その2
親友の会津 仁に手伝ってもらって、狐面を被った変な語尾のリズベルト・パールホルン(愛称リズ)と、ほんわか天然ドジっ子妄想家の水野 巫女を保健室に運び込み、保健室にいた先生は「またお前らか」と言いたげな表情を浮かべながらも慣れたように迎えてくれた。
どうやら先に教室に行ったと思っていた小さな女の子、森井 ひとよが、教室ではなく保健室に行って前もって知らせてくれていたようだ。
『いやー、死ぬかと思ったミ』
「復活早いな!?」
運んでいるときは完全に伸びてたのに、恐ろしい子! と仁が感心してるんだか何だかよくわからないことを言っている。
「いやぁ〜、いいものを見せてもらいましたぁ」
――水野も流石だな……。
こちらも赤いキラキラまみれからいつの間にかいつもの状態に戻っているし、良いことがあった後のような、ほんわかと満足気な表情を浮かべている。
その満足感は、俺のてれた顔によってもたらされたと思うと、なんというか……やるせない?
『ワタシはこのままベッドで一眠りしたいミ』
「そおか、オレらは行くわ」
「お大事にですぅ〜」
「…………またくるわ」
――じゃあな。
『待って待って! おいてかないミー!』
リズの一言は冗談と分かりきっていたので、みんなの阿吽の呼吸で保健室に置いて行こうとしたのだが、ベッドから飛び起きて付いてきた。
あれだけ痛い思いをしたのにも関わらず、すでにピンピンしている。
ひとよとリズの攻防(一方的)はだいぶ前から続いているからか、ひとよの攻撃力が桁違いにレベルアップしているし、同じようにリズの耐久力もハンパない。
保健室の先生にお騒がせしましたと、軽く会釈してから全員で退室。
――色々あってうやむやになってたけど、ひとよはもう大丈夫なのか?
「…………へぃきょ。もぅだぃじょぅぶだから」
暑いのは苦手なのだろう。好きな人などそうそういないだろうが、ひとよは特に低血圧そうだし、暑さにはすぐ参ってしまいそう。髪もふわふわしてて量も多いから、見てるだけでも暑い。
夏真っ盛りなこの時期は、ひとよには辛そう。
外を歩いている時よりも少し元気になったみたいだけど、早く教室に行って冷房の恩恵に与ろう。
俺と似たようなことを思ったのか、仁が、
「そういやリズのそのお面は暑くないのか?」
元気の塊みたいな人だからあまり気にしたことはなかったが、言われてみれば確かにリズが被っている狐のお面は顔全体を覆っている。
顔半分を覆うマスクをつけるだけでも蒸し蒸しして腹が立ってくるというのに、あれだけ騒いで酸欠になったりしないのだろうか。
『別ミ? もう慣れちゃったし、ちゃんとそこらへんは考慮してるミ』
「考慮って? 実はお面ひんやりしてるとか?」
『それもそうだけど――』
そうなのか。
『この狐面は空調設備が充実してるミ』
「空調設備?! 相変わらず謎の技術力だな……!」
リズは手が器用で、機械をいじるのが好きなのだとか。すでに機械の枠をはみ出して、お面にまで手を加えているのだから感服せざるを得ないが、彼女は好奇心旺盛なため何にでも手を出してしまう。
それが原因で巻き添えを食らったことは数知れず、思い出すのも憚られることもチラホラあったり無かったり……。
『暑い日は冷房が。寒い日は暖房が。花粉を完全シャットアウトするフィルター付きミ! イライラした時はマイナスイオンまで出ちゃうミ!』
そのお面は一体何で出来てるんだ。
「わたしって花粉症なので、ちょっと羨ましいですぅ」
困ったような笑みを浮かべる水野。
花粉症の辛さは万国共通だろうが、花粉症対策としてリズ手製の狐のお面をつけるのはいかがなものかと。すれ違う人々全員がお面をかぶっているとか……。
軽い戦慄が走った。
『でもミ、過ごしやすいのは顔面だけだミ』
「…………まぁ、そぅなるわょね」
やっぱりな、とでも言いたげなひとよ。
空調設備を搭載しているのはお面だけ。装着している間〝顔だけは〟涼しいというわけだ。
……ビミョーだ。ちょっと羨ましいと思ってしまっただけにガッカリ感が襲ってきた。
一歩後ろからそんなやりとりを聞いていると、リズが突如として走り出す。
『だから教室の冷房に飛び込むために急ぐミ!』
あれだけ元気なリズでもこの暑さには勝てないのだろうか。誰よりも早く教室へ入るために飛び出したが、それが仇となった。
つるーんっ。ゴツン。
『ふガッ?! ……ミィィィ〜〜……』
どれだけ痛かろうがあの語尾の口癖は欠かさないのな。
何が起きたのかと言えば、廊下に落ちていた雑巾を踏んで滑って、すってんころりんすっとんとん。後頭部に巨大なたんこぶでも出来たことだろう。
――ある意味バナナで転ぶよりもレアだな。感動した。
「…………しんぱぃしなさぃょ」
「見事な転びっぷりだったな。あれが可能なのは他に水野さんくらいしかオレは知らない」
「ふぇえ?! わ、わたしですかぁ?! いくらなんでも雑巾で転んだりはしませんよぉ!」
プンスカ怒って、必死にそんなことはないと訴える水野だが、この場にいる誰もが同じことを思っている。
雑巾でも転ぶだろうな、と。
『くっはぁ〜……ぐおぉ……ミ』
「だ、大丈夫ですかリズちゃん?!」
後頭部を抑えながら未だに悶えているリズに駆け寄る水野。結構痛そうな音してたし、いくら耐久力が鍛えられていたとしても後頭部はさすがに人間の弱点か。
介抱しようと慌てて駆け寄る水野。
「ひゃぁ?!」
つるーんっ。べちゃぁ。
「あ、転んだ」
「…………ころんだ、わね」
――雑巾ですらなかったな。感激した。
「…………だからしんぱぃしなさぃょ」
水か何かで床が濡れていたらしく、足を取られて水たまりに浸かってしまった。床に置いてあった雑巾はこの水を拭いている最中のものだったようだ。
誰かが途中で床拭きを中断したようだが、それだけで二人も犠牲者が……。
「…………だぃじょぅぶ、みこ?」
「はいぃ……。怪我はないんですけど、お尻が濡れちゃいましたぁ……」
手を貸して水野のことを起こしてあげるひとよ。それと同じことをまだ唸っているリズにもしてあげてくださいひとよさん。
そうしないのは、頑丈さに定評があるからか。そういう意味で信頼しているのか。
――確か一時間目から体育だったよね。すぐ着替えて干しておけば乾くかも。
「そうしますぅ」
そして俺は未だに唸っているリズに手を貸してやった。いくらなんでも可哀想というか、痛々しい。力を入れることのできない後頭部は防ぎようがないのだから。
『あ、ありがとミ……ひょ?!』
――どういたし……ひょ?
俺の手を取って立ち上がるリズだが、どこかを見て急に身が竦んだようだ。視線の先を追って見てみると、そこにはひとよがいた。
こちらを猛禽類さながらの瞳でガン見している。
気のせいだろうか、背後に「ゴゴゴゴ……」という文字が浮かんで見えるのは。
『さ、さぁ気を取り直して行くミ!』
誤魔化すように言って先行するリズ。心配させまいとして気丈に振舞っているのか、それとも本当にもう痛くないのか。リズならどちらもありえそうだからわからなかった。
「うへぇ……引っ付いて気持ち悪いですぅ……」
「やっぱり定番は白なんだな……」
とそれぞれ呟きながら目的地である教室目指して歩き始めるが、一人だけ俺の手をキュッと握ってきた。
言わずもがな、ひとよである。
――? どうしたんだ?
「…………」
俺の問いには答えない。
しかし不満そうな、なおかつ緊張したような複雑な表情を浮かべていることは見てわかる。俺もひとよも口数が多い方じゃないが、だからこそこうして態度で伝えようとするわけだが……。
『ハハーン? さてはヒトヨさん〝上書き〟だミ?』
「…………!!」
ついてこない俺たちを待ってくれていたリズが、閃いたように言う。
上書きとは一体どういう意味だ? セーブデータを上書き、の上書きか? あるいは上履きと聞き間違えたか?
『「…………アマテルの手はわたしだけのものなんだからー」ミたいな?』
お面で顔は見えないが、ニヤニヤと笑ったように言って口元に手をやるリズ。ひとよの声マネをしていたようだけど、似てはいなかった。
「…………ち、ちがぅわ。天照まですべらなぃょぅにしょぅと……」
頬を染めてもじもじと言い返すひとよ。それを見て「ひとよちゃん可愛いですぅ!!(ブッシャァ!)」と赤いキラキラを噴射していた。
――ありがとな。
ぽふっ。なでなで。
「…………〜〜っ♡」
不思議と撫でたくなってしまう小さな頭を素直に撫でていると、徐々にひとよの顔が赤くなってきて〝ボシュン!〟と湯気が。
さらにそれを見て「はふぅ……!!(バタンっ)」と水野の妄想が暴走する。
「お二人さんよ、このクソ暑い日にお熱いのは勘弁してくれ。水野さんにトドメを刺す気か? 早く教室行こうぜ」
――いや、そんなつもりは。
しかし仁の言う通り、水野にトドメを刺したくはないし、いくら取り繕ったところで暑いものは暑いし、早いとこ教室に行って涼もう。
やっぱりひとよの頭の羽角みたいな癖っ毛は直らないな、などと考えながら今度こそ教室へ。
「とうちゃーく!」
と教室の前でテンション高めに仁が盛り上がっているが、
――お前の教室は隣だろ。
「ぐぁ、そうだったぁ……! どうして俺だけ別クラスなんだよ?!」
「…………きっと日ごろのぉこなぃね」
『下着なんか見るからこうなるミ』
「さっきのは不幸(?)な事故だろ?! ってバレてたぁ?!」
「仁くんたちみみみ見たんですかぁ?! ハ、ハンカチてすぅ!」
――ハレンチな。……って俺も?!
仁は確信犯かもしれないが、俺は本当に見てない! 見えなかった! 誓ってもいい!
冤罪になりそうなところをひとよにフォローしてもらいながら、仁とはここで別れて教室の扉を開ける。
『これで涼し…………くないミ?!』
――冷房がついてない?
「と、とりあえずわたし着替えてきますぅ」
「…………」
心地よい冷気に包まれた教室に入った瞬間のあの清々しさがゼロだった。期待していた分だけむしろマイナス点の方が多い。
な、なぜだ。どうしてクーラーが起動してないんだ。ショックすぎてひとよなんか一言も発せていないぞ。
入り口付近に設置されている操作パネルを見てみると〝error〟の文字がチラついていた。いくら操作してみてもこちらの入力を一切受け付けない。
昨日は動いていたのに。
――リズ、原因は?
『暑さによるオーバーヒートだろうミ。冷房もこの暑さに参っちゃったんだミ』
機械はどうしたって稼働させていれば熱が発生する。冷却や排気が不十分だと、熱に弱い機械はリズの言う通りオーバーヒートを起こしてダメになってしまうわけだ。こうなってしまったら専門の業者さんを呼んで直してもらう他ない。
だが、このクラスにはその手の鬼才が君臨している。
そう……リズベルト・パールホルンだ!
『そんな期待を込められた目で見られてもさすがに出来ないミ』
――む。できないのか?
『技術的には可能ミ。時間と場所が悪すぎるんだミ』
「…………わたしが天井につきさしてぁげましょぅか? そしたらそのまま作業できそぅじゃなぃ」
『ヒトヨさんのアッパーカットを喰らった日にはそのまま昇天しちゃうミ?!』
別の意味で昇天して変な性癖に目覚めてしまいそうだな。下駄箱でも似たようなことされてたけど。
「…………じゃぁ直るまでは、ァレでがまんしろとぃぅのね」
ひとよがダルそうに指差す先。
教室の角には、申し訳程度に稼働している扇風機が一台あった。かなり黄ばんでいて、時代を感じさせるレトロな年代物がゆっくりと首を左右に振っている。
近くの席の人はいいかもしれないが、ちょっとでも離れたら風が来なくて涼しくないし、温まった空気をただかき混ぜているだけ。
ここまで「気休め」という言葉が適している状況もそうそう無い。
『そうだミ!』
ぽん、と手を打つ。何かいい案を思い付いたようだが、不安だ。
「お待たせしましたぁ。なんの話してるんです?」
制服から体操着に着替えた水野が戻ってきた。赤い短パンに白いシャツといういかにもオーソドックスなやつだが、制服の中に一人だけ体操着がいると浮いているな。
本人は全く気にしていないようだからいいけれど。
『この扇風機を改造して風速300mくらいの威力を発揮できるようにしようって話だミ』
――台風を軽く超越してるんだけどそれ。
「…………きょぅしつがぐちゃぐちゃね」
「ほえぇ〜……お空も飛べちゃいそうです!」
――その後が悲惨だ……。
軽く死人が出るだろう。ちょっと暑いからってひとクラスが犠牲になるのはいくらなんでもまずいでしょう。
「よっす遊びに来たぜ! って暑?! なんで冷房ついてないん?」
扉を開けて普通に入ってきた仁。自分の教室に荷物を置いて涼んでから来たのだろう。腹立つくらいに清々しい表情を浮かべていた。
――リズ。その改造どれくらいで出来る?
『5秒でいけるミ』
「…………じゃぁ今すぐやって。そしてぁぃつにたぃけんしてもらぃましょぅ」
「お空に飛ばすんですね?!」
「なにその悪い表情?! オレなにかやったか?!」
一人だけ涼んできた罰だ。思い知れ!
『スイッチオン、ミ!』
光速で改造を終えたリズが、仁に向けて扇風機をセットし起動。
何もかもを吹き飛ばし、窓ガラスを突き破って遥か彼方のお空へ飛んで行った仁だった。