【71】
「噂に聞く今代の姫様のようじゃ。さぞかし月祈乃様もおふたりに好かれていたでしょうな」
「月祈乃さんをご存じなんですか?」
「月祈乃様とは月の秘宝である『月の水鏡』を通して言葉を交わしたことがある。あれは我が久慈川家の家宝。元々『月の水鏡』は二枚で一組。片方は月祈乃様が月に昇る際に持って行かれて、残りの一枚は生家に置いていかれたのじゃ」
「『月の水鏡』……?」
彩月が月祈乃から託された「月の秘宝」は二つ。月の生物を使役するのに必要な「月の檜扇」と、月と地上との行き来に使う「月の羽衣」であった。
しかし月祈乃の説明では「月の秘宝」は三種あるようなので、その残り一つが「月の水鏡」と呼ばれるものなのだろう。
彩月の疑問に気付いたのか、響葵たちが説明してくれる。
「『月の水鏡』は『月の加護』を送る際に使用される。毎夜月の姫は『月の水鏡』を通して『月の加護』を送り、地上を守護する。力が偏らないよう均等に、地上の至る所に」
「『月の水鏡』は地上の様子を映してくれるんだけど、地上との通信機能もついていてね。久慈川家で所有する対の鏡を通して会話もできるんだ。例えるなら、テレビ電話をするようなものかな」
「『月の水鏡』って便利なんだね。今も月にいる月祈乃さんとはお話しできるの?」
「通信には『月の加護』が必要になる。目覚めて間もない彩月には難しいだろうな。おそらく姫ももう……」
響葵の暗い声から彩月も察する。弱り続けている月祈乃の『月の加護』では、『月の水鏡』を通した通信は難しいのだろう。彩月が月の姫として覚醒しない限り、月祈乃とは再会どころか会話さえ難しいのかもしれない。
月祈乃と会った後に二人から聞いたが、響葵と会った日に彩月が月に行けたのは、月祈乃が持つ『月の加護』によるものだった。
しかしその日を境に月祈乃の力は著しく弱まってしまったようで、おそらく今は『月の加護』を送るのだけで精一杯ではないかと二人は考えているらしい。
実際あの日以降、月祈乃の声は聞こえず、響葵たちの元にも連絡は届いていなかった。月祈乃や月がどうなっているのか、彩月たちには分からずにいたのだった。
不安な気持ちを隠すように膝に乗せた響葵の背中を撫でていると、そんな彩月たちの暗い空気を吹き飛ばすように玄朔がからからと笑い出す。
「『月の水鏡』を介して月に住む姫様と話せるとは聞いておったが、実際に言葉が聞こえた時はたまげたものじゃ。これは冥土の土産として先祖たちに自慢せねばならんのう。月祈乃様の父母や兄弟も案じておるじゃろうから」
「月祈乃さんのご家族とも知り合いなんですか?」
瞬きを繰り返していると、隣から艶のある笑みを浮かべて天里が教えてくれる。
「いっちゃん、久慈川家というのはね。姫の生家なんだ。そして玄朔おじいちゃんは姫と同じ血を引く子孫に当たる」
「そうだったんですか!?」
「左様。儂の曽祖父は月祈乃様の実弟に当たる。儂には月の民の血はほとんど残っておらぬが、月祈乃様が月の姫に選ばれてからはこの地上で月の民らの世話やまとめ役を請け負っておる。これも身内から月の姫を排出した一族の務めじゃ。その上、月祈乃様の愛しい子孫まで預からせてもらっておる。名誉なことよ」
言われてみれば、玄朔の柔和な雰囲気はどことなく月祈乃に似ていた。自分の地位を決して驕らず、威厳がありながらも優しさと慈しみといった他者への思いやりを大切にしており、自分の気持ちを押し付けようとせずに彩月や響葵たちの気持ちを尊重してくれる。
それでいながらもただ温厚なだけではなく、その穏健の中には為政者としての厳しさや畏怖も持ち合わせているように感じられたのだった。
「やだな、おじいちゃん。オレたちのことは姫の息子じゃなくて、自分の子供として扱ってって言ったじゃん」
「天里の言う通りだ。俺たちのことは身内として扱ってもらって構わない。姫からも久慈川さんは地上での親として、指示に従うように言い含められている。地上での常識や知識を施してくれただけではなく、身元も不確かな俺たちの後継人になってくれただけでも感謝しているのだ」
「オレたちの活動資金を援助してくれているのもね。オレたちが月とは生活様式が異なる地上で、不自由なく生活できるのもおじいちゃんのおかげだよ。この恩は月に帰る前に必ず返すから」
「祖父孝行とは嬉しいのう。子供たちも全員巣立ち女房には先立たれ、残ったのは有り余る資産だけという老いぼれには勿体ない言葉じゃ。これも冥途の土産にしようかのう」
「何を言ってるの。おじいちゃんだって会長職を辞したばかりでまだまだこれからでしょう。好きなことをやって長生きしなきゃ」
「薄れているとはいえ、月の民の血を引く子孫なのだ。まだまだ健康に過ごせるだろう。俺たちには久慈川さんの手助けが無ければ、地上で生きていけない。元気でいてもらわないと困る」
仲睦まじい様子で話す三人を微笑ましい気持ちで眺めていると、「そろそろ、本題に入らなければな」と玄朔が彩月に目線を移す。
「天里殿と犀原から話は聞いておる。姫様は家庭と進路について悩みを抱えているようじゃと」
「そうです……でも犀原さんからも?」
「私は姫様と天里様方の運転役も担っております。先日天里様のご依頼で姫様をご自宅までお迎えに上がった際に一部始終を拝見しており、詳しい事情は天里様より伺いました。その時の姫様は後部座席でお休みになられておりましたが」
「ああ。あの時の運転手さんだったんですか!」
どうりで見たことあるような気がしたわけだと彩月は合点がいく。響葵たちと出会った日に家からレストランのあるホテル、そして天里のマンションまで車で送迎してくれたのが犀原だったらしい。
乗降の際に運転手の顔を見ていたが直接言葉を交わしたわけでは無かったので、あまり印象に残らなかったのだろう。
「私共でお力になれることはないかと考え、姫様の大学に問い合わせをいたしました。入学試験からこれまでの成績表を入手して、ご当主様にご覧いただきました」
「入学時から優良だったようじゃな。折角得た知識を生かしきれていないのが、ちいとばかり勿体ない気がしてのう」
「そんなことは……爽月……姉とは違って大学入試も落ちましたし……」
「そこでご当主からこちらの大学への編入学または再入学を検討されてはと、ご案内をお持ちした次第です」
犀原が渡してくれた茶封筒には久慈川学園の校名と共に校章が印刷されていた。中を開けると久慈川学園の大学案内や入学情報などのパンフレット一式が入っていたのだった。




