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勇者は恐れない

 邪悪とは何か?

 弱さから生じる全ての物である。


 フリードリヒ・ニーチェ。

 神歴一八四五年。双貌月二一日。

 神聖アーク皇国南部ノルア砦は、シャイタルニア地方東西連合による侵略を受けていた。

 一つの共通言語と神聖文字神を信仰する五百万人が生活をするユトゥン大陸には、大小合わせて三十四の国が犇めいている。その中でも取り分け巨大で力を持つのが、約一二〇〇年の歴史を持つ神聖アーク皇国である。北部の豊満な大地と山々、そして広大なる海を背景にした資源的な意味合いは当然として、『神聖』の名からも伝わるように、神聖文字神を創造神とするこの大陸の一神教を強く崇めており、宗教的な支配力も極めて大きい。

 そして当然ながらその支配力も完璧ではない。

 神歴六〇〇年頃、神聖文字神が現世に遣わせた救世主と最後の食事をした三人の預言者達が王と認めた一族がアーク皇国の起源であるのだが、実はこの晩餐を共にした人物達には諸説がある。三賢人(予言者)が主流ではあるのだが、十三人の弟子だった、救世主を処刑した王国の重鎮、はたまた運命を司る天使、救世主を誘惑するデーモン、等々だ。

 結果、ユトゥン大陸では信者同士の聖書の解釈による小競り合いが長年続いている。

 そして例え小競り合いに買った所で、或いは負けたところで、先祖代々続けて来た信仰を変えることなどできるわけがない。シャイタルニア地方は元々十三人の弟子達こそ本流とする国家の集まりであり、それ故にアーク皇国との戦争を繰り返していた…………はずなのだが、ここ三百年程は何度も負けたアーク皇国に対する恨み辛み、或いは高い生活や文化レベルに対する嫉妬と言った面が強くなっているきらいがあった。

 そして左右を高い崖で囲まれたここノルア砦は、シャイタルニア地方東西連合に最も近い砦の一つであり、過去二〇〇年の間に四度にも渡り大群を撃退させた難航不落の砦として名高い。

 否。名高かった、と過去形で言うべきか。

 ノルア砦が名誉を失い、汚名に塗れたのは、今から一週間程時を遡る。大小二〇にも及ぶ国が集まった連合軍は、黒色火薬なる今までの物とは比較にもならない高性能の火薬を用いた大砲を導入。砦の横の断崖絶壁に陣取ると、昼夜を問わず砲撃を開始した。

 新型火薬を利用した大砲は、砦に取り付けられていた従来の大砲の二倍近い射程距離を誇り、発射される弾丸も二周りは大きかった。堅牢な砦の外壁は易々と砕かれ、崖の下と言う地理的な要因も手伝って砦側の反撃は無為に終わる。

 不規則にしかし止むことのない新型大砲の対処の手がない攻撃に加えて、敵兵の数は実に砦の七倍。皇国の兵士が如何に屈強で訓練されていようとも、戦術や戦略でひっくり返るような戦力差ではなかった。

 そんな絶望的な戦い――否、蹂躙が続くこと一週間と少し。過去の栄光から慢心が少なからずあった皇国側では、既に兵士の一〇分の一が返らぬ者となり、更にその二倍近い数が負傷兵となっていた。同じように民間の被害も大きい。二〇〇年の不敗が故に、避難経路や緊急時の連絡網などまともなわけもなく、歴史に今までなかった避難は遅々として進んでいない。

 なんとか迎えた十日目の朝ではあるが、誰の顔にも絶望の色が濃く、今日にでもこの砦は落ちてしまうのではないか……誰もがそんな不安を抱えていた。食料は備蓄が豊富にあり、士気を少しでも上げようと戦時とは思えない豪勢な料理が振舞われていると言うのに、それを食べている者は少ない。

 今までの常識を超えた砲撃。過剰とも言える兵力の差。他の砦も同時侵攻されており援軍は見込めない。

 信心深い皇国の兵士達は、今から頂くのが最後の朝食あるかのようにその顔は絶望色に染まっている。誰もが正門前の巨大な広場で身体を小さくして震えながら片膝をつき、頭を垂れ、目を堅く閉じ、手を組んで深い祈りを捧げていた。

「ん? マーリン。それを食べないのか?」

 そんな中、一人の兵士の声が砦の広場に響く。十代後半の若い男で、支給された簡素な鎧兜と剣から見るに、緊急徴兵された砦で暮らす民間人だと一目で分かる。彼は一緒に徴兵された二つ下の友人が持つ木製のボールにスプーンを突っ込み、大きめにカットされた、しかし確りと火が通って柔らかくなったジャガイモをすくい取る。

「ガーランド。君こそ良く食べられるね」

 それを咎めることなく、マーリンと呼ばれた少年が呟く。周りを見れば、誰も彼もが祈りを捧げており、食べきれなかったスープを返却に行く兵士達の姿もあった。まともに食事をしている人間は、全体の一〇分の一にも満たないだろう。

 冒険譚に憧れていた孤児のマーリンは、幼馴染のガーランドに誘われるがまま、砦に残って戦うことを決めたのが一週間前。開戦の前日だ。

そして自分の楽観的な判断を後悔したのが一週間前。開戦の瞬間だ。

 止まない砲撃。繰り返される怒号。吹き飛ぶ城壁。宙を舞う兵士。血と汚物の臭い。

 マーリンは戦争を舐めていた。少しばかり剣の腕に自信はあったが、戦場ではそんな物は何の役にも立たない。まだ余裕が合った内に、避難しておけば良かった。切にそう思う。

「ふむ。確かに、朝食を楽しんでいる場合ではないかもしれないな」

 すっかりと自分の分の配給食を食べきったガーランドは、そう言って木製の皿とスプーンをマーリンに押し付ける。

「そろそろ、頃合いだな」

「頃合い? もしかして、砦から逃げる気かい?」

 受け取った皿を地面に優しく置き、渋々と自分の分のスープを食べながらマーリンは「君にしては名案だ」と疲れ切った笑みを作る。

 敵前逃亡は重罪ではあるが、このまま戦が続けば間違いなく皇国軍は負けてしまう。そうなれば連合軍に殺されてしまう確率が極めて高い。最悪命が助かっても、三年耐えられれば奇跡と言われる鉱山での強制労働。いや、医学や科学の発展の為に麻酔もなく腹を切り開かれたり、怪しい薬を飲まされて苦しみ悶える姿を観察されたりするかもしれない。

 それらを考えれば、逃走に失敗して捕まったとしても、軍規に則って斬首される程度のリスクは余裕で受け入れることができる。

「何を言っているんだ、マーリン」

 が、ガーランドは首を横に振ってその提案を否定した。

「皆が絶望に伏している。ここから逆転すれば、俺は英雄だぞ?」

 そして、そんなことを言った。

「は?」

 言葉の意味が一瞬理解できず、マーリンの中の刻が止まる。英雄? そんなものは現代の戦場に必要ない。仮に必要とされるとしたら、それは一個の武勇で戦場を支配する戦士ではなく、無数の雑兵を束ねて運用する指揮者としての英雄だ。

 この場にはガーランドの指示に従う兵士なんて良くてマーリンしかいない。

 だからガーランドは英雄にはなれない。

 しかしガーランドは止まらない。その場で支給品の剣を抜くと、

「さあ! 遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! 我こそは皇国が剣! 古き剣聖の血脈継ぐ者! 未来の英雄! ガーランドであるぞ!」

 広場の片隅でそんな風に叫んだ。ハリのある良く通る声で、絶望が沈殿していた静寂な砦全体に響いているようだった。マーリンは手の中の皿を落とし、足にかかったスープの熱さを感じることすらできない。

「ったくよ! どいつもこいつも死んだような面をしやがって! ボケ共が! 神に祈っているんじゃあねえよ! 時間の無駄だ! 辞めちまえ! あいつが俺達に何をしてくれた? この剣を打ったのは職人だ! そのスープを作ったのは料理人だ! お前を産んだのは母ちゃんだろうが! 役立たずのクズになんて祈るのは辞めろ! 神はとっくの昔に死んでんだよ!」

 ようやく現実に思考が追い付いたマーリンの鼓膜を震わせるのは、幼馴染の怒声。しかも、皇国人にあるまじき神の否定。いや、既に否定と言う段階を通り越している。例え狂人であろうとも『神は死んだ』等とは口にできない。異端者となるからでも、異端審問会が恐ろしいからでもない。

 神がいると言うのは、あらゆる前提なのだ。

神がいたから世界があるのであり、神が生きているから自分達が生きている。

 神がいない、神が死んだ世界なんて、存在するわけがない。

 それはこの世界の常識であり、節理であり、自然であり、絶対だ。国家ですら、神の存在に頼り、怯え、頼り縋って運営されている。

 あまりにも巨大で、未知で、残酷なこの世界を、神なくして生きて行くことがどうしてできるだろうか?

 ガーランドの常識外の台詞に驚いたのは、無論マーリンだけではない。むしろ、常日頃のガーランドの奇行や型破りさを知っている彼が受けた衝撃はまだ少ない方だろう。広場の他の兵士達は、罰当たりな発言を否定するように更に祈りを強くした。ガーランドの無法を謝罪し神に許しを請う姿は、如何にも信心深い皇国人らしい。

「膝を折るな! 立てなくなるだろうが! 背筋を伸ばして胸を張れ! お前等は生きてんだよ! 目を開けて自分の眼で見て、自分で考えろ! 指を絡ませるな! 拳を握って大切な物を守って見せろ! 祈っている限り、お前等は無力なブタだ!」

 しかし自分を否定する周囲にガーランドは更に吼える。荒々しい足取りで広場を真っ直ぐに歩いて向かう先は巨大な正門。実に三万を超える敵の本陣が敷かれた方向だ。ルノア砦は精巧に方角を計算されて建設された正方形の砦であり、兵士達が集まっているのは最も南に位置する巨大な広場で、本来であれば税率の低い市場が開かれている場所を、ガーランドは我が物のように堂々と進む。

 一体、何をする気なのだろうか? マーリンはいざとなったら土下座してでも自分だけは助かろうと心に決めて、幼馴染としてガーランドを止めるべくその後を追った。

「ちょい! ガーランド! 流石に不味いって!」

 マーリンは幼馴染の肩を掴む。が、自らの意志で前へ前へと進むガーランドは止まらない。「何が?」と首を傾げる彼は、何の抵抗も感じないように速度を落とすことなく、ずるずるとマーリンの身体が引き摺られる。

 尋常ではない体力に今更驚いている猶予はない。

「お前が! マジで、天罰下るって」

 まるで子供を躾ける様にマーリンが言った。悪いことを行えば、必ず天罰が下される。神は天上で全てを見ているのだ。天罰が下されずとも、神の代理人たる皇の統治の元、罪人には相応しい罰が与えられる。

 馬鹿な友人ではあるが、友人は友人。マーリンは「本当に、頼むから」と懇願する。

「それは都合が良い」

「お前の都合とかどうでもいいから」

 しかしガーランドには取り付く島もない。

「神の野郎! 殺せるものなら殺して見やがれ! ばーか! ばーか!」

 数打ちの鈍ら剣で天を指し、幼稚な罵倒の言葉を上げるガーランド。マーリンは恐ろしくなって、咄嗟に祈りのポーズを取ってその場にしゃがみ込む。「ぼくは関係ありません。僕は関係ありません」と呪文のように呟き、せめて自分だけは天罰から逃れようと無関係を主張する。

幸いにも、神は聴いていなかったようだ。人々の絶望を嘲笑うような爽やかな青空から、裁きの雷が落ちることはなかった。マーリンはほっと一息を吐いて慎重に立ち上がろうとして、「あいて?!」と小さな悲鳴を上げる。

 こつん。兜を被った彼の頭に小石がぶつかった。安物であろうが、流石は軍の支給品。兜のおかげで痛くはなかったが、マーリンは「なんなんだよ」と石が飛んで来た方向へと視線を向ける。

「――ひっ!」

 そして、思わず息を飲んだ。無数の視線と、マーリンの視線が交錯したのだ。

 いや、それはマーリンを見ているわけではなかった。広場中の人間の注目を集めているのは、彼の知り合いであるガーランドだ。

 冒涜的な台詞を続けるガーランドに、敬虔な信徒である兵士達の我慢は限界を超えたようで、否、既に兵士達の精神は限界であったのだろう。差し迫った死と言う絶望に摩耗した精神が、怒りと言う形で最後に燃え上がっているのだ。全員が血走った眼で彼を見ている。

 広場中の人間は『こんな不信心な人間がいるから俺達がこんな目に!』なんて考えているに違いない。良いことは神からのご褒美、悪いことは神からの罰や試練。そう考えるのが宗教と言う物なのだから。

 このまま周囲の憎悪をかき集めれば、広場中の人間が武器を取ってガーランドを殺さんと迫って来ることだろう。

「ったくよ! おい! お前達! 死ぬのがそんなに怖いか!」

 しかし全く臆することなく、投げつけられる石やスープ皿と罵声の中を、ガーランドはそれでも真っ直ぐに進んで行く。マーリンが追いかけることを諦める程の飛来物を、彼は払うことすらしない。

 その代わりに、堂々と声を張る。自分の存在を証明するように、力強く喋る。

「俺だって怖い! 死にたくない! だが、安心しろ! 今から俺が一切の恐れもなく死んでやる! 死が怖くないことを、この俺が! このガーランドが身を持って証明して見せる! 神ですら取り除けない恐怖を、俺がどうにかしてやる!」

 そして遂に、ガーランドは巨大な正門へと辿りついた。木製の重厚な造りの正門ではあったが、既に何箇所か砲撃で破れている箇所があり、積み上げられた土嚢や打ち付けられた木の板のせいで頼りになる様には思えない。

 もう少しでも攻撃が加えられれば、容易く打ち破られることは明白だった。

「良く見ておけよ! このガーランドが億千万の兵を前に臆さずに挑む様を! 億千万の砲撃を潜り抜け、億千万の槍の間を抜け、億千万の剣を砕き、そして億千万の憎悪と共に、億千万の刃に貫かれながらも、たった一抹も恐れを抱かずに死んでいく所を! 笑いながら死んでやろう! 憶病なお前等の為に、慈悲なき神の代わりに、俺が一度、死んでやろう! 安心しろ! 死を前に俺は笑ってやる!」

 小さく「決まった」と呟いて、ガーランドは土嚢を乗り越え、即席の補強を蹴り飛ばし、正門から堂々と砦を出る。いや、出撃したと言うべきだろうか?

 あっけにとられて、マーリンも、他の兵士もその背中を見送るしかなかった。その時になって、作戦本部からお偉いさんの「何をしている!」と鋭い声が飛んで来たが状況を説明できる者は一人もいない。






 ――そして、ガーランドは英雄になれなかった。

 知者は迷う事はない。仁者は悩む事はない。勇者は恐れる事はない。

 孔子の有名な一説です。格好良いですね。

 因みに、この場合の勇者とは『力の使い方を誤らない』人との意味だと安藤ナツは解釈しています。

 電撃の魔法を仕えたり、何度死んでも生き返ったり、特別な力を持っている人のことを勇者と呼ぶのではありません。

 不正を働かないこと、悪事に手を染めないこと、誘惑に負けないこと。

 誠実さから、正義から、善意から、何かを拒絶することができる力が勇気なのかもしれませんね。

 でもまあ、その正しさって言うのは何処から生まれるんでしょうか?

 私達の正義は、絶対性を永遠性を持つものなのでしょうか?

 つまり、神様はいるんでしょうか?

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