【91】
「響葵くんっ!?」
「響葵っ!!」
血相を変えた天里が弾かれたように彩月の隣から駆け出して響葵の様子を確かめる。彩月も天里に続いて立ち上がったものの、そんな色めき立った彩月たちを嘲るように爽月が憫笑したのだった。
「あーあ、おかしい。たかだかうさぎの一匹でこんなに必死になっちゃって。ダメになったって、新しいのを買えばいいだけのことでしょ。あんな煤みたいな色をした生意気なうさぎじゃなくて、今時ペットショップに行けばもっと可愛くて頭が良い子がたくさんいるんだから」
――その言葉で、彩月の中で何かが音を立てて切れた。
身体が沸騰しそうなほどに体温が急激に上がったかと思うと、テーブルが揺れて机上のティーセットがカタカタと嫌な音を立て始める。
次いで窓ガラスや応接間の壁際に設置されたオシャレな本棚、壁に飾られた豪奢な額縁に入った油彩画、そして動物を模った置き物や由緒ありそうな壺などが鈍い音と共に左右に揺れ出す。両親と爽月は「地震!?」と短く叫びながら度を失って周囲を見渡したのだった。
「いっちゃん……?」
衝撃から頭の中が真っ白になっていた彩月だったが、天里の呟きが耳に入ってきてハッと顔を上げる。
その瞬間、彩月の後ろから弾丸のように陶器製の置き物が飛んできて両親たちが座る後ろの壁に当たって砕け散ったのだった。
「きゃあ!?」
つんざくような爽月の悲鳴に彩月の身体から血の気が失せていく。それが原因なのか、今度は壁から落ちた油彩画が落ちて表面を覆っていたガラスが床に飛び散り、本棚から雪崩れ落ちた本が重力を無視して縦横無尽に天井近くを飛び始める。
はたから見ると魔法が起こったかのような恐ろしくも奇跡的な光景であるが、この不可思議な力の正体に気付いた彩月はブルブルと震え出した手で口元を覆ったのだった。
(また《超常力》が暴走しているの……!?)
これでは窓ガラスを割って教室内を阿鼻叫喚の惨状に変えた大学での二の舞になってしまう。どうにかしてあの時と同じように息を吸って吐いては気持ちを落ち着かせようとする。
(大丈夫……大丈夫だから落ち着いて。響葵くんならきっと大丈夫。大丈夫だから……)
幸いにも両親と爽月は動揺しているのか彩月の様子に気が付いていなかった。その隙に彩月は何度も深呼吸を繰り返しては、自身の落ち着かせることに集中できたのだった。
しばらくしてパニックに陥り掛けた感情が完全に鎮まると、壊滅的な状態となった室内を冷静に見渡せる余裕がでてくる。
彩月を中心にして室内で竜巻が起こったかのように床に落ちてひび割れて割れた調度品、上空で一時静止した後に部屋の至る所に落ちた本、そして見るも無惨な壁の装飾品の数々。
嵐が去った後の乱れた応接間ではあったが誰も怪我を負っていないことに安堵したのも束の間、今度は地面から突き上げるような大きな衝撃を感じたかと思うと、応接間の窓ガラスが割れて家具が吹っ飛ぶようにひっくり返ってしまう。
立っていられないほどの巨大な揺れに爽月たちは悲鳴を上げながら半狂乱でソファーにしがみつき、彩月はその場に膝をついてティーセット一式がひっくり返ってぐちゃぐちゃになったテーブルを掴んだのだった。
(どうして……!?)
気持ちを落ち着かせて《超常力》を抑え込んだはずなのにと、彩月は戸惑う。
自然発生した地震の可能性も疑ったが、彩月のスマホには地震に関する通知や警報は何も届いておらず、それは天里や爽月たちのスマホも同じだった。
つまりこの揺れは自然発生では無く、人為的に引き起こされたものだということ。
そして彩月には、この揺れがこの応接間の中だけで発生している局所的なもののように思えたのだった。
「なんなのよ、この揺れ」
「スマホに地震速報は来ていない。ということは、近くで行っている工事が原因か……?」
「きっ、きっと、あ、あの子よ……彩月よっ!」
訝しむ爽月と父親に対して化け物を見るような引き攣った顔で指差してくる母親の金切り声で注目が集まり、彩月の背中を嫌な汗が流れる。
「義母さんたちが執拗に『月の民』という言葉を繰り返すから、気になって調べたのよ。今のように物を飛ばしたりガラスを割ったりする奇怪な力を持っているらしいわね!」
「じゃあ、大学で起こった事件の原因はあんたってこと?」
「あれは私の力だけど、でもあんなことをするつもりは全然無くて……今だって望んでやったつもりは無くて……」
「それならこの揺れは何なのよ! 違うのならはっきり説明しなさいっ!」
「私じゃ無いっ! 私にそんな力は無いから……」
違うと言い掛けたところで、先程の出来事を思い出して言葉を飲み込んでしまう。
自分の奥底で何かがぶつりと切れた後に起こった揺れと、明らかに物理法則を無視して爽月たちに飛んでいった置き物。
長らく眠っていた人智を超えた力――月の民が持つ《超常力》が、また制御を失って暴走したと思わざるを得なかった。だがその後に起こった地面を突き上げるような揺れの原因は分からない。それも自分の《超常力》によるものだろうか。それとも自分も知らない未知なる力が、まだ秘められているのか――。
顔を真っ青にして声を震わせながら、「私に、そんな力は……」と彩月が言い淀んでしまうと、すかさず爽月がテーブルを強く叩いて捲し立てる。




