邂逅と殺意
レインが単独でゴブリンの群れを殲滅し、冒険者ギルドを恐怖と歓喜の渦に巻き込んでから数日後のこと。
国境の街は、突如として現れた「招かれざる客」たちの物々しい空気に包まれていた。
「ええい、どけ! グランベル王国軍、ゼーレ騎士団のお通りである! 貴様ら平民ども、頭が高いぞ!」
立っていた平民を強引に押しのけ転ばせる。
白銀の鎧をガチャガチャと鳴らし、街のメインストリートを我が物顔で練り歩く一団。その先頭で馬に跨がり、不愉快そうに周囲を睨みつけているのは、騎士隊長のバルドであった。
本来であれば、国を守る誇り高き騎士団の行軍である。しかし、彼らを見つめる街の人々の目は、畏敬の念よりも「戸惑い」と「嫌悪」に満ちていた。
なぜなら、彼らは信じられないほど薄汚れており、そして凄まじい悪臭を放っていたからだ。
彼らがこの街にやってきた理由――それは表向き「辺境警備の視察および物資の徴発」という大義名分を掲げていたが、実態は全く異なる。
レインという『超人的なインフラ担当』を追放した結果、ゼーレ砦はわずか数日で地獄と化していたのだ。
常人離れした速度で水を汲む者がいなくなり、水瓶は空。
神速で薪を割る者がいなくなり、厨房の火は消滅。
さらには、狩ってきた硬い魔獣を解体できる者がおらず、肉は砦の庭で腐敗し、強烈な死臭とハエの群れを生み出していた。
水浴びすらできず、生焼けの硬い肉を噛みちぎって腹を下し、寒さに震える夜。
エリート気取りの騎士たちは次々と心身に支障をきたし、砦の機能は完全に崩壊していた。
しかし、傲慢なバルドは「すべては無能な部下どものせいだ」と責任を転嫁し、あの一件が原因であるという明白な事実から目を背けた。そして、限界を迎えた末に「この街で大量の食料と新しい雑用係の奴隷を強制的に徴募する」ために、半ば砦から逃げ出してきたのである。
「チッ、どいつもこいつも小汚い平民どもめ。おい、街長を呼べ! 我ら騎士団を歓待し、極上の風呂と食事を用意しろと伝えろ!」
イライラと馬上で怒鳴り散らすバルド。
そんな彼の視界の端に、ふと、見覚えのある人影が映った。
街の新鮮な野菜や果物、そして上質なパンがたくさん詰まった大きな紙袋を抱え、穏やかな表情で歩いている亜麻色の髪の青年。
間違いない。先日、自分が無能だと罵り、砦から追い出したばかりの雑用兵、レインであった。
「……おい、あれは」
「隊長、あいつ……レインじゃありませんか?」
バルドは自らの目を疑った。
武器はおろか、路銀も持たずに放り出したのだ。とうに野垂れ死んでいるか、運良く生き延びていても路地裏で残飯を漁る乞食に成り下がっているはずだと信じて疑わなかった。
それなのに、目の前にいるレインは、小綺麗で血色も良く、あろうことか『自分たちよりも遥かに豊かで健康的な生活』を送っているように見える。
自身が地獄の苦しみ(自業自得だが)を味わっていたというのに、あの底辺のゴミがヘラヘラと笑っている。その事実に、バルドの異常なまでに高いプライドは激しく逆撫でされた。
「おい! そこのゴミ! 止まれ!!」
バルドは馬から飛び降りると、数人の部下を引き連れ、大股でレインの前に立ち塞がった。
「え? あ……バルド隊長。それに皆さんも」
レインは驚いたように足を止めた。ゼーレ砦から遠く離れたこの街で彼らに会うとは思っていなかったからだ。
「フン、軍を追い出されて無様に野垂れ死んだかと思えば、こんな辺境の街でコソコソと生きていたか。手にしたその袋、他人の残飯でも漁ってきたのか?」
バルドはレインの頭から爪先までをねっとりと見下し、嘲笑の笑みを浮かべた。
その後ろで、風呂に入れず脂ぎった顔をした兵士たちも、隊長に追従するように下品な笑い声を上げる。
「隊長、見てくださいよ。こいつ、まだあの『竹槍』を背負ってますぜ!」
「ギャハハハ! 街に出ても、剣の一本も買えねえのか! 相変わらず貧乏くせえ!」
「この街でもお荷物ってわけか。お前のような無能を雇う物好きなどいるはずもないからな!」
バルドたちは、レインがすでに冒険者ギルドで『単独でのゴブリンの巣殲滅』などの異常な功績を次々と上げ、街の誰もが頭の上がらない『規格外のルーキー』として丁重に扱われていることなど知る由もない。
ただひたすらに、自分たちの惨めな現状から目を逸らすためのサンドバッグとして、レインを見下した。
周囲の街の人々や、通りすがりの冒険者たちが、その光景を見て青ざめている。
(あいつら、あのレインさんに何て口の利き方を……)
(馬鹿か、殺されるぞ……!)
(オイオイ、死んだわ…あいつ)
誰もが息を呑み、遠巻きに見守る中。
レインはただ静かに、少し困ったような表情で彼らを見ていた。
(……なんだろう。みんな、すごく臭いな。お風呂入ってないのかな。それに目の下にもすごいクマができてるし……)
と、的外れな心配をしながら。
「おい、聞いてるのか無能! そのゴミみたいな雑魚武器をへし折って、土下座で泣きついてくれば、また俺の靴を舐める係くらいにはしてやっても――」
「そうですね」
レインは、バルドの言葉を遮るようにポツリと呟いた。
抱えていた紙袋を、中身が潰れないようにそっと丁寧に地面に置く。そして、背中からゆっくりと、あの『ただの竹槍』を抜き放った。
「確かに、槍は剣や魔法に比べたら、雑魚武器だと言われています」
「ハッ、自覚があるならさっさと――」
「俺には剣の才能も、魔力もありませんから」
レインの口調は平坦だった。怒りも、憎しみも、悲しみすらない。
ただ、事実を口にしているだけ。
「ですが――」
レインが、スッと竹槍を中段に構えた。
その瞬間。
ヒュッ、と。
広場を吹き抜けていた風が、完全に止まった。
いや、風だけではない。周囲の空間そのものが、レインを中心にしてピシッと凍りついたような錯覚。
彼の体から一切の『隙』が消滅し、ただの竹槍の切っ先から、極限まで圧縮された殺気と高密度の魔素が、目に見えんばかりの鋭利な刃となって、バルドたちの喉元に突きつけられたのだ。
「な、に……!?」
バルドの全身の毛穴が開き、脂汗が滝のように噴き出した。
心臓を、氷の刃で直接撫でられたような絶対的な恐怖。
目の前にいるのは、今まで自分たちがゴミのように扱ってきた魔力ゼロの雑用兵のはずだ。それなのに、今のレインからは、Aランクの凶悪な魔獣すら尻尾を巻いて逃げ出すほどの圧倒的な『死の気配』が漂っていた。
一歩でも動けば、殺される。
瞬き一つした瞬間に、自分の心臓が、あの安っぽい竹槍に串刺しにされている。
そんな理不尽で抗いようのない確信が、バルドの脳を真っ白に焼き切るように支配した。
「あ、が……っ、ひ……っ」
膝がガクガクと震え、手にした名剣の柄に触れることすらできない。後ろでヘラヘラと笑っていた兵士たちに至っては、白目を剥いて泡を吹き、その場に崩れ落ちる者すらいた。
そんな彼らを前に、レインはいつもと変わらない、少し眠たげな無表情のまま、わずかに首を傾げた。
「――試してみます?」
静かで、平坦で、しかし絶対的な死を孕んだその一言が、静まり返った広場に木霊した。
王国が誇る騎士隊長が、一本の竹槍を構えた元・雑用兵の前に、ただ恐怖に顔を引きつらせて立ち尽くす。
かつての主従関係が完全に逆転した、圧倒的な力の差を見せつける瞬間であった。




