第五話 王太子との出会い
乾いた土地の、それほど遠くない場所に、湖と豊かな自然に囲まれた場所がある。
乾いた土地に住む者たちが、自然豊かな土地を欲しがるのは当然だ。
だが、何百年もその地とその地の神を信仰してきたマイゼンハウアーの民にとっては、はいそうですか、と簡単に差し出せるようなものではない。
ましてや、奪い取ろうとするならば、そんな者たちなど排除する。
ただ、昔のヴァーセヒルダ王国の者たちは、マイゼンハウアーの地を奪い取ろうとするのではなく、友好的な隣人として接してきた。故に、マイゼンハウアーの一族もヴァーセヒルダ王国の者たちと親しく付き合ってはいた。
だが、ここ数十年。
その関係が少しずつ崩れてきている。
ヴァーセヒルダの先代の王、そして現国王は、急進派ではない。が、ゆったりとでも構わないからマイゼンハウアーとの姻戚関係を結び、後々にはヴァーセヒルダとマイゼンハウアーを同一のものとしたいとは考えている。
奪い取るのではなく、取り込む。
ナデシュタとミュラーは、そんなヴァーセヒルダの様子を静観していた。
そんな状態で、いきなりギュンターがヴァーセヒルダ王国の王太子との婚約を決めてきた。
思慮の浅いギュンターが、先走って勝手に決めたというだけなら……とも思うが、婚約がヴァーセヒルダの現国王からの策略であれば。
最終的にはマイゼンハウアーはヴァーセヒルダとの縁を切らざるを得ないかもしれない。
それを見極めるためにも、敢えて王太子とアストレアの婚約はそのままにした。
更に、アストレアに王都に来てもらい、貴族学院に入学し、そこで王太子であるオスカーと交流をしてもらいたいという現王からの要請も承諾した。
これから、予定では約二年、ミュラーとアストレアはヴァーセヒルダ王都に住み、アストレアは学園に通う。
そのことを、出立前にミュラーとナデシュタはアストレアにていねいに説明をした。
が、アストレアはあまり気にしなかった。
「警戒しすぎてもダメですわよね。とりあえず、出たとこ勝負ということで! 気楽にいろいろな方々との交流を楽しみますわ!」
「アストレア……」
無警戒というわけではないのだろうが、それでもヴァーセヒルダ王都はマイゼンハウアーの地とは違うぞ……とミュラーが言いかけたのだが。
アストレアは「ふふっ!」と笑った。
「お母様と離れて暮らすのはさみしいけれど、ミュラーお兄様とヴェスタとルキウスは一緒でしょ?」
「ああ、もちろんだ」
「でしたら、わたくしには怖いものなどありませんわ! なにかあってもみんながわたくしを守ってくれますから」
アストレアの言葉に、ミュラーもフッと肩の力を抜いた。
「そう……だな。王都の屋敷にはハワードもいるから心配はない……か」
ハワードはルキウスの祖父であり、ミュラーやナデシュタからの信頼も厚い。
「ハワードが⁉ わあ、何年振りに会えるのかしら」
ここ数年、ハワードにはマイゼンハウアーの王都の屋敷の家令として働いてもらいつつ、王都の情報をミュラーたちにもたらしてもらっている。
「ルキウスも、久しぶりにハワードに会えるのは嬉しいわよね!」
壁際に控えていたルキウスを、アストレアが振り向いてみれば、ルキウスはげっそりとした表情になっていた。
「『鍛え方が足りん』とか言われて、じいさんにしごかれる未来しか見えないっす……」
溜息を吐いたルキウスに、アストレアもミュラーも笑ったものだった……。
そうして辿り着いた王都のマイゼンハウアーの屋敷。
そこでしばらくゆったりと過ごしたあと、ミュラーとアストレアは王城に赴き、婚約者となった王太子、オスカーと初めて出会った。
アストレアはオスカーとの出会いを気楽に楽しもうと思ったのだが……。
挨拶すらしない出会い頭に、オスカーがアストレアに向かっていきなり怒鳴ってきた。
「なんだ貴様は! 貴様のような者がこの俺様の婚約者だと⁉ 帰れっ!」
あまりの発言に、アストレアもミュラーも即座には何も言えなかった。
アストレアは何度も瞼をぱちぱちと開け閉めして、ミュラーは拳をぐっと握った。
言われたとおりに即座に帰ってやろうかと、ミュラーは考えたが、その前にヴァーセヒルダの国王がアストレアとミュラーに頭を下げた。
「愚息が申し訳ない!」
一国の王に頭を下げさせておくわけにはいかない。
従属はしていないとはいえ、一応帰属はしているのだ。
「……頭をお上げください、国王陛下」
苦々しい声音ではあるが、それでもミュラーはそう言った。
だと言うのに……。
「頭を下げるべきは父上ではなく、こいつら、田舎の侯爵家の者たちですよっ!」
鼻息荒く、オスカーが言い放った。
「オスカー……。謝るのはお前だ。せっかくミュラー殿とアストレア嬢が、わざわざマイゼンハウアーの地から王都まで足を運んでくれたのだぞ」
「国王や王太子に謁見するために、やって来るのは貴族なら当たり前でしょう。たかが田舎貴族。そいつらのために国賓をもてなすほどの準備をしただけではなく! こんな女をこの俺様の婚約者だとは! 父上、一国の国王としての判断力をなくされたのですか⁉」
「オスカー……」
当の王太子がそこまで言うのなら、婚約などさっさとなくしてマイゼンハウアーに帰ってやろう。
ミュラーが言いかけた、そのとき、アストレアが先に口を開いた。
「陛下、ご挨拶前に発言することをお許しください。ですが、王太子殿下は、初対面であるはずのわたくしをどうしてそこまで厭うのですか?」
態度の悪いオスカーに、アストレアは率直に聞いた。
オスカーは答えた。
「俺様より背の高い女など、女ではない!」
「は? 背?」
同じ年であるアストレアとオスカーの身長はたいして差はない。だが、今日のアストレアはドレスに合わせたやや高めのヒールのある靴を履いていた。
だから、パッと見た目でも、アストレアのほうがオスカーより少々背が高く見える。
「この俺様の婚約者になりたいと懇願するのなら、せめてその身長、もう少し低くしろ! そうすれば、父王からの命令だ。きちんと婚約者として遇してやってもいい」
あまりに馬鹿々々しい答えに、さすがの国王も庇いようがなかった。
が、オスカーの答えを聞いて、アストレアは、涼しい顔で答えた。
「そうですか。では、王太子殿下の理屈から言えば、わたくしより背の低い王太子殿下は、わたくしから見れば、男ではないということになりますね」
反論など、されるとも思っていなかったのか、オスカーはしばらくきょとんとした。
アストレアは、にこにこと笑う。
アストレアの側から望んだ婚約ではない上に、いきなりの暴言。
顔で笑っていても、アストレアは少々機嫌を損ねていた。
が、それは顔には出さずに、笑う。
ようやくのことで、アストレアの言葉が理解できたのか、オスカーがまた怒鳴った。
「な、な、な、なんだと貴様っ! 不敬なっ!」
いきり立つオスカーなど無視して、アストレアはちらりと横に立つミュラーを見た。
ミュラーは、アストレアの視線に、軽く頷いた。
「陛下、王太子殿下は我が妹をお気に召さない様子。婚約などなかったものにしていただければ、我らはマイゼンハウアーの一族の地へと戻りますが……」
だが、ミュラーの言葉に国王は頑として頷かなかった。
結局、予定通り、二年間、ミュラーとアストレアは王都に留まることになった。
そして、アストレアには、なんとかオスカーとの仲を深めていってほしいと国王から懇願されたのだが……。
「王太子殿下が暴言をきちんと謝罪をしていただけるのならば、わたくしは構いませんよ」
アストレアは譲歩したが、オスカーはアストレアに決して謝ることはなかった。
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