【28】
「わたくしはこの月の都を治める月の姫。名を月祈乃と申します。子供たち――響葵と天里がお世話になっております」
「天里……?」
「俺の兄弟だ。君も会っている」
すかさず隣に座った響葵が教えてくれる。会ったと言われても覚えが無くて首を傾げていると、月祈乃は小さく一笑する。
「あの子は相変わらずのようですね。響葵は……随分と髪を短くしましたね。最後に見た時よりもたくましくなって見違えました」
傍らの響葵に目線を向ければ、照れ隠しのように黒漆の短髪に触れながらも言いづらいというように答えたのだった。
「本当は切りたくなかったのですが、髪は事務所の……地上で労働に従事する上で、切る必要がありまして……」
「天里から聞いて知っています。アイドルとして人々に笑顔と幸福を届けていたのですね。恥ずかしがり屋だった貴方が人前に出るなんて、我が子の成長に驚くばかりです」
「恥ずかしい話はそれくらいにしてください。今は彼女の――新たな月の姫の話をしましょう」
急に注目を浴びた彩月はぎこちないながらも、月祈乃に頭を下げたのだった。
「私は綺世彩月です。月の都ということは、ここは月にあるんですか。人が住んでいるなんて、聞いたことがありません……」
「そうです。ここは彩月さまが暮らす地上から離れたところにある月。天で輝くあの月です。今はわたくしの力で地上の人たちから、この月の都を隠しております」
「信じられません。宇宙は無重力空間で宇宙服と酸素無しでは生きていけませんし、それに月の姫と呼ばれても私には全く心当たりがなくて……」
この屋敷に来てからずっと思っていた疑問を正直に口にすれば、月祈乃は困ったように目を伏せる。
「信じられないのも仕方ありません。彩月さまはわたくしと同じ月の民の血を引く子孫で、そして響葵たち月の民の頂点に立つ月の姫の素質をお持ちです。うさぎ姿の響葵と話せた上に、ここに来られたのがその証」
「月の民の子孫って……私は生まれてからずっと地球に住んでいました。両親もそんなことは一言も言っていませんでしたし……」
「遥かな昔、この月の都と地上にある日本は非常に密接で行き来も盛んでした。特にかぐや姫さまが月の姫を務めていた時は交流も盛んだったと言い伝えられています。彩月さまはかぐや姫さまをご存知でしょうか」
「竹取物語のかぐや姫なら授業で習いましたが……」
千古も前に竹から生まれて月に帰ったとされる月の姫。五人の貴公子たちと帝からの求婚を断り、育ての親である竹取の翁夫婦の身を案じながらも月からやって来た天人たちと共に故郷である月に昇ったとされていた。
「そのかぐや姫さまもわたくしたち月の姫の先人に当たる方なのです。あの方がきっかけとなってしばらくは月と地上の往来は頻繁にあったとされています。かぐや姫さまは決して地上に降りませんでしたが、他の月の民と地上の人たちは交友があったそうです。婚姻を機に地上へ移り住む者、はたまた月の都に住む者もいたそうです。そういった者たちの祖先が月の民を名乗っております」
「じゃあキョ……響葵くんや月祈乃さん、眉見さんも月の民ということですか?」
「そうなります。しかし今から百年以上も昔……わたくしが地上に暮らしていた頃から、そういった非科学的なものは否定され始めて徐々に交流は途絶えるようになり、今では全く無くなりました」
そうして月祈乃は痛切な顔でゆるゆると首を振る。
「その当時に移住した月の民と生物、その子孫たちは今でも地上におります。彩月さまのように知らない者が大半ですが……」
「そんな私がどうして月の姫に選ばれたんですか? だって私は今まで月の民のことなんて知らなかったんですよ。響葵くんと出会うまで……」
「長い歴史の中で月の民の子孫たちは力を失って地上に溶け込んでしまいましたが、月の民として目覚める者が稀におります。その一人が彩月さまです。何かお心当たりはありませんか?」
「心当たりなんて言われても……」
いや、一つだけある。アイドルをしていた響葵と出会う前、大学受験に落ちて家族から酷く責められていた時に自分の中で何かが切れた音が聞こえた。
紐が切れるような小さな音だったが、それから自分の中で何かが溢れ出そうになった。今ではもう何も感じられないが……。




