放蕩の仮面ーー価値なき王子の生存戦略
こちらは本編『聖女お断り!〜魔導士は天命を選ばない〜』第一話の前日譚です。
甘い香が、肺に絡みつく。
蜜と酒と香油を煮詰めたような、濃密な空気。
吐き出しても、吐き出しても、執拗にまとわりつく。
「リズ様ぁ、今日もお綺麗」
肩に絡みついた腕を、俺は軽く受け止めた。
癖のように、滑らかに笑う。
「それは光栄だな」
くすくすと女たちが笑う。
誰もが、同じように触れたがる。
同じように、同じ言葉を投げてくる。
ここでの自分は、顔立ちの整った騎士という価値がある。
「今日はどの子にする?」
囁きに、俺は視線だけで応じた。
選ぶふりをして、誰も選ばない。
「そうだな……」
適当に指をさしかけて、やめる。
「先に用事を済ませよう」
わざとらしく肩を竦めると、女たちは不満げに唇を尖らせた。
「つれないねえ」
奥から声がする。
ゆっくりと、煙が流れてくる。
その向こうに、紅を引いた唇が笑った。
「遊びに来たんじゃないのかい?」
毛皮の外套を気だるげに羽織った女が、こちらを見ている。
――ハルヒ。
ここではそう呼ばれている。
「遊びだとも」
俺は答える。
「情報を弄ぶのも、俺にとっては娯楽でね」
ハルヒは目を細める。
面白そうに。
「相変わらず、つまらない男だねえ」
「真面目だと言ってくれ」
短く返すと、ハルヒは肩を揺らして笑った。
「はいはい。じゃあ奥へどうぞ、リズ様」
女たちが不満げに散っていく。
代わりに、濃い香だけが残った。
扉が閉まると同時に、空気が変わる。
静かだ。
外の喧騒が嘘のように、音が消える。
「で?」
ハルヒは椅子に腰掛け、脚を組んだ。
大きくスリットの入ったスカートから筋肉質な白い太ももが覗く。
「今日は何を知りたいんだい?」
グリズリッドは答えない。
代わりに、ゆっくりと室内を見渡した。
隠し聞きの気配はない。
魔導も、仕掛けはない。
「……用心深いねえ」
「ここに来る理由の半分はそれだ」
残り半分は、カモフラージュ。
――放蕩王子。
その仮面は、思っていた以上に使い勝手がいい。
「で、残り半分は?」
「お前の顔を見に来た」
即答すると、ハルヒは吹き出した。
「嘘つき」
「まあな」
どちらも、軽く流す。
俺は、ようやく本題に入った。
「……前聖女の件だ」
ハルヒの表情が、ほんのわずかに変わる。
「またそれかい」
「進展は?」
「ないね」
即答だった。
「噂は噂のまま。黒魔導士に殺られたって話で固まってる」
「根拠は」
「ない」
あっさりと言い切る。
「だから噂なんだろ」
煙を吐きながら、ハルヒは肩を竦めた。
「ただ――」
指先が、灰を落とす。
「妙な話はあるよ」
グリズリッドは視線を上げる。
「心臓だ」
短く、ハルヒは言った。
「遺体に、傷がなかったって話は聞いてるだろ?」
「ああ」
「でもねえ、中は違ったみたい」
一瞬、呼吸が止まる。
「……どういう意味だ」
「そのままの意味さ。外傷はないのに心臓だけ綺麗に抜かれていたそうだ」
冗談めかして言うが、内容は軽くない。
「黒魔導士の仕業だってんなら、まあ納得はできるけどね」
「……他には」
「ないね」
ぴたりと、話が切れる。
それ以上は出てこない。
グリズリッドは目を伏せた。
――まただ。
掴めそうで、何も掴めない。
情報はある。
だが、繋がらない。
「ねえ、なんでそんなに前聖女のことを
調べてるんだい?」
ハルヒの声が、わずかに柔らかくなる。
「それは……」
言い終わる前に、ハルヒは言葉を重ねる。
「探してるのは犯人かい?」
その問いに、俺は一瞬だけ黙った。
犯人。
その言葉が、妙に軽く感じる。
「そう、かもな」
ようやく、口にする。
桜の花びらを溶かしたような銀の髪が、脳裏に浮かぶ。
鈴を転がすような声音。
銀色の瞳。
「……リズ様」
ハルヒが、煙越しにこちらを見る。
「死人に恋するのはやめた方がいい」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「だから、そういうわけじゃない」
「じゃあ、知って何になるって言うんだい」
近々、王命が下る。
黒魔導士討伐のため、王国は動き出す。
指揮を執るのは、第二王子グリズリッド・ロベス・サフィアーノ。
「まあいいさ」
ハルヒは興味をなくしたように肩を竦める。
「金の分の情報は渡した。これ以上はないよ」
交渉終了の合図だ。
俺は小さく息を吐いた。
「……わかった」
立ち上がる。
扉に手をかけて、止まる。
「黒魔導士、か」
呟くように言う。
「厄介だよ。関わるなら覚悟しな」
背後から、軽い声が飛んでくる。
俺は振り返って笑う。
「もう遅い」
ハルヒは小さく待って、と言うと、扉に手をかけたままの俺の手に自分の手を重ねた。
「術が解けてるよ」
吐息が絡む距離で言われて、俺はもう一方の手でこめかみのあたりに触れる。
「王家の証が見えてる」
サフィアーノ王家の人間は、青い宝玉のような群青の瞳を持って生まれる。
妾腹の子である俺が、その群青の瞳を持って生まれたのは、幸か不幸かどちらだったのか。
「新しい魔導具が合わなかったようだ」
説明書に書いてあった時間よりも効果が短い。
目薬の形をした魔導具を懐から出し、俺は改めて両目に差し直す。
「またね、リズ様」
そう言ってハルヒは俺の頬に口付けた。
「悪いが、俺は女が好きだ」
「んもう!」
ぐねぐねと身を捩って、ハルヒは唇を尖らせた。
扉を開ける。
再び、むせかえるような甘い香が流れ込んできた。
「リズ様ぁ、お帰りなさぁい」
待ち構えていたように、女が腕に絡みついてきた。
柔らかな感触。甘える声。
――さっきまでと、何も変わらない。
「待たせたな」
俺は自然にその肩を抱き寄せた。
体温が伝わる。
香油の匂いが、さらに濃くなる。
「今日は優しくしてくれる?」
「努力はしよう」
軽口に、女は嬉しそうに笑う。
そのまま、ソファへと腰を下ろす。
膝の上に、女を引き寄せる。
慣れている。
向こうも、こちらも。
指先が頬をなぞる。
よくあるやり取り。
何度も繰り返した動き。
考える必要もない。
「ねえ」
女が甘えるように首に腕を回す。
「どこまで遊ぶ?」
耳元で囁かれて、俺は低く笑った。
「どこまででも」
視線が合う。
期待と、打算と、欲望が混ざった目。
「その代わり」
唇が触れる寸前で、止める。
「俺を楽しませてくれ」
女はくすりと笑って、頷いた。
そう。これが、自分の立ち位置だ。
望まれ、消費され、使われる。
だが――
使い道がある限り、俺は殺されない。
俺はそれを、知っている。
幼い頃から、ずっと。
必要とされる形でいればいい。
価値があると思わせればいい。
王子として。
騎士として。
――そして、放蕩者として。
どれも本物で、どれも嘘だ。
「……リズ様」
至近距離で呼ばれて、俺は思考を切る。
「ああ」
何でもない顔で、笑う。
そのまま女を引き寄せ、今度こそ唇を重ねた。
甘い。
何も残らない味だ。
腕の中の体は温かく、柔らかい。
だがそこに、意味はない。
意味を持たせない。
「……」
ふと、思う。
あのとき。
もし、もう一度会えていたなら。
もし、言葉を交わせていたなら。
――何か、変わったのだろうか。
「……いや」
小さく、吐き出す。
そんなものに意味はない。
過去は変わらない。
死んだ人間は、戻らない。
だから――
「今を楽しめ」
誰にともなく、そう言って笑う。
女が嬉しそうに応じた。
王宮に戻る頃には、空は白んでいた。
この時間帯に帰路に着くときの言いようもない虚しさはなんなのか。
自室の扉を開けると、人の気配がした。
刺客か?
目を細める。
「おはようございまーす」
のんびりとした声音に迎えられ、俺はがくりと首を垂れた。
遅れて姿を現したのは、俺の持つ騎士団『蒼穹』の騎士団長レイドだった。
「まぁた朝帰りですか」
レイドはそう言って肩をすくめる。
「ま、放蕩王子になれって言ったの、私ですけどね」
ほどほどに、とレイドは締め括った。
「急用なんだろ」
俺は部屋に入られるのが嫌いだ。
そしてこの男は誰よりも俺の性格を知っている。
「今日王命が下りますよ」
黒魔導士の討伐か。
立候補した甲斐がある。
「それと……」
言い淀んだレイドに、俺は視線を送る。
「今日の昼、聖女選出の儀が行われます」
「なんだと?」
掴みかかる勢いで俺はレイドに問う。
「誰が……」
「クロンクヴィスト公爵令嬢です。竜狩りの最高位と呼ばれる、最高位魔導士の……」
俺はレイドの胸ぐらを掴んだ。
「その女は、ずっと聖女選出の儀に現れなかった女だろ! なんで今更!」
「いや、私に言われても〜」
笑いながら、レイドはとんとん、と俺の手首を軽く叩いた。
ゆっくりと、胸ぐらを掴んだ手を緩める。
「最初からあの女が聖女になっていれば……」
「ナシェルさんは、死ななかったかも知れない?」
レイドの鳶色の瞳は笑っていない。
――くだらない。
そう切り捨てるには、ほんのわずかに間があった。
「……仮定の話に意味はない」
低く言って、視線を逸らす。
過去は変わらない。
「少しは身のある話をしろよ」
レイドは小さく肩を竦めた。
騎士として。
第二王子として。
そして――放蕩者として。
どれも本物で、どれも嘘。
なんだっていい。
使い道がある限り、俺は生きられる。
だから――
感情は、切る。
「王命の詳細を聞かせろ」
仮面はもう元通りだった。
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