【4】
(あれは……うさぎ?)
夕間暮れの薄暗い視界では肉眼で認識できなかったので、試しに子猫とカラスに向けてスマホのカメラ機能でズームを選択する。すると、宵闇に紛れてしまいそうな黒漆の毛に覆われたうさぎが子猫を庇うようにカラスたちの前に立ち塞がっていた。
「この幼い猫は迷子になってここに迷い込んだだけだろう。お前たちの縄張りを荒らしに来たわけではないっ!」
ピンと立った長い耳と大きな身体から大人のうさぎだろうか。スマホの画面越しに見ても、このうさぎはどことなく凛々しい顔立ちをしている。
これまで見てきたどのうさぎよりも顔立ちが整っており、うさぎが持つ愛らしさに逞しさと雄々しさが混ざった姿は勇敢な男性を彷彿とさせられたのだった。
(この川でうさぎを見るのは初めてかも。どこかの家から逃げ出したペットとか?)
もしペットだとすると飼い主が探している可能性が高い。落ち着いたらネットで調べようと、彩月は彼らの邪魔をしないようにうさぎに焦点を合わせてシャッターボタンを押す。
その間もうさぎはカラスたちを叱っていたが、その声は澄んだ低い声質を持っていた。その落ち着いた声音から人間の年齢に換算したら、彩月と同年代の青年ぐらいだろうか。
鳴いている子猫は子供特有の白声でカラスたちは濁声だからか、うさぎの美声がよく響いたのだった。
「うるさい、うるさい。おまえもおれさまたちのテキ! しらないヤツはみんなテキだっ!」
「俺はたまたま通りかかっただけだ! この猫が怯えていたから止めに入っただけにすぎないっ! お前たちこそ早く立ち去れ!」
そんなことをうさぎたちが話している間も彩月は構わず写真を撮っていたが、ふと視界の隅に黒い塊が写る。
音もなく近づいてくる黒い塊にカメラを向ければ、子猫とよく似た成猫が画面に映し出されたのだった。
(まさか子猫の親とか!? た、大変っ! あのうさぎは気付いているかな……)
子供の頃に読んだうさぎの本には、猫とうさぎは敵にも味方にもなると書かれていた。ペットとして一緒に飼っていれば友好的な関係も築けるが、野良同士では縄張り争いをすることもあると。
うさぎは警戒心が強くて物音に敏感という話を聞いたことがあるが、カラスから子猫を庇うことに必死な黒うさぎが気付いている様子は無さそうだった。
(どうしよう……)
助けを求めて彩月は辺りを見回すが、自分以外には誰もいなかった。うさぎを助けた方がいいのか、それとも見なかった振りをして背を向けて良いのか分からない。
自然の摂理に任せるのなら、ここは止めずに放っておくべき。目的を果たした彩月はすぐにここから立ち去るべきだが、何故か地面に足が生えたかのように動かせなかった。あの勇気ある黒うさぎから目が離せない。
(あのうさぎにはきっと飼い主や家族がいるよね。それなのにここで怪我をしたら……)
このまま放っておいたとして、あの黒うさぎが激怒したカラスに襲われて怪我をしたり死んだりしたら、飼い主や家族はどんな気持ちになるのだろうか。
ボロボロになったうさぎの姿に心を痛めてしまわないだろうか。
偉ぶる双子の姉とそんな双子の姉ばかり優遇して彩月を無視する両親とは違って、あの勇敢なうさぎには帰りを待つ家族がいるだろうから――。
(ねえ、キョウくんはどうしたら良いと思う?)
両手で大事に持っていた推しのマスコット人形に問い掛ければ、背中を押されたような気がした。
自分の心に従えと――。
(よしっ!)
彩月は深呼吸をしてキョウくんの人形とスマホをバッグに仕舞うとその場に置く。そして袖が破れた上着を脱いでタオルのように頭の上で振り回しながらうさぎたちの間に割って入ったのだった。