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「めでたしめでたし、と言いたいところですが、まだ、事後処理が残っています。
このまま、二度と先輩に関わらないのであれば、これで終わりにしますが?」
ローウェン兄妹に質問しているように聞こえるが、実際、この兄妹の意見など、エルスは考慮にすら入れていない。
しかし、この期に及んで、エミルがこの兄妹を見切るという選択を取るとも思えない。
ならば、無駄に否定的な立場を貫いて、エミルの心象を下げるよりも、あえて慈悲深い態度を取りつつ、エミルの意見に同調する立場を取った方が、あらゆる意味で都合がいいと、打算まみれの言葉を口にした。
「エミルには悪いんだが、ルルーナがここまでやってくれたんだ。
―――――まぁ、それになんだ……お前らとなら上手くやっていけそうな気がする。できれば、このまま絶交ってのは勘弁し欲しい」
「兄の方がこう言っている以上、隠れブラコンの妹の意見は聞く必要はありませんね」
「ブラコンじゃない!」
泣かせる程辱めても、まだ、いびり足りず、しっかりと皮肉を挟み、ルルーナの叫びを無視しながら、二枚の書類をハクから受け取る。
「契約書です。貴方たちが、口を割らないと祈りたいところですが、口約束だけで済まされるほど軽視していい問題でもありません。
兄の方だけならば、ある意味安心できましたが、妹の方もとなると話は別です。
――――――――先輩がどんな存在であるか、その危険性を含めお話しします」
それを聞いてしまえば、聞かなかったことにはできないほどの重要な機密事項。
先ほどまでの温い空気は消え去り、再び重苦しい空気が部屋を支配する。
「ちなみに、契約を破ったらどうなる?」
「端的に言うと死にます。死因は様々でしょうが、そういう契約書だと思っていてください。
もっとも、この契約書でも貴方を殺せるとは思わないので、貴方の場合は、妹の方にその呪いが降りかかると思ってください」
アルヴィル家が用意する最上級の契約書。
この一枚で、家が建つほどの価値を持つ、絶対順守の呪い。
それですら、殺せないと評価するが、その矛先がルルーナに向いているのであれば、ルギニアにとって自身の命を奪われるよりも重い対価だ。
対価が対価故に、筆を執るのを躊躇うルギニアだが、ルルーナは躊躇いなく、その契約書に名を刻んだ。
「これでいいのね?」
「その度胸だけは評価しますが、もう少しよく考えて行動しないと、以前の二の舞になりますよ?」
「書かせるまで、逃がさないつもりでしょ?
だったら、躊躇うだけ時間の無駄よ」
その思い切りの良さに、溜息をつき、ルギニアも契約書に名を記した。
二枚の契約書は、黒い炎に包まれ、その灰は、目に視えない呪いとなり兄妹へと降りかかる。
生涯、エミルの秘密を口にすることは許されず、口にすれば死をもって契約を順守させる最高位の呪い。
そんなたいそうな呪いを受けた兄妹だが、気にすることもなく、エルスの前に立つ。
「―――――いいでしょう。貴方たちの意志は伝わりました。
ですが、先輩の秘密の前に、目障りなほどに似ているその顔をどうにかするとしましょう」
エルスが指を鳴らすと同時に、目にも止まらむ速さで、ルルーナがハクに拉致される。
悲鳴を上げる間もなく、部屋の外に連れ出された、数分後、何事もなかったように、入室してきたハクに続いて、一目で印象の変わったルルーナが入ってくる。
降ろしていた髪は、片方に寄せ纏め、縁の薄い眼鏡は、気品と知性を感じさせる。
「どうですか、先輩? これで少しは先輩のお姉さんの面影は隠れましたか?」
「う、うん。すごいね、別人みたい」
「いくら顔が似ていようと、髪型を変えて、目元を隠せば意外とわからないものですよ。
―――――さて、多少の髪型の変更は認めますが、眼鏡は必ず掛けておくこと。
これが、先輩の前に立つ最低条件です」
いきなり拉致されたかと思えば、いきなりのこの仕打ちに、文句の一つも言いたくなるのだが、これでも温情を掛けられたと、ハクから脅されていた為、口を紡ぐ。
これで、エミルが未だに面影を見せると言えば、長い髪はバッサリ、整形すら視野に入れられるところだ。
酷い理不尽だが、頼み込む側であるルルーナは、苦々しくも要求を呑むしかない。
「よろしい。では、本題に入りましょう。
先輩が、生物として考えられない魔力を持っていることは既に知っていますね」
「生物って……そんなにすごいの?」
「貴方の兄を殺すことができると言えば、理解できますか」
世界最強とは比喩でもないほどの力を持つルギニアを殺すことができる、その意味が誰よりも理解できるルルーナは、猜疑心に囚われる。
なにせ、宇宙空間ですら活動でき、山一つ軽々更地にできる程、外れた存在だ。
その存在を殺すことができるなんて、地上に隕石を落とせると言われた方がまだ現実的なくらいだ。
「無理に信じる必要はありませんが、そういう存在だと思ってください。
そして、もう一つ、これこそ何より隠し通さなければならない秘密です」
超常の兄と並ぶ、超常の存在が抱えるもう一つの秘密。
アルヴィル家の姫が、最高級の契約書を用意するほどまでに、厳守するその真実。
緊張に喉が渇き、瞬きを忘れるほどに、一語一句を聞き漏らさぬよう集中している中、エミルの口からその真実は語られた。
「理由は分からいけど、僕は魔力が一切回復しないんです」
勿体ぶったにしては、そんなものかと、拍子抜けしているルギニアとは対照的に、驚きを隠せないルルーナ。
魔力が回復しない、それは単純に魔力が使えなくなるというだけの問題ではないと、知っていれば、誰しもがルルーナと同じ反応をするだろう。
「エミル君……どうして、生きてるの?」
その言葉に返事を返すことができるのは誰もいない。
魔力とは、神秘によって自称を引き起こすために必要なエネルギー。
そのエネルギーがどこから供給されているのか?
それは、肉体と精神を結び付けている魂と呼べるモノだと言われている。
生きている限り、肉体と精神が存在する限り、貯蔵量や供給量の差はあれど、魔力は日々生産され続けているはずなのだ。
それがないということは、すなわち死んでいると定義しても間違いではない。
「この事が知れれば、先輩は確実にモルモットいきです。」
なにせ、死んでいるはずなのに、生きている。
それは、不老不死の足掛かりにもなる。
世の中に不老不死を望む者は、古来よりはいて捨てるほどいるのだから。
「何より恐ろしいのは、先輩の経歴を調べられることです。
私と同等の権力があれば、この現象が後天性のものだと簡単には調べが着きます」
「――――――――後天性……それって、誰かがエミル君をこんな体質にしたってこと?」
「人間かどうかはさておき、人為的であることは、ほぼ間違いありません」
前例を見ないエミルの症状。
魔力の測定は体力測定と同じく、本人がごまかそうと思えばいくらでも加減がきく。
しかし、魔力が回復しないという奇病に関しては、隠そうと思えば隠せるだろうが、そんな症状を医者に一度も相談していないはずがない。
エルスが調べた限り、エミルの両親は普通の一般人。
怪しげな研究に携わっていた経歴もないのだ。
調べれば調べるほど、後天性の症状であるという証拠が出てきてしまう。
「誰が何の目的でこんなことをしたのかわかりませんが、これほど使い勝手の良い兵隊はありません。
強力な力を与えるうえで、最も恐ろしいのは、裏切り者が現れることですが、それも魔力が回復しないことを教えなければ、勝手に弱体化し、処理も安易です。
こんな人間兵器が、世に出回れば、惑星の一つや二つ、簡単に滅びるでしょう」
文字通り、世界を滅ぼしかねない正体不明の力。
エミル自身、何故この力が、その身に宿ったのか、分かっていない。
はっきりしているのは、家族を失い失意のどん底にいた時、目が覚めた時には、莫大な魔力を手にしていたということだけ。
「理解できましたね?
貴方たちの軽率な行動が、世界の破滅に繋がると、魂に刻み込んでいてください」
これにてプロローグに当たる第一章は完結。
次回から第二章、真夏の夜に蠢く影 のスタートです。




