【45】
「彩月、着いたぞ」
いつの間にか眠ってしまったようで、響葵に声を掛けられた時には豪勢なホテルの駐車場に車が停められていた。
身体を冷やさないように二人が気を遣ってくれたのか、肩には毛布まで掛けられていたのだった。
「着いたんだ。ごめん、寝てたよね……」
「今日だけで色々あったからな、疲れが出てしまうのも仕方ない。夕餉はどうする? 無理なら、予約は別日に替えてもらうか?」
「ううん、大丈夫。せっかく天里さんが予約してくれたんだもん。お腹も空いているから楽しみ」
寝ぼけまなこを擦りながら車を降りていると、先に車を降りていた天里がホテルから出てくる。彩月に気付くと、「おはよう、彩月ちゃん」とおどけたように声を掛けたのだった。
「疲れているところ振り回してごめんね。お祝いは後日にして、今日は帰ろうか?」
「少し寝て頭がすっきりしたので大丈夫です。今日の午前中に企業での最終面接があったんです。緊張して昨日は全然眠れなくって」
「そう? でも辛い時は遠慮せずに言ってね。オレもヒビも彩月ちゃんが最優先だから」
「ありがとうございます」
ホテルに足を踏み入れると、天井に吊るされた大きなシャンデリアとよく磨かれた白い大理石の床が輝く高級感溢れる煌びやかなエントランスホールが彩月たちを出迎えてくれる。
宿泊客を出迎えるホテルスタッフも皺一つない制服をきっちり着こなし、その宿泊客も各界の大物と思しき見目麗しい人たちばかりなので、すっかり着崩れしてしまった振袖を着ている彩月は完全に浮いているような気がしてならない。
天里の案内でエントランスホールを突っ切って、赤い緋毛氈が敷かれたエレベーターホールに向かう途中、通路に吊るされたホテルのロゴマークが印刷されたタペストリーを見つけた彩月は「あっ!」と小さく声を上げてしまう。
「ここって、グランドホテル久慈川ですよね」
「そうだよ。来たことあった?」
「来たことはありませんが、爽月がここのホテル内レストランに来たがっていたような……外国で有名な料理ガイドブックで三ツ星評価だったとかで。でも予約がいっぱいで早くても二年先とか……」
グランドホテル久慈川は国内にいくつかあるが、三ツ星評価を得たレストランがあるのは一ヶ所だけ。三年前に料理ガイドブックで三ツ星評価を得てからというもの、ひっきりなしに予約が入るようになり、キャンセル待ち状態が続いていることで有名だった。肝心の料理も三ツ星評価を得ているだけあって美味しいと評判で、国内から取り寄せている高級食材を使っていることでお値段もなかなかのものであった。
大学受験に合格した時に爽月がここのレストランに来たがっていたが、キャンセル待ちか二年先まで待たなければならないということで断念していた。
「それなら良かった。予約したのはそのレストランなんだ。気に入ってもらえるといいんだけど」
到着したエレベーターに乗り込んで、慣れたように先を行く天里の後ろをついて行く。ちなみに響葵はレストランどころか、ホテルそのものに来たことが無いそうで場所など全く分からないとのことであった。
「丁度良い時間だね。でもその前に……」
ブランド品と思しき高価そうな腕時計を見ながら呟いた天里に続いて入った部屋には、色とりどりのパーティードレスやブランドのスーツが所狭しと並べられていた。彩月たちが戸惑っていると、奥からホテルの制服を着たスタッフが姿を現わすとそれぞれ一礼したのだった。
「天里、ここは……」
「彩月ちゃんはともかくとして、まさかこの格好でレストランに入るわけにいかないだろう。ドレスコードを考えなきゃ。オレたちはスーツにお着替え」
自分の濃紺色の紬を差された響葵は若干不満そうにしたものの、やがて「そうだな」と納得したようであった。着物に詳しくない彩月は知らなかったが、どうやら紬と呼ばれる着物は普段着としてカジュアルなシーンで着るものであり、礼装などは別にあるらしい。
「彩月ちゃんも振袖が窮屈ならここで着替える? 慣れてないと疲れるでしょう?」
「そうですね。確かに振袖で動き回って疲れたかもしれません……」
「じゃあドレスに着替えよう。ワンピースタイプなら慣れていて動きやすいだろうし、身体にも負担が大きくない。似合いそうなものを見繕ってあるから、それに着替えてきて。じゃあ、また後で」
さっさと響葵を連れて隣の部屋に行ってしまった天里を見送っていると女性スタッフに案内される。部屋の奥が女性専用のフィッティングルームのようで、振袖を脱がされるとあらかじめ用意されていたピンクグレーのマキシ丈ワンピースを着せられたのだった。
(あれ、このワンピースのブランドって爽月のお気に入りだったような……)
高級志向の爽月のお気に入りブランドということはもしかしてと、女性スタッフが彩月の足のサイズに合うヒールを探しに行っている間にワンピースの値札を確認する。
ハイネックでありながら肩はレース地で通気性が良く、それ以外にもレースとフリルがふんだんに使われた大人らしさと可愛らしさが半々のAラインのワンピースドレス。着心地の良さに加えて見るからに高そうなデザインだったが、印字された値段の桁数を数えて眩暈がした。ここまで高級な洋服をこれまで買ったことも無ければ貰ったこともない。
爽月は両親にねだってこのブランド品を買ってもらっていたが、彩月は近所の衣料品店で売られている安価な洋服しか与えられなかった。自分で洋服を買うようになってからも同じ。今夜くらいしか着る機会が無いのに、その度に高級品を買ってもらっていたら天里たちが破産してしまうのではないか。
そんなことを考えている間に用意された黒いヒールも、やはり同じブランド品でそれなりの値段だった。値段の安いものに替えて欲しいと頼むが、天里からは値段に糸目を付けないように言われているとのことであった。
自分で他のものを探しても他に良いものが見つからず、そうこうしているうちに終わったのか、ライトグレーのスーツに着替えた天里が様子を見に来てしまう。




