サイコレズ
目が覚めると、見慣れた天井。カーテンに遮られた朝日は鈍く部屋を照らしている。
枕元に置かれた卓上カレンダーを見る。私じゃないバツ印が日曜日を潰していた。
「あー、今日月曜日か……」
久礼衣が付けたのだろうバツをなぞって、離れがたい布団の温もりから這い出す。コーヒーを淹れるためににお湯を沸かした。
朝ご飯はいいか、と鏡の横に置かれたクローゼットまで歩いていく。
自分の服装に気を使うのは面倒で、気が乗らない。久礼衣の着る服なら何時間だって選んであげられるのに。
彼女のことを思いながらクローゼットを開けると、中は輝いて見えた。
新品の箱にはラッピングがしてあって、小さなメッセージカードが添えてあった。
『これは紗枝子へのプレゼントです。似合うと思ったので。私はもう寝るけど、学校がんばってね。いってらっしゃい あなたの愛する久礼衣』
メッセージカードを胸に抱きしめて、私は大きく息を吸った。
さっきまであんなに体が重たかったのに、今はスキップだってできそうだった。
沸いたお湯をカップに注ぎ、唇を湿らせる。
服の包装を丁寧に剥がし、値札を切る。
下着からアウターまで、一式揃ったプレゼントに袖を通していく。
女性に服を贈るのは脱がせたいからだ、とは言うが久礼衣はどうだろう。
そう考えると、口元が自然と緩んだ。今日寝るときはこの服を着たままにしようか、なんてね。
少し冷めたコーヒーを呷り、かばんを掴んで靴を履く。
このブーツは久礼衣のお気に入りなのだ。
講義を受けている間中、ずっと手鏡で自分の服装を眺めていた。講義は頭に入らないが、頭に入れなければならない内容もない。
そんなことよりも、この服のお礼をしなければ。今日の帰りにでも、何か買って帰ろうか。
チャイムが鳴った。退屈で有意義な時間はおしまい。これからは退廃的な私たちの時間だ。
教室を出るとゼミの友人Aに話しかけられた。
「おーい、連頭ちゃーん」
「……なに?」
気付かないふりをしようかと一瞬迷って、振り返る。
そこにはチャラい格好のイケイケな女の子が立っていた。
「あ、その服新しいの? チョー似合ってるよー」
「……ありがと」
それは素直に嬉しい。もっとも、誰がなんと言おうと、この服は世界で一番私に似合ってるんだけど。
「それでさ、今日これから暇? もし良かったらコンパ来ない? ウチの男子も来るんだけどさー」
その話は昨日に知っている。その時もちゃんと断ったはずなのだ。
「ん、ごめん。今日は家族と約束あるから」
ゼミの友人Aは少し複雑な顔をして、言った。
「また、お姉さん? ほんと、仲いいよねー」
「ん、まあ、そうかな」
お姉さん、とは違うが、仲が良いのは事実なので頷いておく。こいつも偶には的を射た発言をするらしい。
「じゃあ、また」
言って、大学の外に向かって歩き出す。そうだ、久礼衣にはケーキを買って帰ろう。きっと、喜んでくれる。
ケーキを買って帰宅。悩んでいて、少し遅れた。カーテンに遮られたままの部屋は光が入らず薄暗い。
ケーキを冷蔵庫に入れて、扉にマグネットでメモを書いておく。
振り返り、鏡の前に立つ。
久礼衣が選んだ服を着ている私の姿。きっと、かわいい。
鏡の中の、愛しい自分。
***
目が覚めると、見慣れた天井。カーテンに遮られた朝日は鈍く部屋を照らしている。
「おはよう私……」
カレンダーを見ると、昨日の日付に私じゃないバツ印。
「んー、今日は日曜日かぁー」
とにかく布団から這い出す。朝日がカーテンに遮られながらもさんさんと照っていた。
少し明るい部屋を見て、今日は出かけようと決める。
その前に何か食べようと考えて冷蔵庫の扉をみると、小さなメモ書きが貼ってあった。
『おやつ入ってます。良かったら食べてください。あなたを愛する紗枝子』
急に愛おしくなって、私はメモを指先で触る。
冷蔵庫を覗いて、これは後で大事に食べることにした。
食パンを焼いて、ジャムを塗って食べる。私たちの好きなオレンジジュースを飲んで、立ち上がった。
大きな姿見の横にある、クローゼットを開く。オシャレは好きだ。紗枝子ちゃんも、もっと可愛い格好をすれば、もっともっと可愛くなるのに。
今日は機嫌が良いので、お気に入りの服で身を包んで、お気に入りのブーツを履いた。
「行ってきます」
紗枝子ちゃんが寝てるから返事はないけど、あいさつは大切なものだと思うのだ。
明るい陽射しの中、街を踏んで歩く。
行く先々で、店を冷やかしていこう。気に入った物を覚えて、頭の中で比べて、買うかどうかを決める。
今月の私の自由に使えるお金はと、考えたところで前方からゼミの友だちがやって来た。
「あれ、連頭さんじゃーん、こんなとこで会うなんて奇遇だねー!」
明るく、みんなのまとめ役な山本くん。今日もオシャレだ。私の趣味ではないけれど。
「おはよう、山本くん。今日はお買い物?」
「ああうん。いや、今日友だちとカラオケ行くんだけどさ、連頭さんも来ない?」
微笑みながら、どう断ろうかと少し考える。
こういう時は紗枝子ちゃんの性格が羨ましい。いや、あの娘はもうちょっと社交的になった方が良いと思うけど。
「ごめんなさい、今日はどうしても外せない用事があって。また今度誘ってね?」
「ああ、じゃあさ! 明日の飲み会来ない? 他の女の子もみんな来るしさ。連頭さんあんまこういうの来ないじゃん?」
「……ほんと、ごめんなさい。その日は家族との約束があるから」
この断り文句のせいで、私たちは重度のシスコンだと思われているらしい。そこはまあ、そこまで間違ってはいないのだけれど。
「あー、じゃあ、俺約束あるからさ」
「うん、ごめん。またね」
手を振って、歩き出す。さて、気分を切り替えて、ウィンドウショッピングをしよう。
くたくたになって部屋に帰った。カーテンに遮られた部屋は、もう薄暗い。
結局、いろんな店で紗枝子ちゃんの服を一式揃えてしまった。
これでもう、今月は何もできない。まあ、大した問題でもない。衣食住に困るほどではないのだ。
冷蔵庫から紗枝子ちゃんの買ってくれたおやつを取り出す。箱の中身は何だろう。
ふと、姿見が目に入った。私たちの体が写っている。
ぺたぺたと部屋を歩いて、姿見の前に立つ。私好みの格好の、私。
明日は紗枝子ちゃん。その次はどっちだろう。
姿見に写った私を撫でて、私は微笑む。
鏡写しの、愛しい私。