【2】
(最悪。やっと最終面接まで進んだのに緊張して噛んじゃった……)
駅から実家までの抜け道である川沿いの土手を歩きながら、彩月は大きな溜め息を吐く。
(挽回しようとあれこれ話したらどんどんおかしな方向に話が進んじゃって、最後は椅子に足を引っ掛けて転んで面接官に笑われちゃうし……)
大きな溜め息を吐きながら後ろで一つに結んでいた髪留めを解くと、秋を感じさせる涼風が胸元で適当に切った黒髪を背中に流してくれる。
ようやく面接の緊張感から解放してくれたのも束の間、今度は上着の袖が破れていることに気付いて小さく呻き声を上げてしまう。
面接で転んだ拍子に破れたとしか考えられなかった。
(スーツはこの一着しか持っていないのに……新しいのを買いに行くしかないのかな? 成人式の振袖と卒業式の卒業袴でさえ、断念したばかりなのに……)
そうじゃなくても入学式の時に買った黒のスーツは連日着ているからかくたびれて、踵が擦り減ったパンプスと就活用のビジネスもすっかりボロボロ。
フットワークが軽いことをアピールしようとパンツスーツを選んだはずが、今はみすぼらしさを強調しているような気がしてならなかった。
本当は全て買い替えたいところだが、現状は一円も出せる余裕が無い。
実家からの仕送りは無く、短大に入学した時から続けていたアルバイトも就活が本格する前に辞めてしまった。
今はアルバイトで貯めた貯金を切り崩して就活に必要な費用を充てているが、就活がいつまで続くか分からない以上、余計な出費はなるべく避けたいところである。
(ほんと自分って良いところ無いよね。爽月ならきっと上手くやれただろうな……)
同じ日に同じ親から生まれた姉の爽月と比較して悲嘆に暮れていると、カバンの中で彩月のスマホが着信を告げた。
ゴソゴソとカバンの中を漁ってスマホを取り出せば、案の定爽月からのメッセージを受信したところだった。
『遅い! いつになったら帰ってくるのよ! このノロマ!』
絵文字も無い素っ気ない文章。疲れていることもあって、もう何も考えられなかった。
それ以前に、爽月からの連絡は五分以内に返さなければならない暗黙のルールがある。
返事をしなければメッセージを無視したと爽月が騒ぎ始めて、両親からも怒られてしまう。彩月の事情などお構いなしだった。
爽月の命令を無視しても両親の態度は同じ。それなら従った方が穏便に済むからと、ずっと爽月と爽月至上主義の両親に従ってきた。
機械的に文章を打つと速やかに送信ボタンを押す。
『駅を降りて向かっているところ。橋の辺りを歩いているからもう少しで着く』
本当はあんな家に帰りたくも無いが、爽月の命令なので仕方なく帰らなければならない。数日前に帰省を強制する連絡が来てからというもの、ずっと憂鬱だった。
美人で優秀な人生勝ち組の爽月は昔から両親のお気に入り、対して不出来で不細工な人生負け組の彩月のことを両親は何とも思っていなかった。当の爽月も血を分けた妹である彩月のことは、最初から存在しなかったかのように振る舞っている。
外では話しかけるな、姉と呼ぶな、自分の存在は誰にも話すなと、常に彩月とは他人であろうと徹底していた。事情を知らない人が姉妹として対等に扱おうとすれば怒り狂い、その度に彩月は八つ当たりをされた。
――もし自分に消したい失敗があるとすれば、彩月という“出来損ない”と同時に産まれてしまったことだ、とまで言われて。
(家に帰る前に、少しくらいなら見ても良いよね?)
返事をしたついでに、せっかくだからと推しの布教活動に使っている水色のアイコンがトレードマークのSNSのアプリを開く。
いつもならすぐに全世界のユーザーが投稿した文章や画像が表示されるが、何故か今日はアプリのマスコットキャラクターたちが画面いっぱいに現れる。
画面の中で縦横無尽に動き回っていたキャラクターたちだったが、やがて花束のイラストと共に文章が表示されたのだった。
『お誕生日おめでとう! “キョウくん大好き布教中@ただいま就活中”さん!』
SNSに登録している名前と『お誕生日おめでとう!』のメッセージを囲むように、カラフルな花と風船のイラストが次々と画面に現れては明滅する。
虚脱感にとらわれたように呆けた顔で画面を凝視していた彩月だったが、やがて乾いた口から言葉が溢れたのだった。
「そういえば、今日は誕生日だっけ……」
短大卒業後の将来の心配ばかりしてすっかり忘れていたが、今日は自分の二十歳の誕生日だった。
もう何年も祝われていないから、自分の中では誕生日という特別な日は存在しないものとして扱っていた。
スマホを持つ手を力なく下ろすと目線を下に向ける。土汚れが付いたパンプスの上に雫が落ちたのだった。
(誕生日なんていらない。昔から良いことなんて何にも無いし、どうせ誰も祝ってくれないから。毎年祝われる爽月と比較して惨めな気持ちになるだけ……)
煌々としたロウソクが灯った豪華なデコレーションのケーキと可愛い包み紙とリボンで装飾されたプレゼントを貰ったことなんて一度も無かった。
子供の時から誕生日のケーキもプレゼントも爽月のものだけ。何も与えられない自分は目の前で爽月が祝われるのを見ていただけだった。
爽月と同じものを欲しいとねだったら、言葉の暴力で両親から袋叩きに遭う日なんてただの厄日でしか無い。
そんな日を何年も繰り返しているうちに、誕生日という言葉そのものを避けるようになってしまった。
(子供じゃないのに、今更誰かに誕生日を祝われたいって思ったのが間違っていたのかも。こんな子供騙しで喜ぶような歳でもないのに……)
誰にも祝われないのなら、せめて架空のキャラクターたちから祝われようと誕生日を設定したが祝われても虚しいだけだと知ってしまった。
来年以降は表示されないように誕生日の通知を変更してしまおう。そうすればもう二度と思い出さなくて済む。
誰からも祝われない誕生日を迎える彩月の隣で、両親から祝われて幸せそうな爽月との忘れたくても忘れられない差を――。
(今ごろ爽月はお父さんとお母さんから誕生日を祝われているのかな……)
そんな楽しい雰囲気の中に帰らなければならないことが不憫でならない。こういう日こそ普段暮らしている大学の寮で大人しくしていたのに。
手の甲で両目を乱暴に擦ってスマホを就活用のビジネスバッグに仕舞おうとしたところで、カバンの奥底から彩月を見上げる黒髪の男の子と目が合ったのだった。