【39】
「これはいったい……」
「あっ! 姫たまだっ!」
人語で好き勝手に話し続ける動物たちに度肝を抜かれていた彩月だったが、やがて舌ったらずの少女が言い放った言葉を合図にさあっと静かになる。
彼らの注目が玄関に立つ彩月へと集まると大きな咳払いに続いて左右に分かれたのだった。
「姫さま自らがお出迎えになるとは何という僥倖。眼福ですぞ」
ぽっかりと開いた人垣ならぬ動物垣の中央部から進み出てきたのは、一人の小柄な老爺だった。
薄茶色の亀甲柄の着物に茶色のパナマ帽を被っていた老爺が帽子を取って低頭するが、その拍子に頭から生えた狐の耳に目が入ってしまう。
白い獣毛に覆われた耳と曲がった腰から伸びる同じ色の狐の尻尾に言葉を失っていると、老爺に倣うように他の動物たちも一礼したのだった。
(人の姿をした狐と言葉を話す動物がどうしてここに……?)
動物が一斉にお辞儀をするという世にも奇妙な光景に唖然としている間に老爺は頭を上げる。そして彩月の疑問に答えるようにしわがれた声で話し出したのだった。
「驚かせてしまったのなら申し訳ございまする。我らは月の姫が発した御触れを聞いて集まった月の生物の有志。新たに誕生された月の姫さまへご挨拶に伺った次第じゃ」
「挨拶ってそんな必要は……」
「どうした? 彩月」
そこに彩月を心配した響葵が姿を現わすと、老爺は「これは、響葵さま」と低頭する。そんな老爺の背からは白い子狐がつぶらな瞳で彩月を見上げていたのだった。
「この度は新たな月の姫の誕生を謹んでお慶び申し上げまする。我ら月の生物一同は響葵さまと天里さまの宿願の達成を寿ぎますぞ」
「老狐ではないか! 久しいな!」
顔を明るくさせた響葵と老狐と呼ばれた老爺は知り合いだったようで、二人は互いに挨拶を交わす。老狐も上機嫌といった様子で表情を柔らかくしたのだった。
「此度の御触れをお聞きいたしました。新たな月の姫の誕生を誠にお喜び申し上げます。これより我ら月の生物は新たな月の姫さまであらせられる彩月さまに忠誠を誓う所存ですじゃ」
「良かったな、彩月。月の生物を束ねる月狐族の老師が君を姫に認めると挨拶にきてくれたぞ」
「月の生物って……?」
「元は月に住んでいた生き物のことだ。月から地上に移り住み、表向きは地上の生物として生活をしている。月の民と月の生物は故郷を同じとする同志。そして月の姫に仕える者たちでもある。彼らは地上の生物より知能が高くて長命のため『月の民の知の宝庫』とも呼ばれており、特にこの老狐は月の生物の中でも最高齢にして月の民たちの生き字引でもある」
「ふぉふぉふぉ。我も地上に移り住んで千年になろうとしている。『月の加護』を受け続けたおかげで、ほれ、尻尾が九本に分かれておるじゃろう。これも姫さまたちが与えてくれる『月の加護』のおかげよ」
老狐が尻尾をゆらゆら揺らせば、一本に見えた尻尾が九本に増えた。目を瞬いていると、「隠居した身ゆえ、普段は野良狐として山に住んでおるのじゃ」と教えられたのだった。
「我ら月の生物の大半は野山に住んでおる。中には人に飼われているものもおるようじゃの。我らを呼ぶ時は月の秘宝を使うと良いぞ。近くにおる月の生物が力を貸してくれよう」
「君が姫から譲られた月の檜扇には彼らを使役する力がある。使いこなせば自分で好きな月の生物を呼び出せるようになるだろう。これから練習するといい」
「あの檜扇にそんな力があるんだ……」
月祈乃から譲り受けた時は彩月の『月の加護』に反応して光り輝いただけであったが、本来の用途は月祈乃が話していた通りの地上に暮らす月の生物を呼び出す役割なのだろう。
自分が『月の加護』を持った特別な選ばれた存在――月の姫、という自覚が徐々に芽生え始める。
「我らを呼び出すだけではないぞ。この世界に暮らす人外だって呼び出せる。彼らは歴代の月の姫と懇意の仲じゃ」
「地上に暮らす人外って……?」
「あやかし……妖怪と言った方が分かりやすいか。聞いたことあるだろう」
「妖怪って実在しているの!?」
響葵の説明によれば、今でこそ架空の存在として漫画やアニメに登場するだけとなっているが、古来より人に紛れて穏やかな生活を送っている気性の大人しい者たちばかりだという。
たまに悪さをして人間に迷惑を掛けている者もいるらしいが基本的に人間に対して友好的な者が多く、特に千古より付き合いのある月の民とは協力関係を結んだ盟友の間柄であるとのことであった。
「月の生物と妖怪は千古以上の付き合いがあるのじゃ。遥かな昔は妖怪たちも我ら月の生物や月の民と同様に地上の人間たちと密接な関係じゃったのだがのう」
「俺たち月の民たちと同様に文明が発展していけばいくほど妖怪の存在は忘れられて、今では人か動物の振りして生きるしかないからな。地上に暮らす月の民や生物と同じで肩身の狭い思いをしている」
「月の民と生物たち、そして妖怪たちは朋友の仲じゃ。今の月の姫とも付き合いがあるからのう」
「そうなの?」
彩月がと首を傾げれば、響葵は小さく頷いてくれる。
「地上に暮らす月の民や生物たちが定期的に地上の様子を伝えてくれるが、時折妖怪たちも連絡を寄越してくれる。妖怪たちの中には歴代の月の姫に命を助けられた者や仕えた者もいるからな」
「妖怪を束ねる棟梁は仕事でしばらく遠野に滞在しておるが、新たな月の姫を歓迎すると申しておった。困ったことがあれば頼ると良い。近々挨拶に来るじゃろう。彼らのこともよろしくお頼み申し上げまする」
ただでさえ月の民や姫の話を聞かされて頭がパンクしそうになっている中で、妖怪の話まで出てきたのでだんだん混乱してくる。
それでも月の民と同じく月の姫を主人として恭順する月の生物と、月の民や月の生物と親密な関係である妖怪たちが、新しく月の姫となった彩月を歓迎しているというのは理解したのだった。
「えっと、これからよろしくお願いします……?」
「なんじゃ、その腑抜けた返事は。もう少ししっかりせい。儂の孫娘の方がよっぽど姫らしいのう。そうじゃろう? 皆の者」
溜め息を吐いた老狐が問えば、他の月の生物たちが一笑する。
すると老狐の足元で退屈そうにしていた白毛の子狐が急に立ち上がると、彩月の足に擦り寄ってきたのだった。
人懐こい猫のような子狐を試しに抱き上げれば、すっかり寛いで彩月の腕の中で丸くなってしまう。
「可愛い。この子がお孫さんですか?」
「左様、どうしても姫さまに会いたいと駄々を捏ねたから連れてきたが、どうにも疲れてしまったようじゃ。人の姿を維持できなくなって本体の狐に戻ってしまったようじゃの」
そんな彩月に身を預ける子狐の首の下を試しに撫でれば、喉を鳴らして笑みを浮かべてくれる。子狐の愛らしさに癒されていると、塀の外側から車のクラクション音が何度も聞こえてくる。
「ちょっと何なのよ、これっ!?」
そんな金切り声に身体を強張らせた彩月が顔を上げると、真っ青な顔をした両親と爽月が立っていたのだった。




