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私の緑のドアはここですか?  作者: ひさし
真夏の夜に蠢く影
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「――――――お、美味しい!」


気まずい雰囲気は、何処へ行ったのか。

並べられた料理を口にした途端、目の色を変えて、味だけではなく、見た目も鮮やかな料理を次々に頬張っていく。


「まだまだ、おかわりはあるから、いっぱい食べてね」


「て、天使……! 天使がここに居るッ!」


「飯くらい静かに、食えねぇのか」


エミルの料理が美味いということに異論はないが、行儀が悪いにもほどがある。

本当に、見てくれしか良いところがない、残念美少女に、息を吸うように嫌味を飛ばすカルロだが、ルルーナにとって、滅多にどころか人生で初めて食べるような御馳走による多幸感に、いつもなら過剰反応する嫌味でさえ気になっていない。


「お兄ちゃんから聞いてたけど、ロングベル君ってホントに料理上手なんだね!

このお肉なんか、口の中で蕩けるくらい柔らかくて、すっごく美味しい!

ロングベル君だったら、お店開けるよ!」


「あはは、それは僕の腕っていうよりもお肉そのもののが美味しいからだと思うよ。

ランク自体はそこまで高くないけど、宝石牛のお肉だからね」


「―――――ほ、宝石牛……? 宝石牛って、あの超高級食材の宝石牛!?」


養殖が不可能と言われ、辿り着くことでさえ困難な秘境の地にのみ生息する、最高級の食材としてあまりにも有名な宝石の名を関する牛肉。

その最高位である金剛ダイヤの名を持つ、金剛鎧牛ダイヤバイソンともなれば、そもそも討伐することができないほどに強力な魔獣であり、キロ単位で億の値が付きかねないほどの高級品である。

今、食卓に出ているのは、8種類の内、下から3番目に位置する、蒼玉水牛サファイアバッファローの肉ではあるものの、それでも一般庶民では一生縁のない値がつけられている。


「―――――ロングベル君って、実はものすごいお金持ちだったりするの?」


「違うよ。これは、エルスのお弁当に使っている食材で余った物でね。

エルスも僕も、あんまり食べる方じゃないから、こうやって余った物はみんなで食べてるんだよ」


「ちなみに、店を開けるレベルってのも間違いじゃねぇぞ。

このレベルの食材を扱えるようにってことで、姫さんの屋敷の料理長から直々に教わってるんだからな。

そこらのプロより美味いのは、ある意味当然だな」


エルスと出会った当初は、昼食の時間になれば、屋敷から届けさせていたのだが、好き嫌いの激しいエルスは、殆ど箸をつけることはなかった。

その時に、『先輩が作るものだった食べますけど、態々嫌いなものを食べたくありません』と言った発言が事の始まり。

その日から、エミルはエルスの為に昼食を用意してきたのだが、相手は舌の肥えたお嬢様。

エミルが作ってきたという理由で、嫌いなものも渋々食べていたのだが、どうせなら美味しく食べて欲しいという理由で、屋敷の料理長に料理を教わり、ついでに、侍女であるハクから、礼儀作法、お茶の入れ方を学んだのだ。

そんな、エミルの献身に心を打たれたエルスも、今となっては好き嫌いも殆どなくなり、毎日の食事を楽しみにするようになったほどである。


つまり、ルルーナの前に並んでいる料理の一部は、超高級食材を使い、一流の料理家が作った、庶民には一生縁のない物なのである。


「それって、殆ど、お姫様の屋敷で働いてるってことじゃないの?」


当然、その道の職人である料理長や侍女であるハクには及ばないものの、アルヴィル家という最上級のスペックが要求される職場ですら通用するエミルは、従業員として数えてもおかしくはない。

しかし、エミルは慈愛を含んだ微笑みで首を横に振った。


「これは、僕がやりたくてやってることだから、お給料をもらっている人たちとは違うよ」


清々しいほど清廉なエミルの在り方に、自らも天使だと称しながらも疑惑が浮かぶ。

確かに相手は、アルヴィル家の令嬢であり、一国の姫よりも立場は上だろう。

そんな相手に仕えるのならば、それくらいの努力が必要だということもわかる。

しかし、エミルは仕えているわけでもなければ、色恋を覚える相手でもないと言うのだ。

博愛と言えば聞こえはいいのものの、ここまで来れば異常だ。

いったい何が、エミルをここまで突き動かしているのか、その疑問はすぐに解消されることになる。


「エルスは強いんだよ。本当は僕の助けも支えも必要ないくらい、孤独の中でも自分を見失わず成すべきこと成せる強い娘なんだ。

だけど、そんな生き方は寂しいから、だから、僕だけはエルスの上でも下でもなく、対等の立場でいてあげたい。

これは僕の我儘なんだから、エルスに不自由させないように努力するのは当然なんだよ」



















「御馳走さま。ありがとう、ロングベル君、とっても美味しかった」


「ううん、よかったら、また来てくね

でも、他の人には内緒にしてだよ」


人差し指を口元に当て、ウィンクをする、可愛らしい仕草があまりにも似合っている、エミル。

何か理由があって、男のふりをしているのではないかと、本気で疑いたくなるほどだ。


「分かってる。こんなに美味しい料理が食べられるんなら、殺到しそうだしね。

それじゃ、お邪魔しました」


「うん、また、明日。カルロ、夜道に女の子一人じゃ危ないから送って行ってあげて」


「お前は俺の母親か。ガキじゃあるまいし、帰るくらい一人でも……あぁ、分かったよ。

だから、その顔はやめろ」


ルルーナを招いた食事会が終わり、ルルーナが帰宅する時間となり、その付き添いとしてカルロが付いていくこととなった。

食後に雑誌を流し読みしていた、カルロは当然渋ったものの、エミルの言うことには逆らえず、夜道を二人並んで歩く。

一方的に敵意を持たれているルルーナと二人でいれば、また、突っかかってくるだろうと、どんなシチュエーションでもあしらえるように、準備していたが、予想に反してルルーナは黙ったまま。

不審と言えば不審だが、放っておいても害はないだろうと判断し、お互い口を開くことなく、静かな夜道を歩いていると、不意に、ルルーナが口を開いた。


「ロングベル君って凄いね」


「惚れんなよ。どう穏やかに言っても、姫さんに殺されるぞ」


「――――――無理だよ」


即座に切り返された否定の返事に、初めてルルーナの方を向くが、その表情に心配は無用だと書いてあった。

色恋に浮かされた表情ではなく、羨望や尊敬、もっと言えば畏怖したような表情。


「人間としての徳……っていうのかな。

正直、ロングベル君が地上に降りてきた神様だって言っても信じられるくらい、同年代の人間に思えないもん。

友達としてなら優しくて尊敬できるいい友達になれるとおもうよ?

でも、ロングベル君と付き合うなんて無理。最初は、若さとか勢いとかでなんとかなるかもしれないけど、そのうち、絶対に気づかされる。

―――――――――――――私なんかじゃ、ロングベル君に何もしてあげられないんだって」


ルルーナの独白に、カルロは口を挟まない。

なぜなら、それは決して間違った評価ではないからだ。

そう思わせるくらいに、エミルは人間として完成度が高い。

超一流の職人から支持しているとはいえ、独学でしか会得していない調理技術を、たったの数年でエルスの舌を誤魔化せるほどまでに腕を上げたのだ。

その多岐に渡る才能だけでなく、人間不信の極地と言ってもいいエルスですら気を許す慈愛を持つ、エミルに誰よりも近くなった時、並大抵の人間ではその光に焼き尽くされるだろう。

そして、エミルはそれすら赦すのだ。

その光の大きさに嫉妬しても、比べるまでもなく卑小な己への失望も、諦観からの絶望も、エミルはその慈愛で赦す。

博愛主義などとんでもない。

エミルは、多くの人間を救う英雄には決してなれない。

勿論、多くの人間を救うために行動するだろうが、究極の選択を迫られたとき、エミルは必ず身内を取る。

博愛主義というにはあまりにも贔屓が強く、独善的というにはあまりも優しい、人間らしい矛盾を内包しつつも、破綻しない安定した精神。

未だに成長を続けるゆえに、完成しているわけでもない、まさしく未完の大世。

それこそが、エミル・ロングベルという少年だと、ルルーナは評価した。


「お姫様や、カルロ君が、慕っている理由が分かった気がする」


「買い被り過ぎた。確かにあいつは凄いやつだよ。

だけどな、あいつだって失敗はするし弱いところだってある、普通の人間だよ」


「――――――うん、そうだね……

でも、やっぱり、私にはロングベル君と対等でいられる自信はないかな。

好きとか嫌いとか言う前に、尊敬しちゃいそうだよ」


まだまだ、付き合いが浅い段階で、そんな感想を抱くあたり、やはり、普通とは言い難い感性を持っていると、未だに危険因子の一つとみなしている、ルルーナの分析を行っていたとき、尋常ではない寒気に突き動かされ、ルルーナを突き飛ばした。


「―――――――ッ、いきなりなにしやがるんだ、てめぇ……!」


暗がりで顔ははっきりしないが、金髪の女は、長い髪を幽鬼のように垂らし、カルロの腕を切り裂いた爪に付着した血を舐めとる。

その五指から伸びる長く鋭い爪、その長さは30㎝は超えており、人間では身体的構造的にあり得ない人外の化生。


「―――――――カルロ君、お兄ちゃんを呼んだから、あと1分耐えて」


「初めて、その肝の太さに感謝したぜ」


突如訪れた命の危機に、冷静な判断を取れる人間がどれほどいるだろうか。

それも、何の訓練も積んでいない女学生が取れる行動ではないが、今はその異常さに助けられた。

もっとも、1対1の戦い、それも格上の相手に、1分という時間は中々に高難度だ。

なにせ、人間はあれだけ鋭利な爪でなくとも、尖ってさえいれば場所によっては簡単に死ぬのだから。


―――――――まぁ、1分くらいならどうにかなるか……!


しかし、カルロの決死の覚悟は、空を切るように、金髪の女は獣じみた動きで闇へと消えていく。

突如現れ、突如消える、不可解な動きに困惑するカルロとルルーナの元に、ルギニアが空から飛び降りてきたのは、その1分後。

無傷なルルーナの無事を確認すると、怒りを滲ませる。

その一部始終を、屋根の上から見下ろしている麗しい黒猫の存在には誰も気づくことはなかった。


「――――――しばらく、荒れそうだな……」




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