【35】
「じゃあこれからも響葵くんのファンとして、響葵くんを推しても良い……? 月の姫になった後も……」
「君の生き甲斐を奪うつもりはない。君というファンのため、望まれるままに君だけのアイドルでいよう。姫になって、月の民と夫婦の契りを結んだ後も……」
長い指先が目尻に残る涙を弾かれると、響葵に抱き寄せられる。彩月を抱く手に力が込められたので、彩月も響葵の腰に腕を回したのだった。
「あの日、救ってくれてありがとう。響葵くん」
「俺を見つけてくれてありがとう、彩月」
いつか推しに会えることがあれば伝えようと心に決めていた言葉を紡げば、打てば響くように彩月を受け入れる囁きが返ってくる。つま先立ちをして縋るように顔を近づければ、目尻に残っていた涙を吸い取るように唇が降りてきたのだった。
「んあっ……響葵くん、何をっ……!?」
その問いに答えることなく彩月の頬を両手で包んだ響葵は目尻から頬に向かって、涙筋を辿るように柔らかな口付けを贈り続ける。
「んんっ……何とはっ、俺の姫に、涙は似合わない。君にはいつまでもっ、笑ってほしい。その花笑みに、酔わせてほしい……」
「だからって、ここまではっ……んんっ!」
控え目に頬をなぞっていたキスの雨がようやく止んだと思って気を緩ませた瞬間、引っ張り上げられるように腰をぐいっと押される。
その先には響葵の顔が待ち構えており、二人の唇は重なり合ったのだった。
「ひっ、響葵、くんっ……!?」
うさぎ姿の響葵を助けようと飛び込んだドブ川で溺れかけた彩月に息を分けてくれた時とは比較にならない貪るような強引なキス。
抗おうにも響葵の力が強く、ほんの隙をついて息を吸うのが限界だった。逃げようとそればするほどに腰に回された響葵の腕に力が込められるので、ますます身動きが取れなくなる。
どのファンもされたことがないであろう推しからの口付けに感情が狂喜乱舞する一方で、冷静なところでは優男な響葵に抱いていたイメージとは異なる荒々しいキスに腰が竦みそうになってしまう。
ただいずれにしても本当に彩月が嫌がった時は解放してくれる気があるのだろうと思わせられるような、不器用ながらも優しいキスではあった。
「何度だって言おう。彩月、君が好きだ。この世界に生まれてきたことを感謝している。どうか俺たちと生きて欲しい。君を阻む全ての障害から守り抜き、幸せにすると約束しよう」
間髪入れずに唇を奪われて、彩月は「んんっ!」と呻き声を上げてしまう。今度はすぐに離してくれたものの、熱情を帯びた響葵の両目は彩月の姿を捉え続けていた。
「これは、この世界でただ一人の……月の姫となる君にだけ誓う……誓約の口付け。他の者には決してしない俺からの忠誠の証だ」
「誓いなんて……この先っ、もし私以外に月の姫に相応しい人が現れたらっ、きっと響葵くんだってその人が姫に良いっておもっ……」
「疑うな。俺は自分の心に従ってっ、君に想いを伝えているっ……! 君に否定されてしまったらっ、この想いはっ、どこにいく……?」
消え入りそうな切ない響きを含んだ言葉に彩月が目を見開いて固まっている間も、本当に愛しい恋人にするかのように――はたまた深い絆で結ばれた夫婦のように、響葵は吐息混じりに彩月を絡め取るような激しいキスを贈り続けてくれる。
自信が無い彩月を励ますような、背中を押してくれるような口付け。もう一人じゃないと、側にいると勇気づけてくれているようでもあり、愛されたいと願い続けた彩月の願望に答えてくれるような深愛に胸の奥がじんわりと温かくなる。これが夢ではなく、泡沫に消えないというように、響葵は何度も唇を重ねてくれたのだった。
そんな誓いのキスが何度か繰り返された後、柔らかな唇が離れたタイミングで彩月は口を開く。
「私、月の姫になる。姫になって、響葵くんと一緒に居る。月の姫になれたのなら、ずっと一緒に……居てくれる……?」
「君なら必ず立派な月の姫になる。その手伝いを俺にさせて欲しい。月の姫として覚醒する手助けを……誰にも譲らないでくれ」
その言葉を合図に彩月を抱く腕に力が込められると、また口付けが再開される。
最愛の推しのハグは優しく、そしてキスは蕩けるように心地良かった。




