Ⅰ
この作品は過去に投降した『僕が本気を出せない切実な理由』を開講した作品です。名前と設定以外、ほぼ一新されていますが、前作は数日後に削除します。
更新はぼちぼちなので、気長にお付き合いください
「元の場所に戻してきてください」
轟轟と吹き荒れる雨風が窓を叩き母屋を軋ませている、春の日の事。
十年に一度だの、地球温暖化が原因だのと、言われる大嵐の中、ずぶ濡れになって帰ってきた少年を向かい入れた少女は、怒っているようで呆れているような表情で、無慈悲に告げた。
「この嵐の中に、戻して来たら死んじゃうよ!?」
いっそ、暴力的とすら言っていい暴風雨は、木々を薙ぎ倒し、瓦を吹き飛ばしている。
視界も定まらず、まっすぐ歩くことすらままならない中に放り出されれば、冗談抜きで命の危機に関わらる。そうでなくとも、未だ肌寒い春の始めに、この雨は体に悪いことこの上ない。
「――――――ふぅ……いいですか、兄さん?
私には忘れらないトラウマが2つあります。
一つは、カル兄と兄さんが、ベッドの上で絡み合っているところを目撃したことです」
一部の女子には喜ばれそうなシチュエーションだが、至って健全なメリル・エーヴェンス。
栗色の髪でショートボブ、端正な顔立ちをした優等生は、青ざめた表情で当時のショッキングな絵面を思い出し語る。
「あれは事故だって何度も説明したのに……」
優等生の少女にトラウマを植え付けた少年の一人である、エミル・ロングベル。
メリルからたびたび、妬ましい目で見られるサラサラの金髪に、初対面の相手には十割で実年齢よりも下に見られる、同年代よりも低い身長と童顔の少年は、批難めいた声音ながらも、頭の上がらない相手故に、小声で呟く。
ちなみにカル兄とは、メリルと同じ栗色の髪を刈り上げた肩幅の広く、隆起した筋肉と鋭い目つきの大男である。
「そして、肝心な2つは兄さんと動物園に遊びに行った時のことです。
あの時は、本当に死を覚悟したんですからね……」
青ざめるだけではなく声を震わせ、当時の事を思い出す。
エミルが近づけば、檻の中にいる動物たちが殺到しするだけならともかく、調教されているはずの緑玉虎と呼ばれる額に緑の宝石が生え、爪は緑玉のように美しい、温厚でありながら凶悪な力を持つ獣が、檻を破壊しメリルと共に動物園に来ていたエミルの元へと走ってきたのだ。
全長三メートルを超え、200㎏を超える巨体が自動車すらも追い越す速度で一直線に向かって来る、あの時の恐怖は大の大人ですら腰を抜かすだろう。
「あの子は遊んで欲しかっただけじゃないか……」
「普通の人間は、押しつぶされたら死んでしまうような動物と遊ぼうなんて考えないんですよ!
―――――――まったく、いいですか、兄さん?
兄さんは、動物相手に強力な魅了を無自覚に振りまいているといい加減に自覚してください。
誰しもが兄さんみたく動物に懐かれるというわけではないんです」
誰しも、脱走した緑玉虎に跨り、動物園を走り回れるわけではないのだ。
当然、動物園は大パニック、エミルに連れられるがまま緑玉虎の背に跨り、安全装置なしのジェットコースターの気分を味わい、大泣きしたのは今も深くメリルの心にトラウマを残している。
それ以来、虎はおろか、大型犬ですら苦手になり、動物園には近づきもしていないほどなのだ。
だというのに、幼いころに特大のトラウマは2つも植え付けた当の本人は、捨てられている犬や猫を見ると、言いつけを破ってこっそりと飼おうとする。
その繰り返しの末にメリルは、匂いで部屋に動物を隠していないか分かってしまう限定的すぎるスキルを手に入れてしまっていた。
「一匹でも飼ってしまえばあとは芋ずる式です。
兄さんはこの家で動物園でも作るつもりですか……!」
静かに怒りをにじませ、反論など許さないと苛烈な炎を瞳に宿らせ、エミルを睨みつける。
今度の今度こそ、この天然博愛主義者に現実を叩きこまなければと、意気込むメリル。
しかし、エミルは困惑した表情で、小声で呟いた。
「――――――でも、メリル……今回は人間なんだけど……」
拾ってきたのが動物ならば理屈も通るが、今回は人間なのだ。
この嵐の中、気を失い命の危機に瀕したところを助けるという善行を咎められる理不尽に、頭があがらないはずのメリルに、むっとした表情で反論する。
「――――――だからに決まっているでしょう!」
しかし、そのほんの僅かな克己心は、息がかかるほどに近い距離から放たれる怒号によってかき消された。
その余りの理不尽に、怒りや驚きよりも、なぜ?と疑問が先に来るほどだ。
しかし、はぁはぁ、と顔を真っ赤にして肩で息を切らすほどに興奮にしているメリルに、「どうして怒ってるの?」なんて聞こうものなら、「どうして理解できないんですか、ぶち殺しますよ!?」と次なる怒号が飛び出すに決まっている。
ここは下手な言い訳をするよりも、吐き出させるだけ吐き出させた方がいいと、過去の経験から判断し、一歩距離を取った。
「――――ッ、いいですか、兄さん! 兄さんの容姿はそれはもう、無駄に可愛らしいんです! 髪だってサラサラで、肌だって妬ましいくらい綺麗ですし! だいたい、男のくせに、どうして私よりウエストが細いんですか!」
「――――せっかくカロリー計算までしてるのに、間食するからだよ……」
「正論なんて聞き飽きてるんですよ! 口ごたえしない!」
ギロリと、鬼すら逃げ出しそうな血走った眼で、冷静を失っているばかりに話がそれ、男であるはずのエミルに女として負けている不満をぶちまけている。
古来より女のヒステリックは、聞き流すと相場が決まっているにもかかわらず、正論で火に油を注ぎ、炎上させるのもいつものこと。
さらに、メリルも年頃の女子であり、美に関しては敏感な年頃だというのに、男であるエミルに劣るという事実はどうしても鼻についてしまうのだ。
「――――――――ふぅ……ふぅ……いいですか、兄さん? いつぞやの文化祭の時に男子生徒から告白された兄さん? 私は同性愛なんて非生産的で非道徳的な忌むべきものだと思っているんです」
「僕にとってもそれはトラウマだから思い出させないでほしいんだけど……」
「しかし、個人の趣味嗜好まで口を出すほど、私は暇ではないんです。
――――――ですが! 身内がその対象になっていて! 寒気がする妄想話を聞かされる私は! そのたびにトラウマを刺激されているんですよ!」
ひそかにエミルのトラウマを踏んでいるメリアだが、何度も何度も思い出したくもない絵面を連想させる話を、一部の女子から持ち掛けられる日頃の鬱憤は、その程度では止まらない。
迂闊なことをしないようにと、何度も何度も口にしているにも拘らず、一月も経てば新しい話題を作り、メリルの神経を逆撫でしているあたり、それも、自業自得。
ここまで言われれば鈍感であるエミルにも、メリルの怒りの理由が理解できた。
「――――――どうして、男なんですか! しかも、また無駄に美形なのを連れてきて! 私を怒らせて楽しんでいるんじゃないでしょうね!」
そう、エミルが背負い連れて帰ってきたのは、黒髪に日に焼けた麦色の肌、一目見ただけで鍛えられていると分かる細身でありながら筋肉質な美男子。
さぞ女子に人気であろう風貌は、エミルとセットになると別の意味でも人気になってしまうこと間違いなく、親し気にしていれば、また聞きたくもない妄想話を耳にすることになってしまう。
「女の子と仲良くしても起こるじゃないか……」
「あの女狐でなければ、歓迎していましたよ!
私の心の安寧の為に、交際するまでのお手伝いまで請け負いますよ!
それなのに、どうして唯一の女友達が、あんな性根の捻くれた女狐なんですか!」
メリルの目下一の悩みの種である、女狐こと、エルス・アルヴィルの名を出してた途端、再び燃え上がる怒りの炎。
黙っていれば、もう理性的になっているであろうに、本当にわざとではないかと疑ってしまうほどに迂闊で懲りない少年である。