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第九話 アストレアの死、ミュラーの髪

 いつもなら、もうとっくに学園からアストレアが帰ってきている時間だと言うのに、今日に限って帰宅は遅かった。

 おかしいと思いつつも、ミュラーは待った。

 常であれば、ルキウスを学園に使いに出す……のだが、ふと思いついた用事があり、ルキウスにマイゼンハウアーの地へと赴き、神具を取ってきてもらうように命じていたのだ。

 ルキウスが帰ってくるのは早くて明日。遅ければあと三日は戻ってこないだろう。

 胸騒ぎを感じたころ、王都のマイゼンハウアーの屋敷が何やら騒がしくなった。

「何だ……?」

 思わず玄関ホールのほうへと向かおうとしたところで、紙より白い顔となった執事のハワードが駆け込んできた。

「ミュラー様! アストレア様が!」

 続くハワードの言葉を、ミュラーは信じられなかった。

 いや……。このところ、妙な予感のようなものがあった。それが現実のものとなったのかと、目の前が真っ黒になった。


 何が起こったのかといえば、学園から帰宅する馬車が襲われた。

 そして、アストレアと侍女のヴェスタが死んだ。


 犯人は、憲兵によって既に捕らえられていた。

 金を与えらえられたごろつきたちは、馬車に乗っている令嬢を脅せと、何者かによって、命じられたらしい。

 命じた者の名は、ごろつきたちは覚えていない。

 姿も、フードを深くかぶっていたため、声から若い男だということしかわからないと主張していた。

 その若い男から命じられたのは、脅すことであって、殺害ではなかった。

 だが、抵抗をされたため、ごろつきたちは何も考えずにナイフを取り出し、それをアストレアたちに向けた。

 計画性もなにもなく、行き当たりばったりの所業。

 だが、結果として、アストレアもヴェスタも死んだ。殺されたのだ。


 内心、煮えたぎるような思いを抱えながら、ミュラーはまずアストレアとヴェスタを王都の屋敷へと連れ帰った。それから牢に繋がれている犯人たちから可能な限りの情報を吐かせ、憲兵たちへの礼もした。

 そして、一夜明けた今日、ようやく自身の執務室へと戻ってきたのだ。

 自室のベッドで休むことなく。

 執務机の中から、小ぶりな短剣を取り出した。

「神よ……。マイゼンハウアーを守護する神々よ……」

 小さく呟き、そして。

 鞘から抜いたその短剣で、ミュラーは腰まで伸びた金色の長い髪を、胸の下あたりでざっくりと切った。

 すると、執務室のドアがノックされた。

「……入れ」

「しつれーしまーっす、ミュラー様。ルキウス、一族の土地から戻りまし……って、うわああああああっ! いきなり何をしてるんですかっ! お、御髪がああああっ!」

 ルキウスは、ミュラーの執務室に入るなり、叫んだ。

 手に持っていた木箱を落としそうになり、慌てて抱きかかえなおす。

「……ルキウス。子犬じゃないのだから、キャンキャンと騒がないように」

 ルキウスを咎めながらも、ミュラーは髪を切る手を止めない。

 金の糸のような髪が、執務机の上に落ちていく。

「お嬢が嘆かれるっす! 木漏れ日のように美しいって、ミュラー様の御髪、お嬢は大好きなのに!」

 叫ぶルキウスに、ミュラーの手がぴたりと止まった。

「……嘆くことは無理だ」

「はい?」

 きょとんとした目で顔を横に傾けるルキウスの様子は、実年齢より五歳は幼く見える。

 神々しいほどに美しいと言われるミュラーと同じ年にはとても見えない。

「アストリアは死んだ」

「え?」

「貴族学園から王都にあるマイゼンハウアーの屋敷に帰る途中、暴漢に襲われた」

「嘘……を、ミュラー様が言うわけはない……ってことは……」

 子犬のように騒がしくしていたはずの、そのルキウスを取り巻く空気が変わった。細められた瞳には、押さえつけることができないほどの怒りの炎が燃え上がっている。

 ルキウスが最後にアストリアに会ったのは、半月ほど前。見送りに来たアストリアに、ルキウスは「お土産を買ってきます」と言い、アストリアは「無事に帰ってくるのがお土産よ」と微笑んだ。

「……ヴェスタは? お嬢の側に常にいて、お嬢を守ったはず……」

「アストリアと共に……」

「わかりました。じゃあオレは、犯人を捜して殺してきます」

 暗褐色の瞳が暗く輝いた。まるで獲物を狙う猟犬だ。いつもの軽い態度とは異なり、赤い色の髪がまるで血に染まっているかのように見える。

 ミュラーの執務室から出ていこうとしたルキウスをミュラーが止めた。

「待て、ルキウス」

「お嬢とヴェスタを殺した犯人をぶっ殺す以上に大事なことがありますか?」

「実行犯は既に処理済みだ。指示した者は……まだだがな」

「じゃ、そいつらを処分します。止めないでくださいね、ミュラー様」

 止めるならば、ミュラーも……とさえ言わんばかりの暗い瞳だった。が……。

「止めはしない。私も共に行く」

 ミュラーのその言葉に、ルキウスは詰めていた息を吐いた。

「了解っす」

 ミュラーもうなずいた。

「だが、その前にルキウス。マイゼンハウアーの神殿から持ってきた『聖杯』を出せ」

 ルキウスは手にしていた木箱をミュラーに手渡した。ミュラーが木箱の中から銀でできた杯を恭しく取り出した。

「……ミュラー様、こうなることを、わかっていらっしゃった?」

「……わかっていたら、アストリアを学園などに通わせずに、さっさと一族の地に連れて帰っていた。婚約なども無視してな」

「そうっすよね……」

「ただ……。何やら嫌な予感のようなものがしていた。もしやと思ったのだが……」

 聖杯を執務机に置き、その中に切り落としたばかりの髪を入れた。

 聖杯はそれほど大きなものではない。聖水や葡萄酒を入れ、祭壇に飾るためのもの。

 だが、不思議なことに、髪は聖杯の中にするすると入って消えていく。

 ミュラーはその聖杯を、両手で捧げるようにして持った。

「アストレアは部屋に寝かせてある。行くぞ」

「はい。あ、ちょっと待ってください」

 ルキウスはポケットから青い色のリボンを取り出した。花の刺繍が施されてある。

「……毛先、がたがたっすから。せめて後ろのほう、結んでおきますね」

 ミュラーはルキウスに髪を結んでもらいながら尋ねる。

「ルキウス、お前、いつもリボンを持ち歩いているのか? アストリアかヴェスタへの土産なのでは……」

 髪の短い男がリボンを持ち歩いているなど、あまりないだろう。

「二人への土産は別です。これはオレ用です」

「……ルキウスの髪は、結ぶほど長くはないが?」

 頭頂部だけが黒く、そして毛先の跳ねた短い赤い髪。そこに青い花柄のリボンを結んだ様子をうっかり想像してしまい、ミュラーは眉根を寄せた。

「絞殺用ですよ」

 ルキウスが端的に答える。

「……なるほど。理解した。今後は私も常に持ち歩くとしよう」

「じゃ、このリボン、そのまま使って下さい。金属を細い糸状にして、それを織り込んでありますから。強度、かなりあります。ナイフ程度じゃ切れないです」

「……すごいな」

 二人はアストレアの部屋に向かった。

 ベッドに寝かされているアストレア。もちろん心臓は動いていないし、息もしていない。だが、まるで眠っているだけのようにしか見えなかった。

 ミュラーは、アストレアの手を取り、聖杯を握らせた。

「聖杯よ、マイゼンハウアーの一族の神々よ。アストレアの魂を、ヴェスタと共に、守りたまえ……」

 ミュラーとルキウスは手を組み合わせて祈りを捧げた。

「……それほど長くは待たせない。皆で一緒に一族の地へと帰ろう」

 もちろん、死んでいるアストレアからの答えはない。

「私はこれから学園に行く。ルキウス、お前もついてこい」

「……その前に、髪をきちんと整えましょう。そんな毛先のままでは、お嬢が嘆きます」

「そうか?」

「そうっすよ。ねえ、お嬢」

 アストレアからの返事は当然ない。

 ルキウスは痛みを堪えるように、顔をしかめた。


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