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推しうさぎと月の姫になるまで〜二十歳の誕生日に助けた迷いうさぎは電撃引退した推しのアイドルでした〜  作者: 四片霞彩
優游涵泳、学びの地で結ぶ信愛

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80/117

【80】

「 “五十鈴響夜”として表舞台に立っていた俺は身を引くことになり、うさぎから人に転じる力を失ってしまった。すぐに見つかると高を括っていた月の姫もなかなか見つけられず、今では君の役に立つどころか、こうして腕に抱かれている愛玩動物でいることしか出来なくなっている。炎上騒動を知った天里が様子を見に来てくれなければ、今頃は野垂れ死にしていたな」

「炎上のことなら気にしなくていいよ。だってあれは相手の女性アイドルに問題があったんでしょう? 響葵くんは運が悪かっただけ。炎上なんて今どき珍しくないから……」

「……あの炎上の責任は俺にもあるのだ。天里以外には真相を話していないが、いずれ話さなければならないと思っている。そうしなければ “五十鈴響夜”だった俺と決別できない。今でも不完全燃焼のように自分の中でくすぶっているのだ。 “五十鈴響夜”としてアイドルをしていた時はあまりにも周りが見えていなかった。自分を支えてくれるマネージャーや事務所の気遣い、応援してくれるファンの声援、同業者の想い。全て失ってから気付いた。そんな気持ちに少しでも報わなければ “五十鈴響夜”を完全に終わらせられない。いずれ数多と活動するアイドルたちの中に埋没するとしても、彼らに俺と関わった時間が少しでも無駄じゃ無かったと思ってもらいたいのだ。それに今でも俺のことを好きだと言ってくれるファンとも出会えたからな」


 首だけ動かして後ろを向いた響葵と目が合った瞬間に胸が大きく高鳴る。うさぎ姿でも響葵はとても理知的な整った顔立ちをしている。宵闇に紛れてしまいそうな黒い毛とよく手入れされた柔らかな毛並み、そして黒々とした小さな瞳。首の下を撫でると気持ちよさそうにリラックスした表情になって、抱き上げれば信頼しているかのように彩月の身体に身を預けてくれる愛おしくて大切な存在。その正体が彩月と同年代の男性で愛してやまない推しのアイドルだとしても、見た目がうさぎである以上はついつい可愛がってしまう。本人もうさぎとして愛玩して良いと言ってくれたというのもあるだろうが……。

 けれども今の響葵は一人の男性にしかに思えなかった。見た目はうさぎのままで人の姿には戻っていないが、彩月を真っ直ぐに見つめる瞳の奥には一人の真摯で誠実な男性が映っていたのだった。


「君は俺のことを人になりそこなった愚かなうさぎとしか思わないだろう。だがそんな君が俺にファンの存在を考えてくれるきっかけを与え、逃げてばかりではなく向き合おうと思わせてくれた。君と出逢えたことは俺にとって幸福だ。もう二度と人になれないとしても、こうして君の側にいられるだけで充分なのだ」

「響葵くん……」

「君さえ良ければ、これからも側に置いてくれないか。番犬にもなれないただの穀潰しになってしまうが、いざという時はこの身を賭して君を守ろう。俺に出来るのはそれくらいだからな……」

「響葵くんはいつだって私の力になってくれる大切な存在だよ。諦めないで、人間になる方法を一緒に考えよう!」


 水槽のポンプが大きな音を立てて泡沫を吐き出す。リング型の水槽を出て、次のエリアは日本近海に住む魚たちの展示コーナーだった。それを抜けると大小さまざまな水槽で泳ぐクラゲたちの水槽が二人を出迎えてくれる。

 彩月たちの他に誰もいないのを良いことに近くのベンチにカバンとキャリーケースを置いていると、腕の中からするりと抜け出した響葵が近くの水槽の前まで駆け出してしまう。ふわふわと水中を浮かぶクラゲを背にして響葵が立ち上がったのだった。


「月の民との結婚を考えることになったら、君は天里を選んで幸せになってくれ。天里は頼りになる。君に相応しいのは傷だらけの心を癒して包み込んでくれる存在。この地上やがては月で君を支えてくれる者だ。世渡り上手で人気者の天里なら必ず君の力になる。弟の俺がそう言っているのだから間違いない」

「そんなことを言わないで……」

「俺は君というファンから直接熱い想いを聞けただけで満足だ。自らが望んだ飼い主と居られるなんて、そこらのうさぎよりずっと果報者だろう?」

「そんなことを言わないでよっ! なんで最初から諦めちゃうの!?」


 彩月の叫声が意外だったのか響葵が大きく飛び上がる。後ろのクラゲたちも驚いたのか一瞬だけ動きが止まったかと思えば、すぐに水の中を縦横無尽に泳ぎ出したのだった。


「私が響葵くんを “五十鈴響夜”くんとしか見ていなかったから!? 私は “五十鈴響夜”くんも響葵くんも大好きだよ! どっちも同じくらい好きなの! 響葵くんが “五十鈴響夜”くんじゃ無かったとしても、響葵くんのことを好きになっていたと思う。家族から守ろうと最初に身を挺してくれたのは響葵くんだったから……」


 響葵を自宅に連れて帰った日、爽月から彩月を守ろうと手に噛みついて床に叩きつけられたのは響葵だった。そんな響葵に励まされたからこそ、彩月は響葵の悪口を言う爽月の頬を打てた。家族のしがらみから抜けて、響葵たちと行こうと思えたのだ。

 響葵と出会えていなかったら、ただ爽月たちに殴られて気が済むまで罵倒されていただろう。大学を卒業して遠くに暮らしても、いつまでも家族のしがらみから抜け出せずに苦しみ怯えていたに違いない。


「響葵くんと出会えたから月の姫という新しい生き方を選んで、一人で生きて行くという自信を持てたの。そんな響葵たちのために私も何かしたい。響葵くんが人になりたいのなら一緒に方法を考えたいの! 諦めないでよ!」

「彩月……」


 滅多にない声を荒げて興奮したからか体温が上昇するのを感じる。両掌で顔を隠してその場で蹲ってしまえば、心配したように響葵が駆け寄ってきてくれたのだった。


「ごめんね。私が “五十鈴響夜”くんが好きだって言ったから、ずっと “五十鈴響夜”くんで居てくれたんだよね。響葵くんのことをよく知らないで、 “五十鈴響夜”という上辺だけ見ていて……これからは “五十鈴響夜”くんじゃなくて、響葵くん自身のことを知りたいの」

「俺なんて別に知ったところで意味なんて……」


 平気で自分を卑下する響葵を否定するように彩月は落涙しながら声を張り上げる。


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