第七話 エミリアの策略
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「あーもうっ! なかなかうまく進展しないのがムカつくーっ!」
うろうろとエミリアは自室の中を歩き回った。
「オスカー様とあたしが恋仲になったっていうのに……。キースたちも鬱陶しいだけで使えないし! あの女を排除するくらい、してくれてもいいのにっ!」
それとなく婉曲に、エミリアを虐めるアストレアに、自分の領地に帰ってほしい……などということは、キースたちには伝えているのだ。
「アストレア様が居なければ……。あたし、学園生活を楽しめるのに……」
「なんで? どうして? 誤解なのに……、アストレア様は……」
「ああ、ごめんねキース。いつも泣きついちゃって。でも、あたし、アストレア様が、もう、怖いの……」
弱々しく抱き着くエミリアを、キースたちはそっと抱きしめてはくれるのだが……。
「ホント使えない! あたしのことが好きなら、あの女を排除するくらい、キースたちもしてくれたっていいのにっ! ほーんと無能よね!」
かといって、いざというときのキープであるところのキースたちを、エミリアのほうから手放すのももったいない。
「一番いいのはキースたちがあの女を襲って、それで、オスカー様があたしのモノになるっていうことよねえ」
ああ、どうしたら、うまくいくかなーと、エミリアは考えた。
そしてふと目にしたのは、ジョーから贈られた一冊の本。
今、王都では、身分の高い男性と恋に落ちた身分の低い娘が、困難を乗り越えて、真実の愛を掴むといった物語が大流行している。
この本の内容も、要約すればそのような話だ。
ジョーとしては、伯爵令息の自分と、平民の娘であるエミリアを、物語のヒーローとヒロインに重ねた上で、この本をエミリアにプレゼントした。
だが、エミリアにとってのヒーローは、ジョー達ではなく、オスカーだ。
オスカーというよりは、王太子殿下、と言ったほうが正確だが。
「そうよ……。この本の物語のように……、あたしも……」
エミリアの桃の花の色の瞳がギラリと光った。
「そうよ、物語よ! あたしがヒロイン。あの女が、えーと、そう! 悪役令嬢! ヒロインを虐める悪い女! あの女が、悪役令嬢みたいに、きちんとあたしを虐めてくればいいのよ! けなげなあたしは耐えるの! 虐められてもオスカー様への愛は変わりませんって!」
ふふふ……と、笑いながら、エミリアは狭い自室の中でくるくると踊るように回った。
「でも、あの女、あたしを虐めたりもしないわよね……。あたしなんて眼中にないって、いつもとりすました顔で、ムカつく!」
チッと、舌打ちをした。
「……まあ、いいわ。あの女があたしを虐めなくても、実際にいじめられたかのような状況を作り出せばいいだけだもの。あたしが涙を浮かべて、オスカー様に訴えれば……。オスカー様は単純だもの。簡単にだまされるわよねー」
考えながら、エミリアはニヤッと笑った。
冤罪を作ることなど簡単だ。
「じゃあ、今日から早速始めよう! あたしはかわいそうなヒロイン♪」
エミリアはうきうきとした足取りで、貴族学園へと向かった。
貴族学園高等部。その敷地は広い。
正門から学舎までまっすぐに伸びた石畳の道。そこは馬車が三、四台ほど横に並べるほどの幅がある。道に沿って並んでいるのは銀杏木。秋になれば葉が黄色に変わる様子が実に美しい。校舎の外壁に沿って並んでいる花壇には、季節の花々が植えられている。
エミリアはその花壇を覗き込んでは、移動して、また移動してはきょろきょろとあちらこちらを覗き込んでいった。花を眺めているのではなく、花壇の裏までも覗き込んでいる。
その様子に「落とし物でもしたのか」と声を掛ける生徒もいたが、エミリアは「……何でもないの」と俯いて、そして、花壇の裏を覗き込んだり、しゃがんだりしている。
そうしているうちに、校舎の正面に一台の豪奢な馬車が到着した。馬車から降りてきたのはヴァーセヒルダ王国の王太子であるオスカー。そして後ろの馬車からは、その側近を務めている男たちも降りてきた。
オスカーはめんどうそうに馬車を降りた後、エミリアを見つけ、表情を変えた。
「エミリア! おはよう! 朝から君に会えるとは、今日はいいことがありそうだ」
「あ……、オスカー様……」
いつもは明るい笑顔でオスカーに駆け寄るエミリア。だが、今日は泣きそうな顔で俯いていた。
「どうしたエミリア。何かあったのか?」
心配げに、オスカーはエミリアを見る。
「えっと、あの……」
エミリアは俯いたまま。目尻に涙が浮かんでいた。
「何かあったのなら、俺に話してくれ」
躊躇した後、エミリアは小声で言った」
「あたしの……髪留めが……」
「ああ、エミリアはいつも耳の上に髪留めをつけていたな。落としたのか?」
エミリアはちらっと校舎を見上げてから、また頷いた。
「まさか、誰かに取り上げられたのか……? まさかアストレアが……」
エミリアは首を横に振った。
「ち、違うの。窓から……」
エミリアは、視線を上に向けた。あたかも、窓辺にはアストレアが佇んでいるとでもいうかのように。
実際にはアストレアはそんなところにはいないのだが、オスカーはアストレアがいるように感じたようだった。もしくは、アストレアがエミリアの髪留めを、窓から投げ、そして、今は既に立ち去ったようにでも思えているのかもしれない。
「窓から投げ捨てられたのだな。それをエミリアは探しているのか! お前たち、探せっ!」
オスカーは側近の者たちに命じた。が、エミリアはオスカーの袖を引いた。
「い、いいの。あたし、ひとりで探すわ。オスカー様も側近の皆様も授業に遅れちゃうし」
ニコッと、笑うエミリアの、その手をオスカーはぎゅっと掴んだ。
「エミリアの髪留めを探すことと授業と。どちらを優先するかなんて決まっているだろう」
「で、でも……。落ちて壊れているかもしれないし……。皆様のお手を煩わせるわけにもいかないでしょ。……いいの、諦めるわ」
行きましょうと、校舎のほうへと歩き出したエミリアをオスカーが止めた。
「オスカー様?」
「エミリア、馬車に乗れ」
「え?」
「街に行こう。新しい髪留めを買ってやる」
「え! で、でも……」
「大丈夫だ。授業のノートはダルトンに取らせる。ジェレミーは引き続きエミリアの髪留めを探せ。フレデリックはついてこい」
側近たちに命令をして、オスカーはエミリアの手を取って馬車に乗せた。側近たちは渋々とではあるが、それでもオスカーの命令に逆らうことはできなかった。
「フレデリック。エミリアが好みそうな宝飾店に案内しろ」
「……わかりました」
案内だけでなく、エミリアに買うものの支払いまでさせられることが容易に予測され、フレデリックはこっそりとため息を吐いた。
「ふふふ……。やっぱりオスカー様って単純よねー」
オスカーに買ってもらった髪留めを手で弄びながら、エミリアはにんまりと笑った。
「ちょっと思わせぶりに言っただけで、アストレア様に髪留めを奪われて、投げ捨てられたなんて、勝手に思いこんじゃったし。ふふふ、この手は使えるわ……」
はっきりとアストレアに苛められたと言えば、それは嘘になる。
だけど、曖昧に言葉を濁せば、オスカーは勝手に思い込む。
「このままオスカー様とアストレア様の仲が悪くなって、そして……。ああ、それだけじゃあ弱いか……。どうしようかな……。側近の人達を篭絡できればいいけど……無理かなー。やっぱりキースたちを使うしかないかな……」
ダルトン、ジェレミー、フレデリックは、将来オスカーが国王となったときに、その治世を支えるための側近だ。かなり高度な教育を受けているし、観察眼もそれなりに鋭い。
今は学生ということもあり、エミリアという平民の娘がオスカーに近づくことを大目には見ているようなところもあるが、エミリアがやりすぎれば、エミリアを排除しにかかるかもしれない。
次の日、学園での授業を終えた後、エミリアはそのまま教室にいて、ぼんやりと外を眺めていた。
すると、キースとロルフとジョーの三人が、皆一緒にエミリアに声を掛けたのだった。
「エミリア? 帰らないのか?」
「あ……、キース……、ロルフ……。あの、その……」
エミリアは包帯を巻いていた左手を、さっと後ろに隠した。
「その包帯……、どうしたんだ?」
ロルフが聞いた。エミリアは俯く。
「な、なんでも、ない……の……」
涙をこらえて俯くエミリア。
「まさか、それ、誰かに何かされたとか……」
「あ、あのね。あたしが悪いの。だって……オスカー様には婚約者がいらっしゃるんだもの。あ、あたしみたいな者がおそばにいたら……、不愉快に、思われるのも、しかたがない、よね……」
エミリアは誰に何をされたとははっきりとは言わなかった。
だが、オスカーの婚約者という言葉に不愉快とくれば。思い当たるのはただ一人。
「アストレア様……か?」
「まさかとは思うが……」
キースたちは顔を見合わせた。あのアストレアがエミリアに何かしたとは考えられない。だが……。
「ち、違うわっ!」
エミリアの声は、不自然に大きかった。しかも、体が震え出していた。
「あ、あたしのっ! 髪飾りを窓から放り投げられてっ! それで、オスカー様に髪飾りを買っていただいたの……。ご、誤解を、されるような、行動をした、あたしが悪い……」
エミリアが髪飾りを誰かによって投げ捨てられ、それが見つからなかったから、オスカーがエミリアに新しい髪飾りを買ったことは……すでに、学園で噂となっていた。キースたちもその話を聞いたし、ジョーは登校したときに、エミリアがオスカーの馬車に乗ったところを見ていたのだ。
「こ、婚約者が、他の女の子にアクセサリーをプレゼントするなんて、ご不快に思って当然なのっ! でも、あたし……」
エミリアの大きな瞳から、はらはらと涙がこぼれて落ちた。
「か、髪飾りは、顔も知らない父からの、贈り物で……。でも、それをなくしたら……、あたし……。だから、同じものを作ってくださるって、王太子殿下が……、あたし、軽率だったけど、だけど……」
「エミリア……」
「ただ……それだけ、なのに……」
流れ落ちる涙。はかなげで、けなげなエミリアの様子に、キースたちは胸が締め付けられるように感じた。
「平民でしかないあたしが、王子様になんて、そんな夢みたいなこと、一生の記念で、学園生活の楽しい思い出になった、だけ、なの、に……」
「……アストレア様に、言ったのか? 言ったから、腕を切られたのか……?」
ロルフが詰め寄れば、エミリアは大声で泣いた。
ロルフたちは涙を流すエミリアに対して、か弱い姫を守る騎士のような気分になった。
エミリアが本当に好きなのは、恋人なのは、自分たちで、エミリアのオスカーに対する淡い気持ちは単なる憧れ。王族という、平民にとっては神にも近しい相手と、言葉を交わすだけでも天に上るような気持ちなのだろう。
そんなささやかな交流くらい、大目に見てもいいじゃないか、それが出来ないのは狭量だ……と、キースたちはエミリアを擁護し、アストリアに対し、面と向かって非難した。
「平民と侮って虐めるのは高位貴族としていかがなものかと」
「嫉妬する女性は王太子殿下にふさわしくないと愚考する」
「侯爵令嬢としての矜持はないのか」
名前も顔も一致しないような、見ず知らずの下級貴族の令息たちから、いきなりそんなことを言われ始めたアストリアは戸惑った。
正直何を言われているのか分からない。
そもそもエミリアの名前すら、アストレアは認識していない。
婚約者であるオスカーのことなども、それほど興味はないのだ。
「はあ、虐めですか? そんなことが学園内で起こっているのなら、わたくしに訴えるよりも先生方に相談すべきでは?」
「矜持? あなた方に指摘されるようなことではありませんが、わたくしに何か問題があって?」
なんらかの非難をされていることは、アストレアにも分る。
だが、具体的に何がどう悪いのか、はっきりとは言われないので、わからない。
それを、キースははぐらかされたように感じた。ロルフもジョーもだ。マイゼンハウアー侯爵令嬢であるアストレアは、下級貴族の子息に過ぎない自分たちの言葉をまともに聞きやしない。
抗議したが通じなかったと、キースたちがエミリアに謝罪した。
「ううん、いいの……ありがとう、みんな、あたしのために……」
泣きながら、微笑んだエミリア。
キースたちは、エミリアの健気さに感動しながらも、自分たちの力のなさを不甲斐なく思った。
だから、エミリアがぼそっと告げた一言が、ずっしりと心に重く圧し掛かった。
「……今回は腕だけだったけど。次は……、腕じゃすまないかも……」
震えるエミリア。
キースたちの、握りしめられた拳は、怒りで震えていた。
お読みいただきまして、ありがとうございました