【52】
夢のように満ち足りた誕生日の一夜はあっという間に過ぎて、次に彩月が目を覚ました時は見知らぬ部屋だった。
必要最低限の物しか置かれていない殺風景なマンションの一部屋。身体を起こして枕元に置かれたデジタル時計の時刻を確認すれば、朝を少し過ぎた時間帯だった。
(そうだ。あの後、天里くんのマンションに案内されて、疲れていたこともあってすぐ寝ちゃったんだよね……)
レストランでの食事を堪能した後、響葵たちと車に乗って連れて来られたのは、彩月の大学から数駅隣に建つタワーマンションだった。オートロック式のマンションのエレベーターに乗って最上階にある天里の部屋まで案内されると、寮暮らしの彩月の部屋とは比較にならない広い一室に言葉を呑んだ。
彩月が借りた寝室以外にも動画配信と撮影用に用意したという部屋とそれとは別に一部屋ついており、リビングには彩月の家の何倍もの大きさのテレビが備え付けられていた。
昨晩借りた大きなジェットバス付きのバスルームや広いパウダールームもホテル並みに完備しており、普段は寮部屋に備え付けの小さなユニットバスを使っている彩月は久しぶりに足を伸ばして天里オススメの入浴剤入りのお風呂を堪能したのだった。
こんな富裕層が住むような高級マンションに天里たちが暮らしているとは思っていなかった。天里本人は「大した金額じゃ無かったよ」と言っていたが、彩月の父の年収では一生縁が無い場所だろう。
天里が動画配信者としていくら稼いでいるのか、ますます謎が深まったのだった。
そして昨晩借りた白とピンクのボーダー柄のブランド品のパジャマ――彩月でも知っている女子大生向けの人気ブランドだった、のまま、同じブランド品のスリッパに足を入れると、ベッド脇に置いてあったビジネスバッグからスマホを取り出す。
ざっと通知を確認すると就活に関するメールや就活サイトからの合同企業説明会の日程の案内、後は大学から授業の休講や変更に関するお知らせが届いているだけで、爽月や両親からは何も連絡が無かった。彩月は安堵の息を吐いて胸を撫で下ろしたのだった。
(良かった……昨夜のことを根に持って責められるかもって思っていたけど、こっちを構うほどの余裕は無かったみたい)
コンセントを借りてスマホを充電させてもらうとその間にバッグの中身を確認する。すぐに必要なものはほとんど揃っていたので、これなら自宅に寄らずとも寮に直帰できるだろう。
昨日の一件もあるので、しばらく両親や爽月と顔を合わせたく無ければ近寄りたくも無かった。渡りに船とはこういうことを指すのだろう。
バッグもスマホも昨晩自宅に忘れたはずだったが、ホテルで食事をしている間に老狐の命令で月の生物が取ってきてくれたようで、天里の家に届けられていた。
彩月たちが去った後、警察の事情聴取から解放された両親は完全に疲れ切ってそのまま休んでしまったとのことであったが、爽月は自分宛のファンからのプレゼント持って自室にこもってSNSを更新して、お礼の動画を撮影していたとか。何とも自由なことである。
ただその隙に月の生物たちは彩月の部屋に侵入して彩月が忘れたビジネスバッグごと荷物を持ってきてくれて、天里から借りた上着と何故か壁に貼っていた“五十鈴響夜”のポスターまで剥がして届けてくれた。
曰く、『爽月とかいう女狐に人質ならぬ物質にされそうだった』とのことで、月の生物たちはすっかり爽月たちを彩月の敵と見做してしまったらしい。
このままパジャマでいるわけにもいかないので着替えを探して部屋を見渡すが、昨夜天里に買ってもらったパーティードレスがハンガーに吊るされているだけで他に替えの服は無さそうだった。
お風呂に入った後は彩月も疲れて頭が回っておらず、響葵も久しぶりに人の姿に戻って忙しそうだった。天里も生配信の用意にかかりきりだったので、全員そこまで気が回らなかったのだろう。
とりあえずパジャマ姿のまま部屋から出て、二人に着替えを借りられないか尋ねることにしたが、リビングは誰一人いなかったのだった。
(まだ寝ているのか……出掛けたのかな?)
響葵はともかくとして天里はまだ眠っているのかもしれないと、配信に使っている配信部屋のドアを見ながら考える。
昨晩お風呂から出た時には、すでに天里は部屋に戻って動画サイトで生配信を始めていた。その時リビングに居た響葵から夜遅くまで生配信をすると聞いたので、彩月は一足先に借りた部屋に戻って途中まで自分のスマホで天里の生配信を観ていたのだった。
しかしすぐに睡魔に襲われたので、スマホを仕舞ってそのまま朝まで眠ってしまった。配信は後日動画として残すと言っていたので、それを見させてもらうつもりであった。
寝ているのなら起こすのは悪いと思っていると、視界の隅で小さな黒い塊が動く。そして「起きたのか」と足元から黒毛のうさぎに声を掛けられたのだった。




