第三章 理解のコリジョン
三章 理解のコリジョン
ああ、痛い。
身体がじゃない、心が痛い。
目が見えない、黒い、粘度の高い水の中でおぼれているような感覚だ、
つらくて、つらくて、誰かに助けてほしい、だけど、手が届くところに誰もいない。
母さんはいない、父さんは……あんなものに頼るなら死んだほうがマシだ。
なんで私だけ、私だけこんな目に会わなければいけないんだ。他の人間には頼るべき人がいるのに、なんで私だけ一人でこんなに苦しまなければいけないんだ。
誰か……誰か私の傍に。
傍に居てほしい。
久しぶりに悪夢を見た。
私がこの恥ずべき力を手に入れた時の記憶だ。
あの時。私は母の葬式が終わった自分の家の居間でただ、ただ『何故』と思っていた。
『死んでいた』と言い換えても何も間違っていない状態で、私はただ誰かに、いや『誰か』ではない。
母に抱き締めてほしかった。
その時の私は、好きになる人間の『選り好み』が激しく、しかも思い通りに接してもらわないとすぐに関係を断ってしまう狭量な人間だった。
今思えば何様だ。と思うような性格だ。
そんな性格だからこそ、晃が精いっぱい元気づけようとしてくれたのに、冷たいことをいい、疎遠になってこんな力を手に入れてしまった。
本当に今思い出しても死にたくなる。
それからしばらくロクに食事もとらず部屋に引きこもり、睡眠しているときと起きているときの区別がつかなくなった辺りでどこから嗅ぎつけたのかAFSを管理している役所だとかいうところの人間がやって来て、私は知らない場所で『カウンセリング』を受けさせられた。
やっているときはあまり意味のあるものだとは思えなかったけど、一年がたち、二年がたち、ようやく私は普通の生活が送れる程度には『まともを装える』ようになった。
そして、中学三年生のころ強制的に進路を決定させられ――まぁ別にどこに行きたいということもなかったのでこれには別に文句はないのだが――この学校に入った。
その時、もう私は人間関係を構築することを半ばあきらめていた。
予想通り。私は同性の友達も作れず、かといってこっちのことをよく知りもしないで告白してくる異性と付き合う気にもならず二年生になった。
そして、新学期の始業式。晃がこの学校に入学してきた。
だが、いまさら晃とどんな顔をして会えばいいのか私にわかるわけがない。
三年、いや四年も会わなかったのだ。いまさら一緒に居てほしいとか、好きだとか言っても。怪訝に思われて断られるのが目に見えていると思った。そもそも晃が私の事をどう思っているかもわからなかったのだ。
だが、ほんの数日前、四年ぶりにまともな言葉を交わした晃は知っている晃と何も変わらなかった。
敬語でしゃべるようになったのは何だか変な感じだったけど、校門で久しぶりに会って言葉を交わした時も、勉強の事で困って私の家を訪ねて来た時も、その翌日アルバイト先で会った時も何も、何も変わってなかった。
だから今度こそずっと一緒に居よう。横に立つ努力をしてみようと思った。
なのに、
なのにあの女のせいで滅茶苦茶だ。
今日で必ず決着を付ける。そう思い、私は朝日を見つめた。
◇◇◇
「晃、相川の問題だけど、もう私はこれ以上放置する気はない。私のためでもあるし、晃のためにも」
朝、登校している途中駿河先輩はそう切り出した。
昨日は一応俺の家に泊ってもらったのだが流石にこの暑い中制服を二日連続で着回すのはダメだという事だったので一度先輩の家に寄るため今日は朝六時起床、六時半に家を出た。ちなみに今先輩はジャージ姿である。
「何が何でも今日中に相川の問題を片づけたい。これ以上長引かせたら命の危険って事が冗談じゃなくなる」
確かにそれはその通りだ。そもそも昨日の時点で命の危険というなら殺されかけているのでとっくに冗談ではない。
「それで、問題を解決する方法だけど……やっぱり学校にAFSだって事を知らせるしかないと思う」
「それって結構難しいって前聞いたような気がしますけど……」
「うん、でも今回の場合もう『アイツ』が目撃者として居る。だからそういう調査をしてもらうのはもう不可能じゃないと思う。流石に目撃者が三人いればシラを切りとおすのは不可能だけど……問題はあの女が能力で誰にでも化けられるってこと」
そう、結局問題はそこなのだ。あいつの『変身』が完璧であり、穴が全くないという事が最大のネックになっている
何か一つ。一つでもあいつの変身を見破る方法があれば話は変わってくるのだが……
問題はもう一つ。
「先輩。女の人にこんなこと聞くのもアレなんですけど……先輩、相川に『暴力で勝てますか?』」
そう。問題はもう一つある。二人がかりでも相川に『暴力で勝てなかったことだ』
殴って事を収めようなどとは思っていないが、あちらが暴力沙汰で来る以上、自衛手段として腕力は必要だ。
だがあの女の腕力は異常と言ってもいい。男の俺が簡単にネジ伏せられ、抵抗できるような精神状態ではなかったとはいえ駿河先輩も簡単に立てないほどの威力で蹴りつける。そんな奴にどんなふうに抵抗すればいいというのだ。案の定駿河先輩は眼を伏せる。
「問題は山積み……ですね……」
「うん、でもやるしかない。どちらにしろほうっておくことはできないから」
「でも具体的な行動っていうと」
「まずはアイツ……鋼哉に連絡を取る」
「へ?」
駿河先輩から鋼哉先輩の名前名字だけでも聞いたの初めてだなぁ……というどうでもいい事を思いながら俺は間抜けな声を出す。
「コトの発端はあいつにもあるんだから協力はさせる。あいつなら相川のメールアドレスも知っていると思うし、相川をそれで呼び出させる。それで前にやったことを謝らせて、できればその時あいつのAFSの証拠も押さえておきたい。でも……」
そう言いながら駿河先輩は黙ってしまう。そう。こういう策略を立ててもムダなのだ。
なぜなら、『相川は駿河先輩の姿だけでなく記憶や所有物さえ完璧にコピーできるから』だ。
「どうしても後手に回るのは否めない、でもそれしか私達にできることはないから……」
その駿河先輩の言葉とともに沈黙がしばらく続く、しばらくして、
「とりあえず鋼哉先輩にメール送っときます。時間はどうしましょうか?」
「今すぐ、場所はあの時と同じ二棟校舎の視聴覚室、人がいないから都合がいい」
そんなことをしゃべっているうちに俺たちは駿河先輩の家……超高層マンションの足元まで来た。
とりあえず駿河先輩に続いてマンションの中に入りエレベーターの中に入って……って俺はどこまで付いていけばいいんだろう?
フツーに考えてマンションの下で待っとくべきだったのでは? と入ってから思ってしまったのだが最上階について駿河先輩宅とその外を分ける門の前で待っていて。と言われたのでホッとする。
とりあえず着がえる間、鋼哉先輩への呼び出しメールを打ちながら俺は昨日告白されたことを思い出した。
よくよく考えたら俺も駿河先輩も相川の問題があるとはいえ昨日あんなことがあったのにかなり図太く並んで登校をしてるんだよなぁ……
ケータイの細かいボタンを押しながらハァ……とため息をつく。
駿河先輩がなんで俺なんかを好いてくれたのか、という根源的な疑問はもちろんある。
だがそれは今のところわきに押しやっていい問題だ、
メールを打ち終わり、ケータイをパタンと閉じながら俺は天井を見上げる。
相川の事が解決しても俺にとってはもう一つ問題が残っている、駿河先輩との関係に決着を付けるという問題が。
正直、今でもニセモノですと言われても違和感がないくらい俺にとって『駿河先輩』と『恋愛』というのは結びつかないワードだった、好いた相手が俺だと言うならなおさらだ。
だが昨日の駿河先輩の言葉が嘘か本当か疑うほど俺もアホではない。
だから俺が考えるべきなのは駿河先輩とこれからどう接していくか。なのだが……
「俺はどう接したいんだろうなぁ……」
自分の心なんて自分でもわからないものだとは聞いたことがあるが、それを強く実感したのは初めてだった。
昨日の駿河先輩の告白……『俺が好きだということの告白だけでなく自分の内面に関してさえの告白』を受けて俺はどうしていいのか分からなくなっていた。
俺が悩むべきことではないのかもしれないが、彼女の内面……孤独に対する恐れというものが本当に深いことはわかる。
何せそれが超能力に変質するほどのモノだ。それがどれだけの気持ちなのか想像するに恐ろしい……いや、『想像できない』
それほどの気持ちを抱えてこの数年、彼女は一人で、『一人と思わざるを得ない状況で』過ごしてきたのだ。
その内面を推し測る術など精神科の医者でもなければ数十年を生きた人生の熟達者でもない一六歳の俺にはない。
でも、だからこそ、
「ん……終わった」
「あ、駿河先輩」
『近くに立てる俺だからこそ』その突き刺さりっぱなしの刃をとれるかもしれない。
そうポジティブに考えることにした。
◇◇◇
駿河先輩の家から出て十数分後
都合よくというかなんというか幸い鋼哉先輩からの連絡はすぐに来た。
あまりに早すぎるのでもしや相川が化けているのでは? という可能性を疑ったが、駿河先輩が、
「相川がどんな奴でも記憶や所有物まで詳細に変身できるとは思えない。そんなこと、長い年月をかけて『やろう』と思ってるAFSでもできないもの、あいつ自身『私に対してものすごく執着してるから此処まで精度の高い変身ができる』って言ってたし」
との事だったのでとりあえず相川である可能性は低いらしい。
メールの内容は『今から起きて第二校舎行く』とのこと。
今の時間は午前六時五〇分、ウチの高校は七時から校門が空いているので今から行けば十分に話す時間もとれる、だが
「でも、これも相川に知られてるんですよね……」
「うん、私が知ってる以上相川にも漏れてるって思った方がいい。今後ろに相川が居て盗み聞きしてるような気分」
そのゾッとする例えについ後ろを振り返ってしまう。もちろん誰もいないが居るのと同じことだと言われたのだ。
そのことを再認識してつい
「気持ち悪い能力ですね……」
そうこぼしてしまう。
「負の感情から出来たAFSなんてそんなもの、持ってる奴の性根の悪さや偏執的な考えがもろに出てる能力がほとんど、あとは後先考えないような効力も多い。使ったあと身体が壊れるとか自分にも変な効果がかかるとか」
その言葉にゾッとし身震いをする、ついこの間まで駿河先輩の能力リモコンとったり寝る時布団から出ないでスイッチ消せて羨ましいなとか自分もそう言う能力あったら便利だろうなとかアホなことを思っていたが金輪際そういうことは思わないようにしようと誓う。
「正直、もっと嫌悪感をあおる能力なんていっぱいあるよ? 中学生のAFSになりたての頃は他のAFSに会うこともあったし」
「いや、そこらへんで勘弁して下さい」
正直聞いたら人間不信になりそうな予感がする。
「ん、聞かない方がいい」
そんなことを話しながらも、俺は問題から逃避していることを自覚していた。
ぶっちゃけ『勝てるわけがないのだ』相手がこちら側の情報を全部握っていて、それを覆す方法が存在しない。それがどれほど相手にとってアドバンテージになるか分からないほど俺もバカではない。
もちろん、駿河先輩だって気づいてるだろう。自分の思考が相手に筒抜けになっているなどという不利この上なく何よりも気持ち悪い状況をこの頭のいい人がわからないわけ……
そこまで考え俺は違和感に気がついた。『思考が筒抜けになっているのはあくまで駿河先輩だ』ならば……ならば俺が画期的な対策を考えて実行すればいいんじゃないか?
……自分で思って無理臭いなと思った。
そもそも駿河先輩にも相川にも知られないようにそんなことを実行するなんて俺の低性能なオツムでは……うん、できないんじゃないか?
いやあきらめるな、そもそも俺がない知恵絞るだけじゃ足りないなんて考えるまでもない当たり前のことだ。
そう要は駿河先輩に知られなきゃいいのだ、なら他の人間に知恵を借り……ってこんなこと相談なんてできるわけねぇ……
いや、一人だけいるじゃないか、昨日の駿河先輩と相川と俺のいざこざを知っている人間が。
鋼哉先輩だ、一応あの人、脳の演算機能という意味では駿河先輩とためを張るくらい頭がいいらしいし、相談してみる価値はある。
よし、今から駿河先輩と一緒に会うんだろうしその後に相談してみよう。相川の能力の詳細を伝えなければいけないのが少々難しいが、できないことではない。
少々強引だが駿河先輩には声が聞こえなくてかつ見えるところに居てもらえるように頼みこめば相川に入れ替わられる心配もない。
もう何度も何度も驚かされてばかりでたまるか。
相川薬利がどれだけ駿河先輩に『嫉妬』しているか知らないが、これ以上好き勝手させる理由などもう一つもない。
今度こそ、駿河先輩の言ったように終わらせてやる。
隣に居る駿河先輩を少し見て、俺はそう思った。
◇◇◇
「で、俺に何をさせるんだ? お二方」
それが早朝7時半の学校の視聴覚室で鋼哉先輩が一番初めに言った言葉だ。
流石に昨日のことがあったからなのか少し目にクマができている。
もしかしたら眠れなかったのかもしれない。
「今回の発端、それは君にもある。いまさら事態をほったらかして自分は関係ないなんて姿勢を取るようなら一生後悔させてやる」
駿河先輩がゾっとするような声色で言う。
「んなことしねぇよ。俺にだって一抹の責任感とプライドくらいあるんだ。晃の先輩としての矜持っつーのもな」
んなもんに対する尊敬なんて駿河先輩と付き合うって噂が流れた後の行動で全部なくなっているがそれはとりあえず黙っておく。
「で、俺は何をすればいいんだ?」
そう言った鋼哉先輩の顔にはいつものふざけた色は一切なかった。
「鋼哉先輩に頼みたいのは相川を呼び出すって事と……もうひとつ……」
「君が相川に対して酷い対応をしたことを謝ること。この二つ」
俺の言葉を引き継ぎ、駿河先輩はそう言いあと思い出したように一つを付け加える。
「あともうひとつ、私が相川と入れ替わらないように見張ること」
「? どういうことだ?」
その疑問は俺にも浮かんだ。
「テストをまるまるサボるっていうなら別だけど私と晃は別の学年だから誰かが私を見張っていなきゃならない。幸い君と私は同じクラスだし、それをやるには適任」
「それを言うなら晃だって見張らなきゃだろ?」
「その心配はいらない。あいつは『記憶を奪えるほどの変身』は私にしかできないから」
相川の能力の詳細な部分は語るつもりはないとばかりに駿河先輩はそれで会話を打ち切り教室を出て行こうとする、だが、
「あ、ちょっと待ってて下さい、駿河先輩」
「ん、なに? 晃」
「ちょっと鋼哉先輩と話したい事があるんで見えるところで待機しといてもらえます? ちょっと聞かれたくない話なんで……すみませんけどちょっと長い話になるかも……」
駿河先輩は少し怪訝な顔をしたものの、ん。といつも通りの返事をして廊下へ出る扉へと背を預けてくれた。
「俺に話したい事? ってなんだよ?」
こちらも怪訝な顔をする鋼哉先輩に向き直り、先輩の目を見る。
思えば真面目な話をこの先輩とするのなんてほぼ初めてだ。
「先輩に知恵貸してほしいんですよ、相川に勝つために」
「はぁ? だから俺が協力するって話に……」
「ちょっと俺の話を聞いてください、今から説明しますから」
そう鋼哉先輩を抑え俺は俺の考えを話し始めた。
相川の力が『他人に変身できること』その能力は強く執着している駿河先輩なら記憶や所持品すら再現できるレベルであること、だから俺達が駿河先輩に知られないように対策を練っておかないと勝つことが難しいことまでを話す。
「だから俺と鋼哉先輩で万が一のための対策を作っておきたいんです」
「万が一、ねぇ……そう言うことなら考えないでもないけどさ……」
そう言いながら俺の顔を見、ジトーっと何かを言いたげな目をする。
な……なんなんだ?
「……なんスか? 鋼哉先輩」
「んーにゃ、なんでもねぇ、そりゃまぁ駿河には隠さなきゃだわな」
そう言った後先輩はハァァァァ……と深いため息をついた後、ボソボソと話し始める。
「ぶっちゃけ駿河が聞いてないから言うけど、あれから俺一人で何とかしようとかも考えてたんだよ、実際」
「へ?」
いきなりの言葉に俺は面食らった。
「これでも罪悪感感じてるんだよ、相川に酷い事言ったのも、それが原因でお前らに迷惑かけたのもな。恥ずいし、後悔してるし、悪いと思ってる。でなきゃいくら駿河でもあれだけ一方的に言われて突っ立ってるだけで居るかよ」
その鋼哉先輩の言葉に俺は眼を丸くした。
「なんていうか……驚きましたね」
「はぁ何がだよ?」
「俺、鋼哉先輩はなんていうか天上天下唯我独尊って感じの人だと思ってましたよ。人の目全然気にしてないですし、あんなアホなことしてますし」
「別にやって言い事と悪いことの区別くらいついてるっつーの、ボーダーラインが他の人間と違うところにあるだけだ」
それはそれでどうかとも思いますが。
「で、んなことは今はどうでもいいんだよ、駿河に知られずに対策立てるっつってたけど、っつーことは何かするにも駿河を組み込まずにやるってことだよな?」
「ええ、そりゃまぁ……」
「俺だって天才じゃねーんだから何かすぐに用意しろっつってもムリだけど今の駿河の考えがダダ漏れっていうのを踏まえるなら一つだけ思いつくことがあるよ」
「っつーと?」
そう聞くと鋼哉先輩は頭を掻きながら、
「ぶっちゃけお前に話さなくてもできる策だからな、駿河にばれる可能性考えると言わない方がいい気もするし……」
「話さなくてもなんて言われると余計にそのこと意識しますよ。どんな策なんです?」
そこで鋼哉先輩は再びハァ……とため息をつき、
「お前らと会う前に俺が相川に会ってできるだけの交渉するってだけだよ、やれっつーんなら土下座だろーがなんだろーがしてやるよ」
「へ!?」
その突拍子もない言葉につい奇怪な声を上げてしまう。この人何言ってるんだ!?
「大体俺が発端になってるんだからお前らが事態の収拾に奔走するっていうのも変な話の気がするし、実を言うとお前らからの連絡がなくても一人で相川説得する気だったしな」
「ちょ! 待って下さいよ!」
相川がどのくらい恐ろしくて危険な存在か鋼哉先輩はわかっていない。
相川薬利という人間を俺はさほど知っているわけではないが少なくとも軽々にちょっかいをかけていいような人種では絶対にない。
下手をすれば昨日の俺達のように叩きのめされ最悪殺される可能性もある。
「せ……先輩は勘違いしてます! 相川はそんな常識で動くような人間じゃない! いくら先輩に発端があるからってあんな異常者を説得しなきゃいけない理由なんてありませんって!」
「大丈夫だって、いざとなれば逃げるさ、こんなカッコつけといてそれじゃ自分に失望しそうだけどな」
そう言いながら話は終わりとばかりに隅にほうりだした鞄を蹴り上げ肩に背負い振り向かずに手だけを上げ鋼哉先輩は姿を消した。
「晃、大丈夫? 何か大きな声出してたけど……」
「くそっ!」
慌てて駆け寄ってきた駿河先輩も気にせず俺は吐き捨てた。
今ここでした話を駿河先輩にしたら意味がない、そもそもそう言う話だったのだ。
だから鋼哉先輩にわざわざ駿河先輩を遠ざけてまで相談したのに……問題が減るどころか増えただけだぞ……!
「晃?」
「……いや、何でもないっす」
くそ……最悪でも鋼哉先輩が無事にすむことを願うしかない。
万が一上手くいくなんてこともあり得ないわけではないが、そんなこと俺には想像もつかない、力づくでも止めておくべきか?
いや……どちらにしろ鋼哉先輩の意志が曲げられない以上俺達が接触する前に相川と接触すればいいだけの話なのだから止めようがない、くっそ、駿河先輩にしろ鋼哉先輩にしろ駿河先輩にしろなんで俺の周りには強情な人が多いんだ。
心配事を少しでも減らすつもりがさらに増えた、嫌な予感しかしないぞ…………
◇◇◇
とりあえず嫌な予感という単語だけで言えば大的中だった。
相川関連じゃなくてテストの点数で。
しかも『赤点確実』ではなく『ボーダーラインギリギリで多分割っている』のが何ともいえずやるせない。
勉強を手伝ってくれた駿河先輩にも顔が立たない、泣きたくなる。
もっとも全部のテストでそうだったというわけではない、ネックになっていた4教科中2教科だ。
とはいえ赤点は赤点、すでに悩んでいることが多々あるのにさらに『追試』という難行が追加されたのはもうなんというか……うん、精神的にきつい。
とはいっても今はそんなことで悩んでいる時ではない。今日中にあの女に引導を渡さなければならないのだ、さらに鋼哉先輩の問題と駿河先輩への『答え』の件……うう、誰が悪いわけでもないのに(いや強いて言えば鋼哉先輩と相川が原因だが)何故かアンラッキーな事案が俺に一手にのしかかっているような気がする……
そんなことを思いながら机に突っ伏し駿河先輩と鋼哉先輩を待って、
唐突にポケットの中で弱いバイブ状態にしていた携帯が鳴った。
「!」
慌てて取り出しメールを確認する、この場合駿河先輩の場合相川がなり変わっている可能性もあるので、鋼哉先輩の携帯からメールを送信することになっている。
メールの宛名を急いで見る、ビンゴだ。
急いで中身を確かめる。内容は……
『相川を呼び出した、場所は不良よろしく体育館の裏。時間は何かの小細工ができないようにホームルーム終わったらすぐ』
相変わらず鋼哉先輩らしいアホな言い回しの入ったメールだ、
今は四時間目が終わったホームルームとの間の中途半端な時間だ。
いっそのことホームルームをサボって先回りしていてもいいのだが、早く行って相川と鉢合わせにでもなったらシャレにならないので焦りはするがホームルームはきちんと受けることにする。
いつもこの時間に聞いている教師の連絡事項やら生徒に対する言動が内容の無いものに感じられる、どうでもいいことに時間を使ってんじゃねえよ、などと益体もないことを思いながら教師の話が終わるのを待ちクラス委員の、きりーつ、れい、という声を聞くと同時に教室から飛び出し体育館の方へと向かう。
正直、何故こんなに焦っているのかは俺にもわからなかった。
事態を早く収束させたいからとか、そう言う気持ちはもちろんあった、だがそれが俺の気をはやらせているのではないというのは何となくわかっていた。
俺は怖いんだ。相川と、相川に何かをされるということが。
俺は駿河先輩に言われて、自分で体感して、AFSと言うものの本質がわかりかけてきた。
AFSに……いや、AFSに限らず誰にでも『強い感情をぶつけられる』と言うのはぶつけられる方もぶつける方も大きな衝撃を伴う。
ましてや。AFSになるほどの強い感情をそのままむき出しで晒されたら簡単に心が折れてしまう。
ぶつけられたことを思い出しただけで、心が揺らいでしまう。
だから何も考えない、考えたら足がすくむのだ。
情けないけど、これが俺だ、これ以上考えると絶対に足が止まる、駿河先輩や鋼哉先輩の事を頭から押しのけて逃げてしまう。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
思いっきり走って体育館の傍まで行き、そこからは一歩一歩。まるで地雷原でも歩くような慎重さで歩いていく。
そしてついに待ち合わせ場所の体育館裏につく、が。
「俺が一番乗り、か?」
そこには誰もいなかった。
流石に早く走りすぎたか、と思い息を吐き出しながら体育館の壁にもたれかかる。
願わくば次に来るのが鋼哉先輩と駿河先輩であってほしい。
あんな女と二人っきりで待ち合わせをするなど絶対にごめんだ。
話の展開によっては荒事に発展する可能性も全く否定できない。
ふーっと少し鼓動が速くなる心臓を意識し少し雲のかかった空を見上げる。
俺は相川を怖いと思っている、その気持ちはたとえこの件が終わってもしばらくは付きまとうだろう。
だが、それと同時にほんの少し、心の片隅に同情のような気持ちもあった。
冷静に最初の動機を見てみれば相川にも一応の理はあるのだ。
やり方は許せないし相川薬利と言う人間に対する俺の率直な気持ちは『近づきたくもなく関わりたくもない』ということに尽きるがその動機の根幹に関しては『理解』の余地がある。
そこら辺をしっかり理解して相川の意図を読み解けば、もっと穏便に事態を収められるのではないか。
俺は静かに思考に没頭する。
考えろ。あの人は何がしたいんだ。
駿河先輩への攻撃的な感情を持ち、そのために犯罪もそれが明かされることをも辞さず、そしてあんな能力を持って……そうだ、鋼哉先輩だ。
相川薬利を読み解くには絶対に必要なパーツ、それは相川が鋼哉先輩に対して『今』どんな感情を持っているかだ。
思えばそこが欠けていた、駿河先輩と俺が相川に殺されそうになった時、何故鋼哉先輩がいると言う理由だけで相川はわざわざ絶対有利な状況を放り出して逃走した?
好きだから? たとえ一目ぼれや同級生、友達としての好きから発展したなどの『好意』でもそこまで……いやまて、そもそもおかしいところがある。
何故相川は『自分を手ひどく振った鋼哉先輩には一切感情を向けずに、ただ駿河先輩にのみ感情の矛先を向けたんだ?』
俺は今まで駿河先輩が自分を振った鋼哉先輩を振り続けているから駿河先輩に嫉妬の感情を向けているのだと思っていたがそれなら自分を手酷く振った鋼哉先輩もろとも感情の矛先になってもおかしくない。
駿河先輩へと感情のベクトルを集中させた理由はなんだ? 思い当たるのは……教科書を取りに行った時のいい合い……?
結局あの時の内容は不明瞭なままだった。鋼哉先輩の名前が出たという事は確定らしいがそれだけでは何のヒントにもならない。
足りないところは想像で補完しろ、もう輪郭は見えてる、相川薬利と言う人間の心の輪郭は。
相川の性格からして駿河先輩へ何を言った? 駿河先輩はそれに対してどういう風に返す?
駿河先輩の心はわかりやすい。目的があるときは目的に向かって一直線でありそれに関係ないものは自分の心から排除する。
あの時、自分で思うのも恥ずかしいが駿河先輩は俺に告白してくれる、と言うのを考えていたはずだ。
ならば相川に鋼哉先輩の事について何かを糾弾されたとして何を言うだろう? まさか……
まずい、話し合いなどが成り立つ状況じゃない、むしろ『鋼哉先輩と駿河先輩が組んだ』という状況を明確に相川の前に提示したら俺たち全員逆上した相川に殺されかねない!
慌てて携帯を取り出し駿河先輩と鋼哉先輩に電話をかけようとする、
だがその時ザッ、という足音が体育館の角から聞こえる。
「!?」
気が張っていたせいか心臓が飛び出るほど驚き、そちらを振り向く。
そこには、鋼哉先輩が立っていた。
「こ、鋼哉先輩!」
急いで駆け寄る俺、今気づいたことが確かなら話し合いなんて絶対に出来やしない。
今からでも此処を離れて相川との交渉を仕切り直したほうがいいと一刻も早く鋼哉先輩にと駿河先輩に言わなければ。
「鋼哉先輩! すぐ! 此処離れてください!」
「は……はぁ?」
呆けたような声を出す先輩に詰め寄りまくしたてる。
「相川のっ! 相川が駿河先輩に嫉妬してたのは鋼哉先輩を振ったっていう理由じゃないんです! だから!」
「は? だから?」
「だから、今すぐ此処を離れ……」
そこまで言いかけ、俺の言葉は止まった。
別に俺の意志で止めようと思ったのではない。
突如横から鋼哉先輩に何らかの重く堅いもので凄まじい勢いで殴られたからだ。
「っ!?」
その衝撃に俺は横向けに吹っ飛ばされ、倒れこむ。
側頭部に走る痛みと今の衝撃による脳しんとうで平衡感覚がよくわからなくなる。どういうことだ!?
「だからどうしたの? この前も言ったけどね、そんな策を弄したところでもう君たちの未来は変わらないんだよ」
そう言い放った声は確かに鋼哉先輩のものだった。が。そこからは鋼哉先輩がいつも持つ快活さやふざけた感じ。いや、もっと単純に心や『感情』と呼べるものがなかった。
この声はっ……!
「悪いけどね、君には一回忠告はしたけど君は聞き入れなかったし、これも覚悟した展開だろうしね、悪いけとちょっと眠っててね」
そう言い振り上げられたのは先ほど鋼哉先輩いや相川を見た時に持っていたスポーツバッグだ。
さっき殴られたのも恐らくアレだ。中に石でも詰めて鈍器のかわりにしていたんだろう。
スポーツバッグならば校内で持ってうろついても何の不自然さもない、畜生……
「じゃあね」
そう言い相川が振りかぶったスポーツバッグが再び頭に命中し、俺は意識を失った。
○○○
「っはぁ……はぁ……」
息を切らし、晃がいるはずの教室へと走る。
鋼哉の奴が私を見張るという約束を反故にしてどこかに行ったのが最後のテストが終わった一時間前だ、相川に拉致されたのかもしれない……が、鋼哉がどうなったかは正直どうでもいい。
問題は今来た教室に晃がいないことだ。
焦躁 混乱 疑惑 様々な感情が頭の中に入り組む、今にもめまいを起こして壁に寄りかかってしまいそうだ。
よろよろとした足取りに不審な目を向けられていることはわかるが今の私に重要なのは晃を見つけ出すこと以外にない、最低でも鋼哉と連絡を取り合い……いや、もう別れてしまった以上相川と区別を付ける方法なんてないしこちらが相川でないと証明する術も……
自分ではどうしようもない混乱を掻きわけたのはスカートのポケットの中に入っている携帯電話の振動だ。
相川が所有物までコピーできるのは恐らく私のみ、つまり誰からのメールや電話であろうとそれは『本人の携帯から』送られたものだ。
おそるおそるポケットから携帯を取り出し、開き、確認する。
そこには…………
△△△
「なんで!? 鋼哉の事がどうでもいいならハッキリあいつに言ってよ! あんたなんか嫌いだからもう近づくなって! ハッキリしないから鋼哉はあきらめないんだ!」
思い出すのは、あの時。私が『変わった』時。
「ハッキリしないから? そんなの言うべきことじゃない。大体どうでもいいなんてこともう態度でいくらでも示してる、そんなことを貴方が振られた理由にされるのは筋違い」
あの女に対する、嫉妬と羨望、そしてこの上ない怒りを感じたあの時だ。
「それでも、鋼哉は、鋼哉の気持ちはどうなるのよ! あいつは本当にあんたが好きなのよ!?それで最後まで粘って、それで最後に一番辛いやり方であんたは振るつもり!?」
この時を思い出すたびに私はこう思う。
「さっきも言ったけれど、私は『鋼哉のことなんてどうでもいい』どうでもいいってのはそう言うことだと思うけれど」
私の駿河昌と言う人間に対する嫉妬と怒りは彼女が消える以外に消す術はないのだと。
◇◇◇
気がつくと俺は冷たく暗い場所に横たわっていた。
側頭部にまだ鈍い痛みが残り頭がふらふらするが、数十秒かけてようやく状況を思い出す。
そう、俺は拉致されたのだ。
手足を動かそうとすると、ジャラ……という重い音と、何か堅い金属のようなもので縛られているような感触がする、どうやら鎖か手錠でもかけられているらしい。
思わず唾を吐きだしたくなるが、手足を縛られ床に転がされている状態でそんなことをしてもそのうち自分の服につくのがオチなので我慢する。
「此処までやるとかマスコミが嗅ぎつけたら大喜びだぞクソッたれ!」
見出しは『女子高生、後輩の男子を拉致。恋愛のもつれが原因か』とかだろうか。
適当に着けただけなのにあながち間違っていないのが悲しくなってくる。
「あはは、確かに。あとあとすっごいことになるだろうねー」
突如横から軽薄な中にもわずかな狂気を漂わせた声が聞こえる。
「……鋼哉先輩は?」
その狂気を含んだ声の持ち主、相川薬利に俺は問いかける。
俺と接触する前に鋼哉先輩は相川に接触している。だからどうにかされていてもおかしくはない。
「そこら辺に転がってるんじゃない? ま、気絶させてるけどね」
鋼哉先輩の名前を出した途端、うわべの軽薄な雰囲気がわずかに剥がれ、危険な兆候を少し感じとる。
芋虫のように体をくねらせ周囲を見回すと暗がりの中に、わずかにもう一人誰かが倒れているのが視認できた。
どうやら鋼哉先輩も此処に拉致されたらしい。
最悪の状況と言っていいかもしれないが此処は『鋼哉先輩も』俺も殺されていないのだし最悪の二歩手前ということにしておこう、いや、駿河先輩も入れれば3歩手前だ。
「ここ、どこだよ?」
「んー? 私の家だよ? 私の親、海外出張で全然帰ってこないし、そっち方面の助けは期待しないでねー」
女子の家に入って此処までうれしくなかったのは生まれて初めてだ。
「俺らをどうする気だよ?」
「んー、君に関しては別に殺すつもりはないかなぁ、後遺症残るくらいの怪我はしてもらうけど、ただ、鋼哉と駿河に関しては別だけどね、駿河は『君を使って』思いっきり痛めつけた後で殺す。鋼哉はまぁ今のところ保留かな? 全て終わった後で放置するなり、殺すなり、ま、今はどーでもいーや。成り行きで連れてきただけだし」
その言葉を聞き、けっ、と息を吐き捨てる。
要は駿河先輩への復讐の道具に俺を使うと言っているのだ。
恐らく駿河先輩に電話でもかけながら俺の悲鳴でも聞かせて楽しもうとかそんな魂胆だろう、ヘドがでる。
チラリと鋼哉先輩の方を見るがピクリとも動かない、さっきの相川の弁からして殺されてはいないだろうが恐らく相当強い力で殴りつけられでもしたのだろう。
そんな理性的な行動をとった俺の様子を見て怪訝に思ったのか
「というか冷静だね? もっとさっさとほどきやがれこのやろーみたいな事わめかれると思ってたんだけど」
などという言葉を俺に投げかける。
「んな事わめいたところでアンタがコレ解くなんてこれっぽっちも考えちゃいないんでな。話すならもっと有意義なこと話すつもりだよ」
「へえ? 例えば?」
「この事件の『今まで』でも予想してやろうか? 最初から今までの全てをさ」
その俺の言葉に、相川の顔にニヤリ、という余裕の笑みが浮かぶ、それを話したところで自分の状況を覆せると思うのか? という感情がその笑顔から見てとれる。
『いいだろう覆してやろうじゃあないか』
手足を縛られ、俺に出来ることなんてしゃべり続けることだけだ。
ならば言葉を武器にしてやるだけだ。今の俺は駿河先輩の気持ちも鋼哉先輩の気持ちも、そして相川薬利の気持ちも『理解している』その根拠のない確信が俺の相川薬利への恐怖を打ち消していた。
『恐怖とはわからないこそ生まれるのだ』だから理解さえしてしまえば恐怖など感じようもない。
「全てのことの起こりは鋼哉先輩が駿河先輩の事を好きになったことだ。当然。それ以前から鋼哉先輩を好きであったであろうアンタは嫌な気分だったろうな。俺たちだってそれがあんたが『駿河先輩に嫉妬する理由』だって思ってた」
そう俺は切り出す。そして俺はこの時『俺自身と俺ができることを理解する』
「そいでアンタは鋼哉先輩に告白して、そいで断られる。今までは此処であんたのその変身の力が生まれたんだと思ってた。いや、実際その片鱗みたいなものはあったんだろうな。でもこの時点じゃ決定的じゃない。もっと決定的な出来事があったんだよ。そう、あの駿河先輩と怒鳴り合ってた放課後にさ」
そして一拍置きこの言葉を相川に放つ。
『アンタ。本当に鋼哉先輩の事が好きだったんだな』
その言葉に相川はわずかに、わずかに怯んだような顔を晒す。
『勝機が見えた』
「そう、アンタは鋼哉先輩の事が本当に好きだった。それこそ『フラれたって好きでい続ける』くらいに。だからアンタは駿河先輩の事が許せなかった。鋼哉先輩が自分にしたみたいにキッチリと決着を付けずに……まぁ結果的に駿河先輩がそうしていることを許すことができなかった。いや、それだけじゃないな、『フラれたって好きでいられるくらい鋼哉先輩に好かれている駿河先輩に嫉妬した』そして結果アンタのその『変身』の力は出来上がったんだ」
その言葉にギリ……と奥歯をかみしめる音が聞こえる、此処までは図星をつき続け何とか切り抜けられた。今は比較的安全な部分だだが、いついきなり凶器や蹴りが飛んでくるかは分からない。慎重に言葉を重ね、会話を続ける。
「多分怒鳴り合ってる時に駿河先輩が決定的な事を言ったんだろ、アンタは行動を開始した。一番初めにしたのが俺を襲うって事だったよな。まぁその時俺は気付いてなかったけど、あんな能力持ってるアンタだ。駿河先輩が俺を好いてくれてるってことも知ってたんだろ。『本人を傷つけるより俺を傷つける方が駿河先輩にとってはダメージがでかい』ってことがわかった。だから俺を襲った」
一度目の接触、俺が襲われたのは駿河先輩の言うとおりなのだろう。言っていてかなり違和感があるが真実である以上今は臆してはならない。
「そして昨日の二度目、思い出しても全くいい思い出じゃねーがあの時は本当にヤバかった。後のことがなかったらマジで駿河先輩と俺は無事じゃ済まなかったろうな。『あの時鋼哉先輩が来る』なんつーイレギュラーがなけりゃさ、なんであんたは鋼哉先輩が来たくらいでその場から立ち去ったか」
さぁ、『此処からが一番危険な部分』だ。
相川薬利と言う人間の一番デリケートな部分に触り、干渉する。恐らく一つでも間違えれば俺はどんな事をされるかわかったものではない。
「それはもちろんアンタがまだ鋼哉先輩の事を好きだったからさ」
その言葉に相川は恐ろしい形相を浮かべ、『それ以上言うな』という無言の圧力を俺へとかけ
額から冷や汗が滑り落ち、緊張に唾を飲み込む。
だが此処で黙っては今までしゃべり続けた全てが無駄となる。
「そして、今日。鋼哉先輩はアンタにもうこれ以上コトを起こすのはやめてくれって言いに来た。『それまであんたがやってきたことに巻き込まれなかった鋼哉先輩がなぜ今になって巻き込まれたのか』それはあんたがそのことで鋼哉が俺達の側に回ったと思ったからだ」
「……だってそうなんでしょ? だからこそ鋼哉は私に対してもうやめてくれって……」
「だったら聞けばいいじゃないか。そこに本人はいる、叩き起こして聞けばいい。ま、んなことしなくても俺が起きたんだ。そろそろ起きると思うけど」
その言葉とともに、うう……という鋼哉先輩のうめき声が聞こえる。ナイスタイミングだ。
だが、相川はここで『鋼哉先輩に問い詰めることなどできはしない』
それをして、もし自分が想像した通りの答えならば、相川は相川自身で自分の心を否定することになるのだから。
苦悶と言ってもいい表情を浮かべ、こちらを睨みつけてくる。
その視線に負けず、睨み返す。
もはや今目の前に居るのはこちらには理解できない狂気に狂った女じゃない。
相川薬利、という理解の及ぶどこにでもいる少し人と違うだけの高校生だ。
「俺は…………」
その俺の言葉を聞くや否や相川はこちらに対し完全に敵意をむき出しにし、俺の腹をけりつけた。
そのまま部屋の隅まで転がり、壁に叩きつけられ、そして、
首を手で掴まれ、締め上げられる。
だが、目の前にまで迫った相川の目には、狂気よりも先に、悪意よりも先に、
恐怖が映っていた。
ならば、言わなければならない。これだけは。
「俺は……アンタを否定しないっ……」
その言葉に、相川の目が驚いたように見開かれた。
それと同時に、ほんの少し彼女の手の圧力が緩む。
その機を逃さず、俺は『嘘偽りない本心』を相川に向かって言い続ける。
「俺はあんたを否定しない! そりゃあんたのことは大嫌いだし、許せないし、二度と会いたくもないさ! でも、でも否定だけはしない! アンタの心の在り様を見下すような真似は絶対にしない! だからっ」
その言葉を吐き出し終えるとともに、目の前に居る相川薬利の眼を見、俺に使える最後の言葉を叩きつける。
その俺の言葉に、相川は俺の首を離し、後ずさり、俺の方を見下ろした。
俺がその相川の眼を見、さらに言葉を重ねようとしたその時だ。
「う……なんだ……こりゃぁ……」
鋼哉先輩の口からそんな声が聞こえたのは。
「鋼哉先輩っ……」
「あ、晃か……!?」
幸い、何らかの大けがを負っていると言うことはないらしく、ほっとする。
意識が戻ったばかりで混乱しているようだが、今がどういう状況だかをチンタラ相川の前で説明している時間はない。
もはや俺ができるのは此処までだ。
此処で相川が俺達と和解するか、否か。
もうそれだけが俺達の、『相川を含めた俺達の』行く道を決める。
俺の言葉を聞き、さらに鋼哉先輩が起きた事で相川は明らかに狼狽していた。
全てを放り出し逃げるか。
俺たち全員を殺して破滅するか。
それとも全てを覚悟して受け入れるか。
もはやそのうちのどれかしか相川の取るべき道はない。
鋼哉先輩もこの張りつめた空気を感じたのか一言も発しようとしない。
唾をのみ、眼をそむけたくなる欲求を必死で押しとどめ、眼を見開き追い詰められた相川を見据える。
『受け入れろ』
俺はそう切に願う。
なぜなら『それこそが俺達も、相川も唯一救われる道だから』だ。
AFSが相川や駿河先輩の言っていたように『自らの心』こそを最も重要だと考えるならば。
逃げたり、俺達を殺してその場をしのいでも、相川はきっと『壊れてしまう』
それは恐らく死ぬより辛い生き地獄になるはずだ。
なぜならば、俺達とのかかわりを拒絶すると言うことは今の疑心暗鬼を一生抱えて生きていくということなのだから。
どれほどの時間。俺達三人は硬直していただろうか。
体感時間では、もう数日が立ったほどに俺の精神は摩耗していた。
時間がたつごとに、相川の息は乱れ、瞳孔は開き、心は乱れていく。それが手にとるようにわかった。
そして、いくら時間が立ったかもわからないほどの時が過ぎた時……
ジリ……と、相川の足がぼんやりと見えるこの部屋のドアの方へとにじり寄った。
やめろ! そう念じる。受け入れろ、そうすればまだ引き返せる! そう叫んでしまいたい気持ちを必死で押しとどめる。
もう此処まで来てしまった以上俺が何を言っても逆効果だ。
相川にとってそれは弾劾の恫喝にしか聞こえない。
ギリ……と歯ぎしりをしていることを自覚する。
一か八か。説得を試みようと口を開きかける。が、
その直前割り込む声があった。
「相川……」
鋼哉先輩だ。
「…………!」
ビクゥっとその声に相川は身体を震わせる。
それはそうだ。この場で相川が何よりも恐れているのは鋼哉先輩から『最悪の言葉』を聞くことなのだから。
もし『俺の思う通り』だとすれば、そして相川が最後まで逃げずに話を聞いてくれるとすれば鋼哉先輩が話してくれるのは俺が説得するよりもよほど効果的だ。
もはやこの場で俺ができることは何もない。
もう俺は事の成り行きに身を任せるしかないのだ。
「相川……俺が今日の朝一番最初にお前に言った言葉って覚えてるか?」
「…………」
その言葉に、相川は無言で返す。
沈黙を気にかけずに鋼哉先輩は言葉を続けた。
「『もう晃や駿河を襲うのはやめてくれ』だったよな、確か。思えば俺ってバカだよな。あんな酷い振り方しといて最初に言う言葉くらい在るだろうに」
そこで鋼哉先輩は一度言葉を切り、何かを決心するように相川を見据えた。
「すまなかった」
その言葉に、相川は驚いたように、いや、実際に驚いたのか眼を見開いた。
「相川の気持ちに少しも向き合わずに俺の言うことなんて聞いてくれるわけないなんて当たり前のことわかっていなかった自分が嫌になる。相川のどんな言い分だって正面から受け止める、もしお前が俺に何かやれって言うならなんだって聞く。今、すぐにでも」
そう言い、鋼哉先輩は手を縛られたまま座り直し、相川の目を、逃げずにまっすぐに見つめた。
その目に緊張、相川に対する怯えなどの不純な気持ちは無く、俺みたいなただの学生にはあまり感じることのない一つのものが宿っていた。
『覚悟』だ。
今から相川がなにを言っても、何をしても、受け入れる。
その覚悟をもって、鋼哉先輩は相川に対し言葉を放っていた。
「う……」
前兆はなかった。
「うわあああああああああああああああああ!」
その相川の叫び声とともに、彼女の周囲の空間がグニャリと、まるで映像にノイズが走るかのように『揺らめいた』
「!?」
その現象は、相川が誰かに『変身』しているときに見せた現象によく似ていた、その記憶からもうダメか、という気持ちがわきあがる。
だが俺の予想とは全く違う現象が起きる。
相川の全身を揺らめいていた『ノイズ』は彼女の足元に収斂し、次第に身体の上部へと上がっていく。
その『ノイズ』が通った後も、彼女の身体は何らの視覚的変化を起こしていなかった。
そして、その『ノイズ』が彼女の頭部へと達した瞬間、
パキィン! と
まるでガラスをたたき割るような音が相川の頭、いや、その周囲の空間から響き渡った。
「う……」
その音とともに、相川の体から力が抜け、ドサリ……と倒れる。
その音とともに俺は感じた。
全てが終わったのだと。




