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私の緑のドアはここですか?  作者: ひさし
真夏の夜に蠢く影
18/35

前回のノエリアの一人称を私→我に変更。

「ノーヴェンリシア・ヒルト・キルストフィーア、それが高貴なる我の名だ。

ふふん、言わずともわかるぞ。姿形ですら神の造形と呼べるほどに美しいというのに、名前ですら美しいともあれば、その称賛の声は一晩では足りぬほどであろう。

だが、今はこの身を忍ぶ時。その胸に宿る感情を吐露したい気持ちは分かるが堪えてくれ」


「ア、ハイ」


この僅かな会話で理解できたことは一つ。

理解するというよりも、関わりたくないというのが本音であることは、言うまでもないのだが、兎に角、黙っていれば美しいを字で行く存在だということだ。

口を開けば自画自賛。それが絶対の常識と、誰もがその美しさを讃えずにはいられないと疑わない、自己本位の化身。

それ一つ理解できた時、メリルの心中にあるのはただ一つ。


―――――――――この人は、絶対に兄さんに合わせられない……!


「えぇと、ノーヴェンリシア……様? 貴方様が美しいということは、一目で理解できました。

その美しさは、まるで夏の夜に浮かぶ満月のようです。

その美貌を隠してしまうのは、世界の損失と言っても過言ではないのですが、お忍びの身であるのなら、目立ちすぎるのではないでしょうか?

如何なる目的があるか存じ上げませんが、しばし、猫の姿でいるべきだと進言いたします」


ガリガリと、心の大事な部分が削れていく音がしながらも、猫の姿に戻るように説得するメリル。

あからさますぎる称賛の声は、行き過ぎて、馬鹿にされているとしか思えないのだが、自己本位の化身はそれが正しい価値観だと疑うことはなく、満足そうにうなずいている。


「うむ、うむ!真に素晴らしい!メリルと言ったな、その美意識を称し、ノエリアと呼ぶことを許そう。

我が美を讃える声は、星の数ほどに耳にしたが、夏の夜の満月とは言えて妙ではない!

素晴らしい!実に素晴らしい!ふはははっははははははははははははは!」


――――――あっ、駄目だこれは……


ちょろ過ぎる、ぽんこつ女王様風のノエリアの高笑いに、メリルは全てを諦めた。

早々に見切りをつけたメリルは、間近に迫っている悲劇を回避するため、脱出を試みようと、腰を上げようとしたが、それは有頂天になっているノエリアによって阻止された。


「ちょ、離して!離してください!」


「ふふ、愛い奴め。

よかろう、それほど我の話が聞きたければ、とくと聞かせてやろうではないか」


「――――――シア!隠れてないで出てきなさい!貴方が連れてきたんでしょう、責任を持って相手をしなさい!」


メリルの叫びもむなしく、シアはメリルがおだて始めた頃から、既に家を飛び出していた。

振りほどこうにも万力のような力で抱き留められ、逃げることすら叶わず、誇大妄想じみたノエリアの武勇伝を聞かされ続ける。

何故、品行方正で通ってる自分がこんな理不尽な目に晒されなければならないのかと、泣きが入りつつあるとき、更なる災悪が足音を立て近づいてくる。


「あれ、メリルのお友達?ごめんね、気付かなくて。

すぐにお茶を持ってくるから、ゆっくりしていってね」


ノエリアの膝の上で、泣きそうな表情で捕まっているさまを見ても、エミルの目にはじゃれついているようにしか見えない。

だが、その程度なら、付き合いの長いメリルにとって、驚くべきことでもないのだ。

カメラを持ち、きょろきょろと辺りを見回しては、沈んだ表情を見せるエミルに、助けてもらうよりも、一刻も早く出て行ってほしいと、信じてもいない神に祈ったが、やはり神はいないなかったらしい。


「少年、探しているのは美しい黒猫の事か?」


「――――はい。やっぱり、もう出て行っちゃったのかな……」


「時に少年よ、その猫の目を覚えているか?」


「すっごく綺麗な赤色でした!深みのある赤色なのに、鮮やかで宝石みたいで……

――――せめて、一枚くらい写真を撮っておきたかったなぁ……」


「ふふっ、分かっているではないか。よかろう、ちこう寄れ。

我の瞳、身に覚えがあろう?」


瞳孔が縦に長い猫目。その色彩は、先ほど絶賛していた赤色。

まさかと、驚愕に表情を染めるエミルと、口にするであろう称賛の声を待ちわびるノエリア。

そして、この先に起こる悲劇に巻き込まれまいと、じたばたと暴れるメリル。


「―――――貴女が、あの猫なんですか……?」


「ふふん。やはり、我の美しさは猫になった程度では隠し通せぬらしいな。

だが、我の美しさを誰よりも先に理解した、その審美眼は見事!

本来ならば、我の美しさは残すものではなく、目に焼き付けるものだが、その審美眼に対する褒美だ。

存分に、我の美しさを形に残すがいい」


「あ、ありがとうございます!」


もはや、茶番でしかない正体の開示に、純朴なエミルは大げさに驚いて見せ、その反応に満足したノエリアは、これ以上ないほどの上機嫌で立ち上がった。

ここまで来た以上悲劇の回避は不可能。

しかし、その災禍から逃れる最後のチャンスを、メリルは見逃さなかった。


「ノエリア様、美の女神すら霞んでしまう御身を写真に残すとなれば、私如き者が隣にいては、その価値も下がるというものです。

心惜しくはあるのですが、この抱擁を解いてはもらえませんか」


自力で抜け出すことは不可能。

だからこそ、このタイミング。

自らを至高と信じているノエリアが撮られるなら、完全な形でしか残さないはず。

故に、余分であるメリルは、解放される。

一部の隙もない、完璧な論理ロジックを前に、希望の扉は開かれる――――――――――――――はずだった。


「―――――メリルよ……会って間もない我の事をそこまで理解してくれるとは……

そなたの忠誠、真に感服した。否、忠誠という言葉は間違いであるな、我が友よ」


「―――――はい?」


メリルを拘束、もとい抱擁する手は全く緩められるどころか、むしろ強まる。

一部の隙もない完璧な論理は、一瞬で瓦解し、どんな化学反応か、涙さえにじませるノエリア。

もっとも、メリルの論理は決して間違いではなかったのだ。

ただ、その前提、非常識な存在に常識が通用するという想い違いが、最大の失態。


「友が友を想う、これが忠誠などと呼べるはずがないな。

そなたの友情に、我は感動した。そなたの心遣いは真に嬉しいが、そう謙遜するでない。

確かに、我は三千世界の頂点に立つものであるが、そなたも、十分に愛嬌のある顔立ちよ。

なによりも、その美しき心こそ、妾の隣に立つに足りる証。

少年よ、褒美と言った手前だが、我が友が並び立つことを許してくれるか」


「――――ずびっ、はい……! よかったね、メリル!」


―――――ど・う・し・て・こ・う・な・っ・た・!


理不尽さえ感じさせる流れに、エミルとノエリアとは別の意味で涙を滲ませるメリル。

なぜこんな厄の塊を押し付けられた挙句、火に油を注ぐ瞬間にまで立ち会わなければならないのか。

その時頭に浮かんだのは、ひたすらに胡散臭い、片目に傷のある憎たらしい黒猫だった。


「シア―――――――ッ! もう、二度とあんたに餌なんて上げませんからね――――――――ッ!」


「そうかそうか、叫ぶほどに嬉しいか。

だが、暴れるでない。友の契りを結んだ記念が、台無しになるであろう」


「嫌がってるんです!今すぐ、この場から逃げ出したいんです!


「案ずるでない。我と比べられるのは確かに苦痛であろう。

しかし、そなたは中傷する輩は、我が薙ぎ払ってやろう」


「もう、いや――――――――ッ!なんですか!いったい何を言えば、私の気持ちは正確に伝わるんですか!」


「少年、どうした? 早く、撮らぬか」


形振り構わず、暴れまわるメリルを容易く抑え込むノエリアは、いつまでもカメラを構えないエミルに催促するが、エミルは逆に首を傾げた。


「―――――どうしてって?ノエリアさんこそ、どうして、猫になってくれないんですか?」




偉そうな一人称の『妾』ですが、調べてみると、その昔、女性がへりくだるときに使う言葉だそうです。

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