【23】
「えっ、ええっ~!? キョ、キョウくん!?」
マスコット人形を肌身離さず持ち歩くくらい大好きな推しの響夜が目の前に現れた事態についていけず、彩月は瞬きを繰り返して叫んでしまう。
夢でも見ているのかと両目を擦ってみるが、目の前の響夜は消えるどころか自身の手を見つめて、「やはり……」と呟いただけであった。
「初めて触れられた時から、自分の中に『月の加護』が溜まっていく気配を感じていた。やはり君が探し求めていた月の姫なのだな」
「ど、どうしてキョウくんがここに……っ!? 何かのドッキリ!? テレビ番組の企画とか?」
「彩月っ!」
「はっ、はいっ!!」
響夜の艶やかな唇から自分の名前が出たので反射的に返事をしてしまったが、次の瞬間には抱き竦められていた。
彩月の頬を掠る柔らかな響夜の黒髪、目と鼻の先は響夜の端正な顔。部屋に飾られたポスターに比べたら若干やつれて頬がこけ、着ている白シャツとズボンもところどころ擦り切れていたが、それは紛れもなく絶望の底にいた彩月を救ってくれた最愛の推しアイドル――五十鈴響夜であった。
(ど、ど、ど、どういうことっ!? うさぎの響葵くんがキョウくんになって、キョウくんに抱き締められているっ!? ありえない、こんなの絶対にありえないよ……っ!)
最初こそ混乱したものの、やがて推しに抱擁されている今の状況を理解して心臓がバクバクと大きな音を立て始める。
夢にまで見ていた大好きな推しが目の前に顕現したかと思えば、川に飛び込んで汚い彩月の肩に顔を埋めて抱き締めている。
無言のまま縋る姿は、まるで長年離れていた恋人とようやく再会して感動のあまり言葉が出てこないというようにも見えて――。
「キョ、キョウくん……?」
恐る恐る声を掛けるが、響夜の耳には届いていないのか沈黙が返ってくる。
聞きたいことは山ほどあったが、彩月を逃がさないというように背中に回された腕に力が込められたので、ますます言葉に詰まって何も言えなくなってしまう。
そのまま響夜の腕の中でじっとしていると、やがて「ありがとう」とポツリと呟かれたのだった。
「俺のことを見つけてくれて、覚えていてくれて……うさぎから戻れなくなった俺を助けてくれてありがとう。君がファンでいてくれて良かった……」
「どういうことなの? 響葵くんがキョウくんに……っ!?」
「説明している暇はない。俺と一緒に来てくれないか。月が昇っている今がチャンスなんだ」
「チャ、チャンスって……どこに行くの!?」
解放されたかと思えば、手を掴まれて部屋から連れ出される。響夜は焦っているのか答えてくれなかったが、代わりに彩月の疑問に答えてくれたのはどこからともなく聞こえてきた女性の声であった。
――ようやく月の姫を見つけたのですね、響葵。
慈愛に満ちた女性の柔らかな声が彩月の頭の中に響く。滑らかでむらのない声音や落ち着いた話し方はどことなく響夜に似ていて安心させられたのだった。
頭をキョロキョロと動かして声の出所を探していると、響夜が「姫っ!」と声を上げたのだった。
(知らない声だけどキョウくんは知っている……? いったい何が起きているの?)
助けたうさぎが推しの姿になったかと思えば、姫と呼ばれる女性がどこからか彩月たちに話しかけてくる。響夜はそわそわとどこか落ち着かない様子だったが、対して状況を飲み込めない彩月の頭は未だに混乱していたのだった。
その間に自宅のベランダに連れて来られるが、そこにはこの家を出た時には存在していなかった乳白色の光の道ができていたのであった。
(なにこれ……こんなものうちのベランダには無かったはず……)
粉雪に似た光の粒子を発しながら緩やかな坂を描く道の先を辿れば、天頂に昇った十六夜へと続いた。
まるで彩月たちを待ち構えるように、遥か彼方の旻天で光り輝く純白の佳月を眺めていると響夜が手を引いたのだった。
「さあ、行こう」
やはり夢でも見ているようだったが、彩月の手を掴む響夜の感触は本物だった。まるで柵を乗り越えるように響夜が足を乗せれば、長い脚は擦り抜けることなく地面のように月の道を踏む。
「行くって、どこへ……?」
「俺の生まれ故郷。あの天上で眩く輝く月の都だ」
「月……の都?」
戸惑う彩月の腰に腕を回した響夜に腕を引かれると、あっという間に彩月の両足は月の道の上にあった。そうして月に向かって響夜は駆け出す。
響夜の生まれ故郷が月で、その月に都があるとはどういうことなのかと疑問は尽きない。それでも響夜について行っても悪いことにはならないような気がした。
迷わず走る響夜に手を引かれるまま、彩月はわずかに欠けた白い月に向かって光の道を走り続け、やがて十六夜の月が目前に迫る。
(月が大きい……!)
望遠鏡で覗いた時のように精彩を放つ大きな月に見惚れていると、不意に放たれた月明かりに目を焼かれそうになる。
強烈な月光から庇うように瞼を閉じた彩月だったが、次に目を開けた時にはどこかの和洋折衷様式の屋敷に辿り着いていたのだった。
◆◆◆




