【70】
「狐塚の孫娘には会ったかな。可愛い子じゃろう」
「白日ちゃんですか? はい、とても可愛い子です」
初めて白日に出会った日は普段幼稚園まで送迎する父親が仕事で九州におり、母親の狐塚も彩月の世話で忙しかったことから、たまたま休んでいたらしいが、普段は幼稚園に通園しているとのことだった。
数日前に父親が屋敷に戻ってきてからは通園を再開したようで、今は屋敷を留守にしていた。
「狐塚の一家は代々久慈川家に仕えていてのう。もう儂の家族も同然なのじゃ。彼らだけではない、他の月の民や生物も。そんな彼らのために住みやすい環境を作ってやりたい。それが我が久慈川家に代々課せられた使命じゃった」
「使命ですか……」
「文明が発展して人が増えるにつれて、彼らは住処を失って存続の危機に瀕しておる。人に迫害されて、命を奪われた者も多い。その上で新たな月の姫様に問おう。月の民と生物、全ての月に連なる者たちの上に立つ覚悟はおありかな。決して楽な道ではない。月の民に与することで人と対立することもあろう。家族や友人からも理解を得られまい。それでも彼らを等しく守り慈しめられるか。孤独な戦いになるかもしれんぞ。永遠とも言える時間の中で月の民の頂点に君臨するということは」
彩月の心を見透かすような問い掛けに自然と背筋が伸びる。生半可な気持ちでは月の姫として、これから月の民と生物をまとめられないと言いたいのだろう。
人の上に立つということはそれ相応の覚悟が必要となる。時に犠牲も伴い、多くの者から憎悪を抱かれ、苦しさや悲しさの中でたった一人で戦うことにもなるだろう。
彩月や響葵たちもそうだが月の民や生物といった月に連なる者たちは、この地上に住む者たちの想像を超えた異質な存在だ。常人には持てない《超常力》も言葉を話す動物というのも、全ての人間が理解してくれるとは思えない。
畏怖を感じて距離を取られ、時には血肉の争いにもなるだろう。
そんな両者の間に立ち、理不尽な略取を強いられる月に連なる者たちを守って、人との対立の緩衝材となりえるだろうか。彩月は月の民としての教育を受けてきたわけではない。月についてまだまだ知らないことの方が圧倒的に多く、そんな彩月が月の姫であることに懐疑的な者もいるだろう。
それでも彩月は月の姫になりたい。彩月が愛する“五十鈴響夜”が――響葵が彩月を月の姫に望んだからでも、天里たちが月の姫として寵愛してくれるからではない。
知りたいと思ったから。自分の中に眠るまだ知らないじぶんを――。
「私が月の民として覚醒したのは最近です。知識はありませんし、力だって上手くコントロールできていません。それでも誰かに理解されない苦しみや傷つけられる痛みは知っているつもりです。同じ痛みを知っているからこそ、自分にも出来ることがあると信じています。たとえ誰からも理解を得られず、一人になったとしても……」
未熟な自分への劣等感に苛まれていた時だったら、こんな大言壮語は口にしなかっただろう。
何でもできる非凡な爽月と違って、凡庸な彩月には責任ある立場は向いていないと断っていた。
実際月に連れて行かれた際も、響葵と月祈乃にそう言った。取り柄の無い自分に月の姫なんて大役は務まらないと……。
けれども今の彩月には彩月の可能性を信じてくれる人がいて、応援してくれる人がいる。失敗しても時間が掛かっても良いと言ってくれて、彩月のペースや気持ちを優先してくれる人たちに恵まれた。
そんなみんなが信じてくれた“彩月”を、彩月自身も信じてみたいと思えた。
「急に現れて月の姫に選ばれた私を信用できないのは当然です。私もまだ自分が月の姫だという自覚を完全には持てていません。でもこんな私を信じてくれたみんなのためにも、月の姫として力になりたいと思えるようになったんです。今は未熟で時間も掛かるかもしれませんが、月の姫として必ず全ての月に関するヒトたちをまとめてみせます。そしていずれは自分の力で自分が望む未来を切り開いてみせます」
恐る恐る玄朔を見るが、納得しているようにも不愉快そうにも見える何とも言えない顔をしていた。答えを間違えただろうかと彩月が焦り始めた頃になって、ようやく玄朔は解放されたように椅子にゆっくりともたれかかって柔和な笑みを浮かべたのだった。
「試すような真似をしてすまんのう。その心意気や良し。月の民は人とは生きる時間が異なる。自分だけが取り残される覚悟があるか聞いてみたかっただけなんじゃ」
「それじゃあ、認めてもらえますか。月の姫として……?」
「元より認めておる。この姫様も今後大物になるかもしれん。これはこれは成長が楽しみじゃ」
「よ、良かった~」
緊張して肩の力を抜いたところで、響葵が物言いたそうな顔で彩月の膝の上に顎を乗せていた。彩月を挟んで反対隣に座っていた天里も彩月の腰に腕を回して魅惑的な微笑みを浮かべていたのだった。
「俺たちは君の味方だ。これからも一心同体。一人にはしないから安心しろ、最後まで俺たちは共にある」
「オレたちの姫はいっちゃんだけだよ。相応しくないからと見捨てたりしない。真の臣下というのは主人の悪行を咎めて諫言するものだ。君が間違った道に進もうものなら、オレたちが諌める。どんな手を使ってでもね」
「ありがとう。二人が居てくれたら、私も心強いよ」
「すでに姫様には忠実な臣下がいるようじゃな。これは安心」
「臣下じゃありません。二人は家族です。生まれや姿が違っていても、私にとって大切な存在です」
白い眉を上げて色を失ったような顔をした玄朔であったが、彩月たち三人の親し気な様子に得心がいったのか「これはしたり」と笑みを浮かべたのだった。




