【60】
「遅くなってごめんね、いっちゃん。オレもヒビももう少し早く気付いていれば、こんなことにならなかったのに……」
「天里くん? いつの間に……?」
嫌な汗で湿った彩月の頭や頬を心配そうに撫でながら、天里は話し続ける。
「配信者仲間からネットニュースを教えられていっちゃんに連絡したんだけど、返事が来ないから心配で様子を見に来たんだ。でも校門前の警備員に止められちゃって、仕方なく返事が来るのを待っていたら物騒な雰囲気になってね。ヒビは先に行っちゃうし、オレも警備員が対応に追われている隙を見て、ようやく侵入したんだ。学生たちは教室の窓ガラスが急に割れたって噂していたけど、いっちゃんが持つ《超常力》が暴走しちゃったんだね」
先程天里から届いていたメッセージを読もうとして、江原に話しかけられたのを思い出す。今朝の件だと思っていたがネットニュースの件だったのかと、今更ながら気付く。
「ごめんね。こんな騒ぎにしちゃって……ごめんね……」
「謝らないで。本当だったらこうならないように、事前にオレたちが手を打たなければならなかった。これは姫の近侍であるオレたちの落ち度だ。いっちゃんは何も気にしなくていいからね」
「でも……」
「まずはここを離れて休もう……少し触るよ。ヒビはそのままいっちゃんの腕に抱かれて様子を見ていて」
「分かった」
天里は彩月の背中と膝裏に腕を回すと、軽々と響葵ごと彩月の身体を持ち上げる。「ひゃっ!」と小さく悲鳴を上げた彩月だったが、断ろうにも自分の足で歩くにはまだわずかに眩暈がしたので、天里にされるがままになったのだった。
そのまま校門に向かって天里は歩き出すが、学生はすでに中庭に避難した後のようで、すれ違う人はほとんどいなかった。天里の言う通り、警備員も救急車やパトカーの誘導で彩月たちに構っている暇は無いらしい。悪目立ちせずに済みそうで安堵する。
「昨日泊まったオレのマンションは場所を特定されて、週刊誌の記者やファンに囲まれちゃってね。どうにかして彼らを撒いてここまで来たんだ。だからあそこには戻れない。場所は離れるけど、ここより安全な場所に行こう。事情を話したら、久慈川さんがしばらく保護してくれることになったから」
「二人は、それでいいの……?」
「俺たちのことは心配しなくていい。俺は元より天里もしばらく身を隠す必要がある。信憑性も怪しいたった一本の記事でここまで世間の注目を集められると判明した以上、きっと週刊誌やマスコミは新たなネタを求めて俺たちを付け回すだろうからな。当面の間、平穏な生活は望めない」
「姫の居場所がオレたちの居場所だよ。SNSもオレたちの話題で持ち切りだし、ほとぼりが冷めるまで久慈川さんのところに身を置いて、落ち着いたら戻ってくればいい。大学と寮にはオレたちから事情を説明しておくから」
「ありがとう……二人とも……ありがっ、とう……」
二人の優しさが彩月の疲れ切った心に染み入って、自然と涙が溢れてくる。涙ぐんですすり泣いているうちに、校門前のロータリーに横付けされた車に乗せられたのだった。
昨日と同じ黒塗りの高級車の後部座席に寝かされると、身体には毛布を掛けられて天里が脱いだジャケットを枕代わりとして頭の下に敷いてくれる。彩月の腕から抜け出して、毛布から頭を出した響葵は心配そうに頬を撫でてくれたのだった。
「ここから久慈川さんの屋敷まで高速を使っても二時間は掛かる。今のうちに少し眠ると良い」
「気分が悪くなったら、すぐに行ってね。病院に向かうから」
「うん……」
家族にもここまで労られたことが無いので、どこかこそばゆい気持ちになる。爽月優先の両親は爽月も熱を出せばそっちに掛かりきりで、彩月だけが熱をだそうものなら薬と水を持ってきて寝ているように素っ気なく言うだけだった。
天里が乗ってドアが閉まるとすぐに車が走り出す。しばらくは向かいに座った天里がタブレット端末を操作するのを呆然と眺めて、隣に座った響葵に頭を軽く撫でられていたが、高速道路のインターチェンジに乗った辺りから次第に微睡み始めた。
重い瞼を瞑ってしまうと、長い一日が終わったかのように感じられたのだった。




