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私の緑のドアはここですか?  作者: ひさし
真夏の夜に蠢く影
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「――――――珍しいな……」


午前の授業が終わり、いつものように、学園奥にある応接室という名のエルスの私室へ出向いたエミルだが、この昼食会を初めてから、この部屋が無人なのは初めてのことだった。

少し、迷ったエミルだが、いt、エルスが戻ってきてもいいように、持ってきたお弁当を温め、その間に、お湯を沸かし始める。

その数分後、愛嬌のある顔に分かりやすく、不機嫌の表情を張り付けたエルスが、ハクに車椅子を引かれ戻ってきた。

「後はお願いします」 と一礼すると音もたてず、扉を閉め立ち去った。


「先輩、今日の私は近年、稀なほどに不機嫌です。

なので、嫌なことが帳消しになるくらい甘やかしてください」


欲に正直すぎる、要望に苦笑すると、エルスを膝にのせ、優しく頭を撫でた。

心地よすぎてダメになると、常時は禁止している行為だが、申告通りよほどストレスがたまっているのか、媚びるように、顔をすり付け、ほぅ、と熱い息を漏らした。


「やっぱり、昨日の騒ぎのせい?」


「間接的には、そうです。

あぁ、思い出すだけで腹立たしい……

足を引っ張るだけなら、まだしも、先輩との時間を5分も奪うなんて万死に値します」


「それじゃあ、過ぎた時間を惜しんでないで、少しでも楽しい時間にしようか」


本当に死刑宣告を行いかねないほど、不機嫌なエルス。

エルス専属侍女であるハクですら手に負えないそれを、エミルは笑みを崩すこともなく、接する。

呪詛のような愚痴をこぼしつつも、エミルにあやされながら、昼食を摘まむうちに、口元には少しずつ緩んでいき、身にまとっていた怒気はすっかり霧散していた。


「吸血鬼って、実在したんだね……

カルロが、無事で本当によかった」


「基本的に表舞台には出てこない夜の一族ですからね

ここまで、痕跡を残すのは前例がないくらいです」


昨晩、襲われたのは、カルロたちだけではない。

カルロたちのように撃退できず、血を吸われ怪我をした被害者は一晩で5名。

これでは、専門家でなくとも犯行は吸血鬼によるものだと、答えを出すだろう。


「鼠探しには、罠を張るか、人海戦術が鉄板だというのに、罠を張れるほど、鼠の餌もわからなければ、人海戦術に最も適した私を外すなんて、非効率にもほどがあります。

無能なら無能らしく、引っ込んでいればいいものの……ふにゃぁ……」


再び暗黒面に墜ちようとしていたエルスを、ぎゅぅっと抱きしめ、意識を逸らす。

エミルにここまで甘やかされながらも、苛立ちを思い出させる相手ならば、問答無用で地獄に叩き落とすエルスだが、それはあくまでアルヴィル家の権力が届く範囲内の話。

当然のことながら、同じアルヴィル家の人間。

それも、従兄筋にあたり、エルスと同じく時期頭首候補ともあればそうもいかない。

幼いながらも、とある魔導書に選ばれ天使を使役することができ、その他の能力も申し分ないエルスだが、致命的に体が弱いこともあり、頭首候補の中では下位に位置している。

もっとも、エルス自身、頭首の座など欠片の興味もなく、地方の閑職で、アルヴィル家の権力頼りにのんびり過ごしたいと宣言しており、吸血鬼狩りという点数稼ぎには興味なんてない。


「―――――しかし、司令官は無能とはいえ、現場の人間はアルヴィル家の精鋭です。

不意を打っておきながら、学生すら仕留め損なう小物程度、いかに吸血鬼の身体能力を持っていても数日中に決着はつくでしょう。

ですから、その数日の間、可能な限り、夜間に出歩かないでくださいね」


全てはエミルの安全の為。

点数稼ぎなど興味のないエルスが、態々、顔を出したのはそのためだ。

それ故に、先を越されまいとエルスを操作から外した、その従兄には苛立ちが隠せないでいる。


「―――――でも、なんだか変だよね。

いくら表舞台に出ないからって、アルヴィル家の力を知らないはずないと思うんだけど……」


甘やかされ、気を抜きすぎたと、エルスは顔をしかめた。

可能な限り、エミルには危険な目にあって欲しくないエルスは、余計なことを知って欲しくもない。

いつものエルスならば、吸血鬼という情報は危機感を持たせるために開示しても、被害者が5名という情報は伏せていただろう。


「先輩は余計なことを気にしないで、私の事だけ気にしていてください。

具体的には、何度も申し込んでいる求婚の件です」


エミルに背を預けるように膝に乗っていたエルスは、身を翻し、吐息がかかるほどの距離で碧眼を見つめる。

色素の薄い水晶のような瞳に自身を映したエミルは、きょとんと、呆けた顔をすると、一転して困ったような笑顔で額を合わせた。


「ねぇ、エルス。僕は何処にもいかないよ

エルスを一人にするなんて、心配で僕には出来なから」


「――――――今日のところは、それで、誤魔化されてあげます」


全面の信頼を置くハクにすら見せない、エミルだけにしか見せない、年相応の無邪気な笑顔で微笑みあう。

幾度も繰り返し更新され続ける約束は、1日1時間もない、2人だけの聖域が存続している証。

この時間だけは、世間を騒がせる吸血鬼も、エルスを取り巻くお家騒動も、世界の存続に関わるエミルの秘密も何もかも忘れ、穏やかな時間が過ぎるのだった。



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