第四話 父と決別
アストレアやミュラーたちを乗せた帆船は、緩やかな川の流れに任せ、マイゼンハウアーの湖からヴァーセヒルダ王国の王都へと向かう。
「うわあ……っ! 見て、お兄様、ルキウス! 魚が跳ねたわ!」
「ちょっ! お嬢っ! 船から身を乗り出さないでくださいよっ! 川に落ちるううう~~~!」
初めてマイゼンハウアーの土地から外へと出たアストレアは、目を輝かせながら、船の甲板をあっちに行ったりこっちに行ったりと忙しい。
その後をルキウスが追いかける様子が微笑ましくて、護衛の者たちも雑役夫たちも皆笑みを浮かべていた。
本来、アストレアの侍女であるヴェスタは、パタパタと動き回るアストレアに目を向けつつも、ミュラーに日が当たらないようにと、ミュラーの横で傘を広げている。
ミュラーと言えば、木製のデッキチェアに足を延ばして座りながら、アストレアに小さく手を振っていた。
ギュンターの不始末により、王都へと行かねばならなくなったことを苦々しく思いながらも、楽しそうなアストレアの様子に、その怒りもやや溶けてはきているのだが……。
出発して数時間後、ミュラーたちの帆船の前に、一艘の小型の船が進んできた。
「おーい、おーい!」
小型船からミュラーたちに大きく手を振ってきた人物。ギュンターである。
やや機嫌がよくなったところで元凶に出くわし、ミュラーは苦々しく目を細めた。
「ミュラー! アストレア! お父様を迎えに来てくれたのかい⁉ ありがとう! なぜだかここから先に船が進めずにいて、困っていたんだよ~」
のんきに喚くギュンターなど無視して船を進めようと思ったミュラーだが、アストレアがギュンターに気がつき「あら、お父様!」と手を振った。
「おお! アストレア!」
笑顔のギュンターに対して、アストレアも笑顔を返した。
けれど、アストレアはその笑顔を保ったまま、下まぶたに人差し指を当て、それを引き下げ、更には舌まで出して「べーっ!」と言った。
「勝手にわたくしの婚約を決めるなんて、お父様、惨いですー! 嫌いですわー!」
「アスト……レア……」
「もしも王太子殿下が素晴らしい人で、わたくしが好意を持てるようでしたら許して差し上げますけど。ろくでもない男だったら、お父様のことは一生許しません! 絶縁ですわー!」
にっこにっこと最上級の笑みを向けながらも、告げる言葉は辛らつだった。
「そういうことで、サヨウナラー、お父様!」
「アス……トレ……ア……」
ギュンターが、がっくりと膝を突いた。
そこに、デッキチェアからわざわざ立ち上がってきたミュラーが追い打ちをかけた。
「ギュンター殿。貴方は既に我が父でもなく、我が母の夫でもありません。故に、我らマイゼンハウアーの地に入る資格を失いました。今後は他人として、貴方のご健勝を遠くからお祈りいたします」
ミュラーとアストレアが軽く会釈をすると同時に、船はすれ違った。
ギュンターの船はその場に留まったまま、ミュラーたちの帆船は川下のヴァーセヒルダ王国の王都へと向かい、滑らかに進む。
「……お父様は今後どうされるのかしらね」
少しだけ振り向いて、アストレアは言った。
「迷惑な無能者だが、あれでも大人なのだから、実家を頼るなりなんなり、自分で動けるだろう」
既にギュンターの実家である男爵家には、離縁したことを手紙で知らせてある。
ナデシュタとの婚姻書類に記載がある通り、マイゼンハウアー一族への口出し、政治にかかわることすべてを禁じていることを、ギュンター共々一族皆で確認せよ、そして、今後、ギュンターがマイゼンハウアー一族の地、及び、王都にあるマイゼンハウアーのタウンハウスに足を踏み入れることがなく、また、ミュラーやアストレアに関わろうとしなければ、違約金の支払いは免除するとも記載をしておいた。
ギュンターが何か喚いたところで、実家の男爵家の者たちが必死になって止めるだろう。
もしも止めないのならば、婚姻契約書類の通り、莫大な違約金を支払わせれば済むだけの話だ。
「そうですわねー」
とりあえず、ミュラーとアストレアは、ギュンターのことを「処理済み」として扱うことにした。
「……まあ、万が一、王太子殿下が素晴らしい方であるのなら、良いのですけれど」
「期待はするな、アストレア。現国王はともかく、王太子の良い噂など、全く聞いたことはない」
現国王も、清廉潔白というわけではないが、それなりに話は通じる相手であると、ナデシュタからミュラーは聞いていた。
だが、その現国王だとて、マイゼンハウアーの自然豊かな地を王家のものとしようという下心を抱えてはいるのだ。
気を許すわけにはいかない。
警戒はしておいたほうがいい。
ミュラーは表情を引き締めた。
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