【58】
「綺世ちゃん、しっかりして。こんな記事でたらめだよね! 綺世ちゃんとは何にも関係無いよね!?」
「う、うん……そう」
「え~。この写真の人は絶対に綺世さんだと思うけどな。知ってる人が見たら、みんな綺世さんだって言うと思うよ」
先程まで彩月を見ながら噂話をしていた女子の一角から否定する言葉が上がって、彩月は遮られてしまう。
「勝手なことを言わないで! ここの週刊誌はでたらめなゴシップ記事を書くことで有名なんだよ! この人だって、綺世ちゃんと似た別人の可能性だって……っ!」
「でもさ、都道府県名まではっきりでているじゃん。うちの県で女子短大なんてこの大学しかないわけだし、グランドホテル久慈川なんで学生寮から車で一時間も掛からないじゃん。しかも今日の格好だってTENさまのコーデだし。これは明らかに綺世さんで決まりでしょ」
江原が否定してくれるが、それを皮切りに彩月と響葵たちの関係を噂する声が広がっていく。いつの間に騒ぎが大きくなったのか、学年や学科が違う見知らぬ女子たちまで教室の入り口から彩月を見に来ており、廊下からは「噂の子がここにいるって」という声まで聞こえてきて、野次馬はどんどん増えていく。中にはスマホで彩月の写真や動画を撮る者まで現れて、そういった人たちから彩月を守ろうと江原が声を上げ続けた。
このままここに居ては江原にまで迷惑を掛けると思うものの身体が動かず、身を隠そうにも入り口が野次馬で溢れ返っている以上、彩月は完全に逃げ道を塞がれていた。
「そう言えば、綺世さんってこの写真に写っている五十鈴響夜のファンじゃん。いつだったかのオリエンテーションで言ってたし、綺世さんがファンだって知って出会い目的で声を掛けてきたこともあるよね。SNSの投稿を見て、DMを送ってきたとかさ」
「以前からTENさまと響夜くんは顔が似てるって噂もあったし、どちらかが綺世さんを誘って自宅に連れ込んだとか? TENさまも響夜くんも好きだったんだけどな~。裏切られたみたいでショック」
「だから、止めなって! 憶測で物を言うのはっ!」
江原はずっと止めようとしてくれたが、噂話好きの女子大生を黙らせることはできなかった。衆目に晒されながら噂や憶測、そして響葵たちの悪口が耳に入ってくるので、彩月は無意識のうちに耳を塞いでいた。泣き出したいのを堪えて下を向くが、溢れた雫が机の上に数滴落ちてしまう。
このままでは埒が明かないと思ったのか、「誰か! 先生か職員を呼んできてっ!」と江原の叫び声が遠くに聞こえてくる。
歯の根が合わなくなり、意識が遠のきかけた時、彩月の中から何かが溢れ出てくるのを感じた。込み上げてくるものを堪えるように口を固く結んでいた彩月だったが、誰かが発した一言でとうとう解き放ってしまった。
――所詮、五十鈴響夜もろくでなしな最低野郎だった、と。
「何も知らないくせにっ! 響葵くんのことっ、悪く言わないでよっ!!」
どこからか鮮明に聞こえてきたその言葉に勢いよく立ち上がって反論した瞬間、教室中の全ての窓ガラスが大きく揺れた。そうして大きくひびが走ったかと思うと激しい音を立てながら窓ガラスが割れて、教室内に破片が散らばったのだった。
「きゃあ!?」
横なぶりの急雨のように飛んできたガラス片から身を守るように、窓の近くにいた女子たちは悲鳴を上げながら身体や頭を庇った。そのガラス片は何故か彩月を避けて他の女子たちへと向かって飛んでいき、しばらくしてガラス片の雨が止むと教室は阿鼻叫喚の地獄に変わったのだった。
窓近くにいた学生たちを中心に複数人が顔や頭、手から血を流しており、痛みと恐怖で声を上げて泣き出した者もいた。廊下側に居た女子たちは足が地面に吸い付いたかのように動けなくなるか、腰が抜けてその場に座り込んでしまっており、廊下にいた野次馬たちの大半も悲鳴を上げながら走り去ったのだった。
衝撃からいち早く立ち直った江原を始めとする数人が割れた窓ガラスで怪我をした学生たちを助けに行き、江原の指示で保健室に助けを呼びに行った者もいた。
そんな中でも教室内の惨状をスマホで撮影をする者が何人か居たが、何故か電源が入らなくなって焦っているようだった。江原たちのスマホやパソコンの電源が落ちてしまったようで、助けを呼べなくてパニックになっていた。
痛みで上がる悲鳴、恐怖ですすり泣く者が発する涙声、怪我した人を連携して助ける声、スマホがつかなくて焦る声、パニックって騒ぐ声が混ざり合り、教室内を震わせる。ようやく彩月も衝撃から回復したものの、目の前の惨状に両手で口を押さえて佇んでいることしかできなかった。
(これって……まさか私のせいなの……!?)
自分の内側から何かが溢れそうになった感覚は前にもあった。月の民として目覚めた日、両親と爽月の罵倒する声と言葉の暴力で、我慢の限界に達した時に――。
膝が震えて言葉にならない。自分がやってしまった事態の大きさに息が吸えなくなる。彩月は後ろに数歩よろけるが、無事だった学生からの視線を浴びてまたしても固まってしまう。
どうしてコイツは何ともないのか、コイツがやったのではないか、まるで化け物のようだ、と。いくつもの物言いたげな疑いの眼差しに背中が寒くなる。
自分じゃないと否定しなければならないと分かっているものの、口が縫い付けられたように動かない。背中を冷や汗が流れていくにつれて息が浅く速くなり、やがて手足はしびれたように感覚が鈍くなっていったのだった。
「綺世さん……?」
現実から逃避するように意識が遠のきかけていた彩月だったが、誰かの呼びかけに飛び上がりそうになると小さく悲鳴を上げて我に返る。顔を上げて険しい同級生たちの顔が視界に入った瞬間、吐き気が込み上げてくると、机の上からスマホを掴んで無意識のうちに教室から飛び出していたのだった。
「綺世ちゃん!?」
後ろから戸惑う江原の声が聞こえてきたが、彩月の足は止まらなかった。
正面からは事態を受けて駆け付けた大学の職員と学科の教員たちが話しながら走って来るが、声を掛けられないように俯いたまま廊下を曲がって鉢合わせを避ける。そして遠巻きに騒ぎを噂する他の学生たちから逃れるように外に出たのだった。
やがて校内放送では学内で非常事態が起こったことや全学生は中庭に避難するような呼びかけが始まったが、事情をよく知らないままに学内の各教室や施設からぞろぞろと避難する学生たちとは反対方向に歩き、やがて校舎の裏へと回り込む。
薄暗い校舎裏の湿った地面にしゃがみ込むと乱れた呼吸を整えようと息を吸おうとするが、パニックになっているのか上手く吸えなかった。




