【89】
「二人が望むのなら、私は月の民として生きる。そして月の姫になるの。爽月にはお父さんやお母さん、ファンの人たちがいるから良いでしょう。私は響葵くんや天里くん、月の民のみんながいてくれる。いつまでも与えられるのを待っているんじゃなくて、これからは自分の手で掴みに行くの。二十年間、育ててくれた感謝はしている。でもこれ以上、響葵くんたちに迷惑を掛けるのなら私だって怒るから……これで充分だよね? それなら帰ってよ」
「彩月!? 親に向かってなんて口を利いている!! 父さんたちに恥をかかせて楽しいか!?」
「今なら許してあげてもいいわ。お父さんと爽月に土下座して謝りなさい。そんな我儘を言ったら久慈川さんに嫌われるわよ。その響葵という人にも」
「俺は嫌わないぞ。こんなことで彩月への想いが変わるものか」
彩月の膝の上に座った響葵が得意げな顔で鼻を鳴らす。小さな前足を組んで偉そうにふんぞり返る姿が笑壷に入ったのか天里が嬌笑めいた笑みを漏らしたので、彩月も響葵を抱き寄せて小さく笑う。
「響葵くんはこんなことで人を嫌いになるような人じゃない。私の選択を尊重してくれる。脅したって無駄だよ」
「脅しだと!? 父さんたちは彩月のことを思って言って……」
「さっき言っていたよね。大人なら自立するのは当たり前だって。それなら悪い話じゃないよね? お父さんたちだって私から解放されるから。爽月と違って出来損ないの私は要らないって散々言ってきたよね?」
「それは……」
口ごもる父親を畳み掛けるように、彩月は声を振り絞る。
「自分のやりたいことに向かって、家族が違う道を歩くことの何が悪いの? 私と爽月はやりたいことが違うだけ。爽月は望んで芸能人になったのに、私は月の姫になりたいって望んだらいけないの?」
「親父たちや彼らの話す月の民なんて眉唾物の話を信じているのか。馬鹿らしいっ! だからお前は爽月と違って大馬鹿者なんだっ!」
また両親は爽月と比較して蔑視する。双子の姉と比べて貶めることで意気消沈して引っ込むと思っているのだろうか。
言い負かされたく無いと彩月の闘志に火が付く。もう泣き寝入りしたくない。
彩月を信じてくれた響葵たちのためにも勇気を奮い立たせる。
「何を信じるかは私の勝手でしょう。お父さんたちが勝手に信じなかっただけじゃない。おじいちゃんたちは気付いていたのに、それに逆らって爽月ばかり可愛がってっ! それで今度は私と響葵くんたちの仲を引き裂きに来たの?」
「生意気な口をっ……!」
「私は望んでここにいるの。月の民について知ろうとしない、何もしてくれなかったお父さんたちに口を挟まれたくないっ!」
ますます顔を朱に染めた両親が激しい痛罵を吐きかけてくるが、今までとは違って全く心に届かなかった。
大声で威喝して、親からの庇護を打ち切ると脅迫すれば従うと思っているのか、それとも未だに彩月が親に依存しなければ生きていけないような繊弱で小さな存在だと決めつけているのか。
どちらにしても、力で他人を制圧できると思い込んでいる両親があまりにも憐れで滑稽であった。
両親から見たら、たった二十年しか生きていない未熟な子供かもしれないが、その間に彩月は知識や経験を得た。
もう幼い子供のように何も出来ず、知らないわけでは無い。自立する術や一人で生活していく方法を知っている。決して楽な道では無いが、全く不可能なわけでも無い。
少なくても今の彩月には響葵や天里が居てくれて、狐塚や白日、玄朔、犀原たちが支えてくれる。爽月とは違って人を選り好みしない彩月には彼らだけで十分であった。
「私は一人で生きていく。家から追い出してくれたって構わない。金輪際、会えなくたって良い。もうお父さんやお母さん、爽月たちの思い通りにはならないから。爽月と比べて嘆いたり悩み苦しんだり、見栄を張ったりしない。私は私のままで良いと言ってくれた人たちと生きるから」
「ふざけるのも大概にしなさい! 私たちや久慈川さんを困らせて恥ずかしいと思わないの!?」
さすがにこのままだと埒が開かないと思ったのか、肩を上下させる両親を冷たく一瞥しながら天里が告げる。
「オレたちは困っていませんよ。それどころかオレたちよりも綺世さんたちの方が困るのではありませんか?」
「どういうことだ?」
「皆さんが彩月ちゃんと縁を切るということは、うちとの縁も切れるということです。当家は彩月ちゃんと響葵の関係を認めていますから、二人が結婚した暁には当家と綺世さんとの間で結び付きが出来ます。しかし彩月ちゃんを勘当されるというのなら、当家とのご縁は無かったことになります。下手をしたら、久慈川一族と全ての月の民を敵に回すことになりますよ。これまで彩月ちゃんに行ってきた仕打ちをオレたちは許していませんから」
低く冷淡に言い放った天里から発せられる静かな怒りに空気が震えるが、負けずに母親が言い返す。
「彩月から何を聞いたかは知らないけど、全て躾の一つよ。この子があまりにも不出来だからっ……!」
「彩月ちゃんからは何も聞いていません。ただ皆さんがこれまで彼女に何をしてきたのかは、ここでの会話を聞いていればほぼ察します」
見るからに高級そうな白磁のティーカップを手に取った天里は優雅に足を組み直すと、不敵な笑みを浮かべる。
見た目こそ年相応な派手さはあるものの、天里の整った目鼻立ちや体躯の良さ、そしてティーカップを手に取る一連の動作には上流階級の人間らしい洗練された美を感じられて、彩月は状況も忘れて見惚れたのだった。
「まあ、こちらとしても当家に不利益を与えかねない家との取引や縁は避けたいところですので、彩月ちゃんの勘当は大歓迎です。その際にはありがたく彩月ちゃんを頂戴します。元からそのつもりでしたからね」
「で、でも。久慈川さんは良いの!? こんなことをここで勝手に決めちゃって!」
心配になって横から口を挟めば、天里は安心させるように優美な笑みを浮かべて答えてくれる。




