戦力外通告
「ば、ばかな……ばかなばかなばかなぁぁぁっ! なんだそのふざけた強さは! 貴様は魔力ゼロの無能なゴミではなかったのかぁぁぁっ!?」
広場に響き渡る騎士隊長バルドの絶叫は、もはや恐怖を通り越して狂乱の域に達していた。
たった三秒。彼が誇る五人の精鋭騎士は、かつて自分が『無能』と見下して追放した雑用兵の竹槍によって、全員が石畳の上にゴミ屑のように転がされている。
「ぐ、ぐうぜんだ! そうだ、偶然に決まっている! 貴様、卑怯な魔道具か何かを使ったな!? でなければ、ただの竹槍で我が騎士団の鎧を砕けるはずがない!!」
現実を直視できないバルドは、口から泡を飛ばしながら腰の鞘に手を掛けた。
チャリン、と澄んだ金属音が鳴り、豪奢な装飾が施されたミスリル製の長剣が抜き放たれる。刀身には高度な魔術回路が刻まれており、持ち主の魔力に呼応して青白い光を帯びていた。
「この俺が直々に成敗してやる! 平民のゴミが、貴族たる俺の剣の錆となることを光栄に――」
「あ、ちょっと待ってください」
殺意を剥き出しにして踏み込もうとしたバルドの言葉を、レインはあっさりと遮った。
緊張感ゼロの眠たげな顔のまま、レインはバルドではなく、少し離れた地面を指差した。
そこには、先ほどバルドたちがこの広場に踏み込んできた際、邪魔だと乱暴に突き飛ばされた街の女性が、転がった野菜を拾い集めながら震えてうずくまっていた。
「俺に向かってくるのはいいんですけど、その前にあの女の人に謝ってもらえませんか? 転ばせたの、隊長ですよね。」
「……は?」
「謝るまで、俺は動きませんから」
レインの口調は穏やかだったが、その瞳の奥には、理不尽な暴力に対する静かな拒絶があった。
「ふ、ふざけるな! なぜ高貴なこの俺が、そんな薄汚い平民のババアに頭を下げねばならんのだ! 貴様は頭がおかしいのか!?」
「そうですか。じゃあ、あの方に謝罪させるため、仕方ないですね」
レインは小さくため息をつき、大事に抱えていた特売の食材が入った紙袋を、自分の背中の鞄にそっと隠すようにして立ち上がった。そして、だらりと竹槍を下段に構える。
「死ねええええええっ!!」
バルドは自身の魔力を限界までミスリルの剣に注ぎ込んだ。
青白い光が激しく明滅し、刀身が二倍ほどに伸びたかのように錯覚させるほどの膨大な『魔力刃』が形成される。
王国でも有数の権力を持つ名門貴族の三男であるバルドは、性格こそ最悪だが、彼が受けた英才教育と装備の質は本物だった。
「消し飛べ、ゴミカスがぁっ!」
バルドが渾身の力で踏み込み、魔力刃を纏った剣を横薙ぎに一閃する。
その速度と威力は、先ほどの部下たちとは比べ物にならない。空気を切り裂く鋭い風切り音が広場に鳴り響いた。
対するレインは、動かなかった。
背中の食材を守るために、足の裏を石畳にピタリと固定したまま、上半身のわずかな傾きだけでその不可視の斬撃をやり過ごす。
――シュッ!
しかし、バルドの魔力刃の先端が、レインの頬をわずかに掠めた。
チリッ、と数本の亜麻色の髪の毛が宙に舞い、頬に一本の薄い赤い線が走る。
「ハッ! ガハハハハハ!」
その手応えに、バルドの顔に極上の歪んだ笑みが張り付いた。
「見たか! 当たったぞ! やはり先ほどの連撃はまぐれだ! どうだ、俺の魔法剣の威力は! 貴様のような魔力ゼロのゴミには、反応することすら――」
バルドがニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、長々と勝利宣言の罵倒を口にしようとした、まさにその瞬間だった。
「……うん、剣の軌道は見切れた」
ぽつり、と。
レインが呟いた。
彼は頬から流れる血を一瞥もせず、ただ確認作業を終えた職人のような冷徹な目でバルドを見ていた。
彼があえて一歩も動かずに剣を掠らせたのは、威力がどれほどのものか、背後の食材の袋に影響が出ないかを『安全確認』するためだけであったのだ。
「――お返しします」
レインの右腕が、ブレた。
ただの竹槍が、下段から跳ね上がるように突き出される。
それは、魔法でもスキルでもない。
三年間、毎日一万回、極限の集中力で振り続けただけの『ただの素振り』の完成形。
大気中の魔素を無意識に絡め取り、極限まで圧縮された闘気が竹の先端に一点集中する。
ガァァァァンッ!!!!!
落雷のような轟音が広場を揺るがした。
「あ……?」
バルドの手から、凄まじい衝撃とともに青白い光が消え失せた。
彼が絶対の自信を持っていたミスリル製の魔法剣は、レインの竹槍の『突き』を刀身のど真ん中に受け、まるで飴細工のようにへし折られ、空の彼方へと弾き飛ばされていたのだ。
腕の骨が外れんばかりの衝撃にバルドがよろけた瞬間、彼の視界は、眼前に迫る黒く焦げた竹の先端で完全に埋め尽くされ、喉に突き刺さる痛みが生じた──。
「ヒッ……!?」
バルドの喉仏に、竹槍の切っ先がピタリと押し当てられている。
槍を通して伝わってくるレインの圧倒的で冷酷な殺気が、バルドの全身を氷漬けにした。一ミリでも動けば、喉笛を食いちぎられる。
圧倒的な静寂。
さっきまで勝ち誇っていた男が、武器を粉砕され、己が見下していた男に見下ろされている。
その完璧なまでの敗北の構図の中で、レインはいつも通りの眠たげな目でバルドを見つめ、心底不思議そうに首を傾げて言った。
「隊長。俺って、戦力外だったんですよね?」
「あ……が……っ」
バルドの顔面から全ての血の気が引き、土気色に染まる。
反論すらできない。剣も魔法も使えない、竹槍しか持っていないただの雑用兵。その雑用兵一人に、自分を含めた騎士団の精鋭が手も足も出ず、赤子のように捻り潰されたのだ。
「ぷっ……」
「くくっ……ひゃはははっ!」
周囲を取り囲んでいた冒険者たちや街の住人たちから、堪えきれない笑い声が漏れ始めた。
「見ろよあいつ、あんなに偉そうだったのに竹槍一本に負けてやんの!」
「戦力外にボコボコにされる王国騎士様かよ! 傑作だぜ!」
「だっせえ! 泣きそうじゃねえか!」
先ほどまで騎士団の横暴に怯えていた人々が、今やバルドを指差し、腹を抱えて嘲笑している。
貴族としてのプライド、騎士としての誇り。バルドが積み上げてきた全ての虚栄が、音を立てて崩れ去っていく。
「き、きさまぁぁぁっ! 殺す! 殺してやる! 絶対に許さんぞ、この平民のゴミがあああぁぁぁっ!」
羞恥と屈辱で完全に理性を失ったバルドは、喉に槍を突きつけられているにも関わらず、発狂したように懐から短剣を引き抜き、レインに飛びかかろうとした。
往生際が悪いなんてものではない、ただの狂人の振る舞いである。
レインがやれやれとため息をつき、竹槍の腹でバルドの横っ面を叩き伏せようとした、その時。
「――そこまでにしておけ、青二才」
地を這うような、重く威圧的な声が広場に響いた。
群衆を掻き分けて歩み出てきたのは、巨大な戦斧を背負った大男――冒険者ギルドの隻眼のギルドマスターだった。
ギルドマスターは、狂乱するバルドの首根っこを丸太のような腕で掴むと、そのまま子猫のように軽々と持ち上げた。
「がっ!? き、きさま、離せっ! 俺を誰だと――」
「ゼーレ騎士団のバルド隊長殿だろう。だが、ここは冒険者ギルドの管轄区だ。正規の手続きも踏まずに街で暴れ、あまつさえウチの『優秀な冒険者』に難癖をつけて殺そうとしたとあっちゃあ、王都の騎士団長に直訴状を書かなきゃならねぇな」
ギルドマスターの残った片目が、ギラリと危険な光を放つ。
その眼光と、暗に「これ以上騒ぐならお前の失態を国中に言いふらすぞ」という脅しに、バルドはヒィッと情けない悲鳴を上げた。
「小僧、こいつの首はギルドの顔に免じて繋いでおいてやってくれ。……これ以上こいつが醜態を晒すと、街の空気が悪くなる」
「ええ、俺は食材が無事ならそれでいいです。早く帰ってシチュー作りたいですし」
ギルドマスターが手を離すと、バルドは石畳に無様に尻餅をついた。
「お、覚えておけ! この屈辱、絶対に忘れんからな! 撤退だ! 貴様ら、とっとと起きんか!」
気絶していた部下たちを蹴り起こし、バルドは逃げるように広場から走り去っていく。背後からは、街の人々の容赦ない大爆笑とブーイングが浴びせられていた。
ゼーレ砦での水と食料の調達という本来の目的すら忘れ、彼らはただ惨めな敗残兵として街を後にするしかなかったのである。
「……たく、嵐のような連中だったな」
「すみません、マスター。お手数かけました」
レインは背中に竹槍を戻し、何事もなかったかのように紙袋を抱え直した。
「いや、いいもんを見せてもらった。だがなレイン、お前は少し、自分の実力を自覚した方がいいぞ。あのミスリルの魔法剣を、竹槍の突き一発でへし折るなんざ、神話の英雄でもできねぇ芸当だからな」
「え? いやいや、あんなのただの素振りですよ。隊長の剣、手入れが悪くて脆くなってたんだと思います」
本気でそう思い込んでいるレインを見て、ギルドマスターは深く、深く天を仰いだ。
かくして、かつての主のプライドを完全に粉砕したレインは、街中の人々から英雄のような眼差しを向けられながら、今夜の特売卵とクマ肉のシチューの事だけを考えて、家路につくのであった。




