【36】
それから帰りの支度が整ったと眉見が呼びに来るまで、彩月たちは屋敷の縁側に並んで腰を掛けて女中が用意してくれた煎茶と栗羊羹を食した。
響葵によると月の加護を含んだ食べ物を摂取することは、月の民ひいては月の姫として覚醒を早める効果があるそうで、これからはなるべく口にするように勧められたのだった。
「月の加護を含んだ食べ物って日本でも手に入るものなの?」
「スーパーやコンビニには売っていないが、栽培している者たちから直接仕入れることは可能だ。月の民に纏わる者たちは独自のネットワークを持っている。そこで紹介してもらって購入する形だな」
つやつやした小豆鼠色の表面と甘露煮された栗を余すことなく使われた栗羊羹を口にすれば、しっとりとしたこし餡の上質な優しい甘さとさらりとした舌触りが口中で広がる。豊かな小豆の香りがますます食欲をそそり、黒文字楊枝を動かす手が止まらなくなる。さらに甘くて柔らかい大粒の栗がゴロゴロ入っていて食べ応えも充分にあった。これまで食べてきた栗羊羹の中でも格別に美味しく、彩月は舌鼓を打ったのだった。
そんな栗羊羹の甘みが強いからか少し渋めに淹れられた煎茶との相性も抜群で、胃がもたれることや食べ飽きるということは全く無く、あっという間に完食してしまう。
「月の姫になるということは、これからはそういった月の民同士の繋がりにも入っていくってことだよね。受け入れてもらえるかな……」
「先程、姫が君を後継者だとお触れを発した。姫の決定に逆らう月の民は存在しない。月の民にとって月の姫は唯一無二の至上の存在。誰もが君を受け入れて、忠誠を誓うだろう。月の民は姫が持つ『月の加護』無しには生きられない。月の民の血が濃ければ濃いほどに、『月の加護』が必要になるからな。姫に逆らうということは自分の存在さえ否定することになる。月の民の協力者たちもそうだろう」
「その月の民の協力者というのはどういう人たちなの? 子孫とはまた違うんだよね?」
「かつて月の姫が地上に顕現した際に助けた者たちや関わった者たち、または月の姫の信奉者を指す。彼らは月の民の血を引いていないが、月の姫と月の民について理解しており、地上で暮らす月の民の子孫たちを手助けをしてくれている。俺と天里が地上に降りた時も、そういった者たちから地上の知識や常識を学び、生活を助けてもらった」
「月の都と地球は生活様式が違うみたいだし、慣れるまで大変だったよね」
「そうだな。今でも彼らには世話になっている。特に身元の保証についてはかなり助けられた。俺たちはこの月の都で生まれ育ったから地上での戸籍というものが存在しない。俺たちの世話を請け負ってくれた一族の家長が後継人になってくれたからどうにかなっているが、そうでもなければただの不審人物になっていただろうな。地上では何かと身分証の提示を求められるから困ったものだ。それだけ防犯や安全に力を入れているというのは良いことではあるが」
そんなことを話していると音も無く眉見がやって来て、帰りの支度が整ったと声を掛けられる。
縁側から立ち上がって眉見の後について廊下を進むと、そこには閂がされた大きな観音開きの扉が待ち構えていたのだった。




