【41】
「待ちなさいよ! どこに行くつもり!? こんなに好き勝手なことをして、許されると思っているの!?」
「爽月……」
「君こそ、実の妹にこんなことをして許されると思っているのか? 君たち家族が原因で彩月は傷だらけなんだぞ!?」
すかさず響葵が言い返してくれるが、爽月は鼻で笑い飛ばしただけであった。
「どこかで見た顔だと思ったけどようやく思い出した! あんた彩月が部屋に貼っていたポスターの男ね!? 五十鈴響夜とかいう名前のアイドル!」
彩月を掴む響葵の手に一瞬だけ力が入るが、すぐさま冷静さを取り戻したように「……それがどうした?」と響葵は低い声で問い掛けたのだった。
「知っているわよ。うちの事務所のアイドルと恋愛関係だって週刊誌にリークされた途端に芸能界を引退して行方知らずになったんだって。残っていた仕事も放り投げて誰とも連絡を取らないで、心配するファンさえ無視して。都合が悪いことは全部事務所とマネージャー任せで、デビュー時から誰とも交流しないでお高くとまっていて生意気そうだったって聞いたわっ!」
爽月の言葉に言い返したい気持ちを堪えているのだろう。響葵は空いている手を落ち着かない様子で何度も握っては開いてを繰り返していた。
ここで舌戦を始めてしまったら、挑発する爽月の思う壺であることは彩月でもよく分かる。
彩月のために耐え忍ぼうとする響葵の気持ちが嬉しい反面、守られてばかりで何の役にも立たない自分の力の無さを歯がゆく思う。
――月の姫として覚醒できたのなら、響葵のことも守れるようになるのだろうか、と気持ちが溢れそうになる。
(自分が原因で響葵くんが辛い気持ちになっている。なのに自分は庇ってもらうばかり。これでいいの? 私が響葵くんのために出来ることは何も無いの? 考えなきゃ! 自分に何が出来るのかを……!)
きっかけは何であれ、芸能界を引退せざるを得なくなった響葵が負った心に見えない傷。本人でさえも触れたくない傷を、彩月が原因で抉られようとしている。
傷だらけになっても彩月を守ろうとする響葵のために、自分に出来ることは何だろうか。
彩月は自身の体温が上昇して、ドクドクと鼓動が速くなっていくのを感じていく。家族に暴言と暴行を受けた時は何も感じられなかった感情が、内側からマグマのように吹き出そうとしている。
幼い頃の「諦観」の情感の中で埋もれて忘れてしまった感情の一つが、体内で渦巻くのを感じたのだった。
そんな彩月の様子に気付かないまま、響葵が何も言い返さないのを良いことに、爽月は得意気になってベラベラと喋り続ける。
「ファンも幻滅したでしょうね、ずっと推していたアイドルがこんな無責任な奴だったなんて。きっといなくなって清々したって思っているわ! あんたなんて今更芸能界に戻ったところで、居場所なんて無いんだからっ!」
「……元から芸能界に戻るつもりも無ければ、他の者からなんて言われようと関係ない。アイドルになった目的が果たされた以上、戻る必要も無いからな」
「へえーその割には妹を誑かしているんじゃん。あんたのファンだっていうこの子を利用しているんでしょう! 良いように言いくるめて、金を貢がせて。妹は頭が悪いからすぐに騙されるけど、私は違うんだから。その手を離しなさいよ。今ならパパたちにも内緒にしてあげる……」
得意満面に響葵の悪口を話し続ける爽月の隙をつくように、彩月は響葵の手を振り解くと大きく手を振り上げる。
勢いのままに下ろした手は爽月の頬に当たり、小気味良い音が辺りに響いたのだった。




