【49】
「久慈川グループはグループ全体が月の民の協力者でね。子会社や系列会社を含めて、働いている人のほとんどは月の民の子孫や協力者なんだ。ここ百年近くは地上での子孫や協力者たちのまとめ役を担っている。月との連絡役や調整役なんかも、久慈川グループのご当主が務めることになっているんだ」
「そんな久慈川家が二人の後継人になったのも、当主の務めだから?」
「それもあるけれども、久慈川家は姫と浅からぬ関係があるからね。オレたちとも遠からず縁がある。それはまた別の機会に話すよ」
何か複雑な事情があるのかもしれないが、今日の彩月は月の民や月の姫という始めて聞く話で頭が溢れそうになっていたので、後日というのはありがたかった。これから付き合いがあるのなら、久慈川家と天里たちの関係について聞く機会はいくらでもあるだろう。焦って聞かなくても良い。
「君が月の姫に選ばれた以上、今後久慈川グループが全面的にバックアップすることになる。資金面は心配要らない。将来もね。月の姫として必要な費用は勿論、今後のいっちゃんとオレたちの生活面も完全に保証してくれる。そうなると残る問題は君自身のこと」
「私?」
天里が掌で彩月を示したので、彩月は瞬きを繰り返す。
「月の民として覚醒して次の月の姫に選ばれたとはいえ、今のいっちゃんは月の姫どころか月の民の子孫にも遠く及ばない。姫から簡単に説明を受けているとは思うけど、まずは月の民としての完全な覚醒を促す。そうして人間から離れて月の民になったところで、月の姫の力が目覚めるとオレたちは踏んでいる」
「俺たちが地上に降り立つ際に姫から聞いた話では、まごうことなき月の民として目覚めれば、次の姫となる者は自ずと『月の加護』を扱えるようになるとのことだった」
コーヒーカップの縁を細長い指先でなぞりながら、響葵が説明をしてくれる。
「最終的に月の姫として完全に覚醒するには純然たる月の民との婚姻が必要になるが、それはまだ先の話。月の姫として月に昇る時……月で暮らす時に考えれば良い。今は彩月の中に眠る月の民の力を目覚めさせることが先決だ」
「気になっていたんだけど、どうして月の民との婚姻が必要になるの? 純粋な月の民ということは、地球に住む子孫ではダメってことだよね?」
「姫だけが持つ『月の加護』を保つためだ。神代の時代より、地上と月は『月の加護』を頼りに生きてきた。『月の加護』が無くなった後の世界を誰も想像できない。これまで通りの生活が送れるか、それとも滅びへの道を辿ってしまうのか……こればかりは誰にも分からない」
響葵の低い声に彩月は寒気を感じる。
月祈乃は「月の加護」は月の民に特別な力を与えて、地上の民に安らぎと眠りを与えると話していた。
月の姫がおらず「月の加護」が無くなれば、月の民は勿論のこと、地上で暮らす彩月たち人間にも影響が出る。
一日を終えて夜になっても安らげないため心を落ち着かせられず、どんなに疲れていても眠れないので疲労は蓄積するばかり。そんな状態が続けば集中力や判断力、モチベーションを欠くどころか、心身にも異常をきたしてしまう。それ以上の異変も起こり得るだろう。
世界から「月の加護」ひいては月の姫が失われた後の状態というのは、彩月にも想像できなかった。
「月の民以外の他の血が混ざっていると、どうしても月の民が持つ《超常力》が弱ってしまうんだ。それは姫も同じ。姫の場合は《超常力》と『月の加護』が繋がっているからね。床を共にして契りを結んだ際に月の民以外の者と混ざり合ってしまうと、姫が持つ『月の加護』が弱くなってしまう」
「それもあって代々月の姫は他の民の血が混ざっていない生粋の月の民と婚姻を結ぶことになっている。ただでさえ月の都は月の民が減って、生まれながらの月の民というのが減ってきている。そんな中で生粋の月の民を見つけるのは容易では無いが……」
響葵の話によると、どうやら月生まれの月の民というのは減少の傾向にあるらしい。月と地上の交流が途絶えて久しいというので、地上に降りたという月の民も月に戻っていないのだろう。
そうすると響葵たちが暮らしていたという月の都は閉鎖的な空間となって婚姻できる相手が限られ、結果として自然と人工が減ってしまったのかもしれなかった。
「いっちゃんの近侍であるオレとヒビは、これから月の姫としての覚醒の手助けや世話役以外にも、新たな月の姫に相応しい相手か婚姻相手を見定める役割も担うことになる。けど好きでも無い相手との結婚を無理強いするつもりは無いし、出来る限りいっちゃんが望む人と結婚できるようにすると約束する。自由恋愛の時代に政略結婚なんて時代錯誤も甚だしい。姫も好きに恋愛できなかったことだけは後悔していたみたいだから」
「無論、それ以外のどんな野暮用であろうと、俺たちを自由に使ってくれて構わない。月のことや日常生活のこと、それ以外だろうと幾らでも相談に乗るし、困ったことがあれば力になる。不平も不満も忌憚なく口にしてくれ」
「ありがとう……つまるところ、まずは月の民として目覚める必要があるってことだよね。頑張らなきゃ!」
彩月は両手を握りしめて力強く頷くが、天里は「やる気があるのは良いことだけど……」と苦笑する。
「覚醒は急ぐものでもないから、あまり肩肘張らずに楽に構えて欲しいな。覚醒してからも先は長いから、最初から本気を出しちゃうと疲れちゃうよ」
天里の言葉を肯定するように、響葵も柔らかく微笑む。
「月の民ひいては月の姫として覚醒したら《超常力》と『月の加護』を得るのと同時に、月の民の特異体質である不老長寿になる。そうしたら人間の寿命なんて優に超えて何百年も生きることになる。俺たちを育ててくれた姫のように」
「月祈乃さんも?」
「生まれは明治って言っていたかな。女学生だった時に先代の月の姫に選ばれたって」
「姫は生まれながらにある程度月の民として覚醒しており、僅かではあるが『月の加護』も持っていたと話していた。月の姫に選ばれたことで『月の加護』が活性化した形らしい。婚姻を結んで完全に覚醒したことで、人の理から外れたのだろう」
「全然明治生まれには見えなかったよ。少し歳上なくらいで、こんな私にも優しくしてくれて……」
思い返せば、響葵が席を外して二人で話した時、元は華族で女学生だったと話していた気がする。話している限りは物腰穏やかな優美な女性であり、二人の母親としての顔と月の姫として民を導く統治者の両方を備えた上品な人だった。
地上では彩月の曾祖母の年代に当たる人だろうが、生まれた年代が全く違うとは到底思えなかった。




