲らせ、腰を上げた。


「こんな分かり切った罠に飛び込むつもりか?」

玄関近くの壁に背を預けているカルロと、ノエリアの征く手を阻むように立ち塞がるエミル。

エミルは兎も角、カルロは引き留めるつもりもない。

既に、ノエリアの情報はエルスに伝えており、その意見は一致している。

ここに居るのは、あくまでエミルの付き添いであり、馬鹿な行動を止めるための保険。


「無論。罠だというのならば望むところよ。

若造の思い上がり事、粉砕してくれる」


罠だと分かっていても、ノエリアの意志は揺るがない。

そもそも、いくら罠を張り、万全の準備を整えていたとしても、それは独り相撲でしかない。

ノエリアにとって、混血の断罪は、戦いではなくギロチンの刃を落とすだけの作業でしかないのだ。


「せめて、もう1日待ってみない?

そうすれば、アルヴィル家だって、討伐に乗り出すから、安全に戦えるはずだから」


「エミルよ。そなたの、心遣いには感謝しよう。

だが―――――――――――――――――――――――――くどい」


長い瞬きの後、宝石のように美しい赤い瞳に、禍々しい黒が入り混じる。

その瞳に映った瞬間、世界から切り離されたような錯覚に陥った。

時間をおいて加速する思考。引き伸ばされた1秒に、何度も殺されるイメージだけが鮮明に浮かぶ。

たったの1秒だが、体感ではその何百倍の時間の錯覚に、訓練しているカルロでさえ、全身に怖気が走り、恐怖に足を縫い付けられる。

エミルに至っては、立つことはおろか、呼吸すらままならず、ごほっごほっと咳込んだ。


「分かったであろう。そなたら程度であれば、我は直に手を下すまでもない。

それは、この地に訪れた若造も同じことよ」


視線で殺す。それが文字通りの意味を持つ程に、絶望的な力の差を一目で理解させられた。

魔法も魔眼も何も使っていない。単純に、殺意を込めた視線を向けられただけ。

心配するなんておこがましい、この生物を相手に如何なる罠が通用するというのか。

自己至上主義者であるノエリアだが、その自己評価は何一つ間違っていない。

傾国であるというその美しさ、そして、いかなる武勇も知略も、捻じ伏せることができる圧倒的力。

正しいが故に、至上の存在だと声高らかに叫ぶのだ。


「案ずるでない。日の出にまでは戻ると約束しよう。

我を心配するなど、稀少極まりない出来事の記念だ。今度こそ我の写真を撮らせてやろう。

故に、しばし、休んでいると良い」


呼び止める気力さえ残っていない二人を後に、ノエリアは裁断場へと向かう。

一歩の跳躍にて夜空を舞い、二歩目にはその姿さえ捕らえ切れないほどの距離を移動する。

勝敗以前に、対峙した時点で終わっている。

それと同等の化物を、過去の人間はどうやって殺したというのか。

そんな益体もないことを考えながら、硬直した体がから力が抜け、ずるずると壁に寄りかかりながら、床に座りこんだ。


「おい、エミル、無事か……?」


「―――――う、うん……びっくりしたね」


「あれをびっくりで済ませるお前にびっくりだよ。

あの一瞬で百回は殺された気分だ」


お互い立つことすらままならないまま、空元気で笑い会う。

二度と経験したくはない体験ではあったものの、心配する必要はないと身をもって経験することができがたのは、決して悪いことではない。

時が過ぎ、ノエリアの帰還を待つだけのはずだったが、その安穏な未来予測は黒い影によって閉ざされた。


「――――っち、遅かったか……!」


「シア?なにかあったの?」


「エミルか。悪いな詳しく説明してる時間はねぇ。

奴ら、とんでもねぇ隠し玉を持ってやがった」


そういい残すと、すぐさま身を翻し、ノエリアの後を追い夜の街へとかけていくシア。

その不吉なおき台詞に、言い様のない不安を感じたエミルは、衝動的に外へと飛び出した。


「待て、この馬鹿野郎!

あんな化物連中の群れに飛び込んで、なにが出来るっていうつもりだ!」


混血と呼ばれる吸血鬼でさえ、カルロの手に余る相手。

そのカルロにさえ、たったの数十メートルで追いつかれる程度の運動能力しか持たないエミルに、いかに膨大な魔力を持っていたとしても、出来ることなんてたかが知れている。


「―――――シアが言っていた隠し玉のこと。カルロなら気付いてたよね」


「―――――あぁ……何があろうと混血じゃ純血には勝てねぇ。

そんな事、混血のやつらが一番よく知ってるはずだ」


それは、2人とも身を持って経験している。

不意を打ったというのに、カルロすら殺せなかった混血が、視線一つで殺すことができる純血の相手になるはずがない。

にも拘らず、この騒ぎは明らかにノエリアを狙っているのだ。


「―――――――――敵方にも純血がいる。

目的までは知らねぇが、間違いなく純血が裏を引いていやがるんだろうよ」


「だったら、せめてそのことだけでもノエリアに伝えないきゃ……!」


混血相手だったならば如何なる罠をもってしても、ノエリアに傷一つ負わせることは出来なかっただろう。

だが、そこに純血がいるのならば話は違う。

拮抗している者同士ならば、罠を仕掛けられているノエリアの方が圧倒的に不利に決まっている。


「いいか、よく聞け、エミル。

目的は分からねぇ。だが、このまま純血が世に解き放たれてみろ。どうであれ、碌なことにはならねぇ。

だからこそ、ノエリアには手傷の一つでも付けてもらわねぇと困るんだよ」


残酷的な選択ではあれど、これ以上に合理的な選択はない。

純血には純血を、罠にかかったとしても、ノエリアを無傷で倒すことは不可能に近い。

少なからず、敵陣営にも被害が出るだろう。

なにより、吸血鬼一人と街全員の安全など天秤に掛けられるはずがない。


「夜明けと同時にアルヴィル家が総戦力で、吸血鬼どもを掃討する。

指揮権はボンクラ息子だが、実質は姫さんが握ってる。

その中には、ルギニア・ローウェンだっている。

いくら、純血でも手傷を負って勝てる存在じゃねぇ」


もはや、どう転ぼうと、この街を襲った吸血達の運命は決まっている。

究極的に言えば、ルギニア単騎でさえ、壊滅的な打撃を与えることすらできるのだ。

それほどに、ルギニアという存在は外れている。

それでも尚、夜が明けるのを待つのは、日の光の下、能力が制限されるのを待ち、一人も逃がさず滅ぼすため。

敵対する者には冷酷無比に死を告げるエルスが指揮する舞台に失敗などありえない。

夜が明ければ、間違いないく吸血鬼は殲滅される。


「お前が姫さんを選んで、前を向き始めてるのは知ってる。

だが、ここは堪えろ。死んじまったらそこで終わりなんだぞ!」


エルスもメリルでさえも知らない、エミルが苦渋の果てに選択した決断をカルロだけは知っている。

親友であり恩人でもあるエミルの苦しみも悲しみも嘆きも、聞いてやることしかできなかったカルロは、忘れたくても忘れらない程、克明に記憶している。


「――――ねぇ、カルロ。本当に無理かな?」


「当たり前だろうが、純血の恐ろしさはお前だって身をもって知ってるだろう」


「うん、分かってる。それでも、本当にできることはない?

僕とカルロが協力して、ノエリアを助けることは出来ない?」


静かな蒼の瞳がカルロを映す。

純血の恐ろしさを知っている。頼みの綱であったルギニアの力も借りられない。何より夜明けまでと時間すら少ない。

まさに八方塞がり、エミルではこの状況を打開できることは出来ない。

だからこそ、その判断をカルロに投げかけた。

カルロが無理だというのなら、エミルはおとなしく諦めるつもりだ。

エミルとて、自分の命は惜しい。数日前に会った、ノエリアの為に命を捨てるつもりなんてない。

しかし、助けられるものらば、助けたい。

その想いを込めた言葉を、カルロは歯を食いしばり受け止めた。

冷静に考えるならば、たとえ嘘をついてもエミルを連れ戻すべきだろう。

夜が明け、目が覚めるころにはすべてが終わっている。

何度も何度も思考を繰り返しても、最適な答えはそれだ。


「―――――――ないわけじゃない。俺とお前が、そして、最低限戦える程度にノエリアが踏ん張ってりゃ、やってやれないことはねぇ」


それでも、エミルに嘘をつくことだけは、カルロの矜持が許さなかった。

やってやれないことはない。カルロが想い描く展開通りに運べば、純血を含めて掃討できる可能性もある。

だが、そこには必ず、死の危険性が潜んでいるのも確かなのだ。


「だったら大丈夫だよ。カルロがそう言うんなら、きっとできるから」


「――――――あぁ、くそ!分かったよ!付き合ってやる!

その代わり、姫さんとメリルへの言い訳は考えとけよ!

失敗したら、俺が殺されると思え!」


やけくそに叫びながら、カルロは腹を決めた。

純血どころか混血すらも手に余るというのに、戦力はたったの二人。タイムリミットは夜明けまで。

そんな状態で、敵の根城へと特攻をかけるという、あまりにも無謀な挑戦。

だが、2人の足取りは軽く、不思議と負ける気はしなかった。



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