【53】
「おはよう。昨日はよく眠れたか?」
「うん、朝までぐっすりだったよ。響葵くんはうさぎに戻ったんだね」
「月が完全に沈んだら、この姿に戻ってしまった。まだ調子が戻っていないらしい。不甲斐ない姿ばかりですまない……」
小さな肩を落として落ち込んでしまった響葵を抱き上げると首の下を撫でる。手触りの良いもこもこの毛を堪能しつつ、仰向けにしてお腹の毛を撫でれば、掌の中にうさぎの温かな体温まで感じられて心が和む。
一方の響葵もヒクヒクと鼻を動かしながら、気持ち良さそうに身を預けてくれたのだった。
「うさぎ姿でも十分頼りにしてるよ。でも早く調子が戻るといいね」
「また世話を掛ける。ところで朝餉を用意している。俺としたことが、和食と洋食のどちらが良いか聞くのを忘れていたから両方用意した。食べたい物を食べてくれ。足りない時はお代わりもある」
ダイニングテーブルの上にはご飯やパン、一口サイズのパンケーキといった主食を始めとして、焼き魚、おひたし、卵焼き、煮物、パン、目玉焼き、スクランブルエッグ、サラダ、ソーセージなどのおかず、味噌汁やスープなどの汁物や果物やヨーグルトといった甘味まで、一皿ずつラップをかけられた状態で並べられていた。
テーブルに所狭しと皿が並ぶ様はまるでホテルのブュッフェのようで、彩月一人分にしては充分すぎる量だった。
「この料理は……全部響葵くんが作ってくれたの?」
「月が沈む前にな。時間が経って冷めてしまったが、温め直せば食べられるはずだ……本当は炊事役である俺が温め直してやるべきだが、この姿ではできない。すまないが、頼めるだろうか」
「それは良いけど、響葵くんと天里くんの分は?」
「俺たちのことは気にしなくていい。天里は昼過ぎまで起きてこないだろうし、起きたら残ったものを適当に食べるだろう。俺はこの身体だとうさぎと同じものしか受け付けないからな。野菜屑とうさぎ用のペットフードで充分だ」
「そっか……」
昨晩のように三人で楽しく食事ができるかと思ったので少しだけ気落ちしてしまう。
誰かと食事を共にするというのが楽しいものだと、二人のおかげで知った。家族と食べても居心地が悪いだけで楽しいとは到底思えず、寮や学校でも一人が多かった。
お腹だけでは無く胸まで満たされた食事は初めてで、また三人で食事を一緒にしたいと思ったのだった。
「今日は学校か?」
「うん。授業自体は午後からなんだけど、一度寮に帰ろうかなって」
「それなら天里が着替えを用意している。待っていろ、俺でも移動させられるようにカゴにひとまとめにしてもらったから……」
「大丈夫だよ。洋服くらい自分で取りに行くから」
「いいや、これは俺の役目だ。君は朝餉を食べているといい。その間に運んでこよう」
そう言って小さな身体でじたばたと動く響葵は愛らしいが、洋服が入っているカゴを必死になって押す姿には不安しか無かった。本人は「自分の役目だから」と言うものの、見ている彩月は怪我をしないかソワソワして落ち着かない。
結局、響葵の後を追いかけて用意されていた着替えを自分で取りに行く。不満そうな響葵と共に着替えが入った籐細工のカゴの中を見れば、ガーリーなロングワンピースからシックなスラックスまで数着が入っており、いずれも女子大生向けの人気ブランドのロゴ入りの洋服であった。
「どれでも好きなものを着るといい。昨日着ていた振袖とドレスは後ほど寮に届けると言っていた。月の秘宝も一緒にな。新しいスーツとパンプスも手配したのでここに届き次第、天里が持って行くそうだ」
「それはありがたいけど、こんなによくしてもらっていいのかな。この服も後で返しにきた方がいいんじゃ……」
「これは全て姫である彩月のために用意したものだ。遠慮せずに受け取ってくれ。化粧品はそこのラックにある。動画で使った余りらしいが、好きな物を使っていいと天里は言っていた。欲しいものがあったら、そのまま持ち帰って良いとも」
「ありがとう。帰る前に少し使わせてもらうね」
リビングの壁際には可動式のラックが置かれており、上から下までびっしりと化粧品が入っていた。その全てが中途半端に開封されており、中には一回しか使われていないと思しき新品同然のものもあったのだった。
ほとんどは女性向けのメーカー品だったが、有名な男性向けブランドや見るからに高そうな海外ブランドのものも混ざっていた。そのラックを興味深く眺めていた彩月だったが、ふと既視感を覚える。次いで部屋を見渡せば、壁紙や部屋の造りにも見覚えがあったのだった。
(なんとなく、この部屋を知っているような……気のせいかな?)
昨晩は疲れていてそこまで考えられなかったが、この部屋自体どこかで見たことがあるようで彩月は首を傾げてしまう。考え込んでいると、響葵が不思議そうに「足りないものがあったか?」と尋ねてきたので、彩月は気のせいだろうと思い直して「なんでもないよ」と答えたのだった。
そうして響葵が用意してくれた朝食を食べて、天里が選んでくれた洋服の中からできるだけ地味な装いに着替えた時には、時間はあっという間に過ぎていた。手早く化粧をして寮までの帰り道をスマホで検索すると、あと十数分で次の電車が来るようだった。
それを逃すとしばらく待たなければならなかったので、名残惜しいが帰ることにしたのだった。
玄関口に用意されていた彩月用と思しきスニーカーを履いて――パンプスやブーツまで色違いを含めて数点用意されていた、ビジネスバッグを肩に掛け直していると、響葵が見送りに来てくれたのだった。




