第十五話 目覚め もしくは物語の終わり
眩しい光が収まり、アストレアはゆっくりとその瞳を開けた。
目を開けて、最初に見えたものは、高い天井。どうやらここは神殿の中のようだ。それからゆっくりと周囲も見た。
アストレアが眠る棺の横に、膝を突いて一心に祈るミュラーが見えた。
「ミュラー……、お、にいさ……」
かすれた声で、アストレアはミュラーを呼んだ。
「アストレア!」
パッと目を開けたミュラーが、棺に覆いかぶさるようにして、アストレアを覗き込んだ。
そのミュラーにアストレアはそっと手を伸ばす。
「お兄様……」
「ああ……、良かった。生き返った……」
泣き出しそうな声で、アストレアを抱き上げる。アストレアも半身を起こして、ミュラーに抱き着いた。
しばらくそのまま無言で、二人は抱き合った。
「……よかった、お嬢」
ルキウスの声がして、アストレアはミュラーの後ろに控えているルキウスに気がついた。
「ルキウス……。ありがとう。助けに来てくれて……」
「ミュラー様が命懸けで作った道を行っただけっす」
「でも、来てくれたわ」
ルキウスとミュラーの手を借りて、アストレアは起き上がった。
そうして二人に向き直る。
「ミュラーお兄様、ルキウス。本当にありがとう」
「……お前が生きていてくれればそれでいい」
「そうっすよ」
ヴェスタは生き返らない。それにミュラーもルキウスも、アストレアが生き返るために命を削った。
それは、敢えて言葉に出さなかった。だが、感謝を忘れることはない。
「アストレア、歩けるか?」
「はい、お兄様」
「ならば、行こう」
「はい」
神殿の外に行くのかと思えば、ミュラーはアストレアの手を引いて、神殿の奥へと進んでいった。
聖杯を手に持ったルキウスが、その後を黙ってついてくる。
「お兄様? 外へ行くのでは……?」
「その前に、神殿の最奥へと向かう。アストレアの命を繋いでくれた聖杯を、神々にお返ししないと……」
石造りの階段を下へ下へと降りていけばいくほど、空気がひんやりとしていった。
そして、人の手によって作られた石の階段や道が、次第にむき出しの地面へと変わっていく。洞窟となっているそこを、最奥まで進む。すると小さな泉があった。
「ここは……?」
尋ねるアストレアの声が、洞窟内に響いた。
「……マイゼンハウアーの、最初の娘が、神に祈った場所がここだ。神々はこの泉を我らに託してくれたのだよ。これは小さな泉に見えるが、マイゼンハウアーの森を取り囲む四つの湖まで、この水は流れている」
「そして、更に川となり、多くの地に、水の恵みをもたらしているのですね……」
ミュラーは頷いた。
「ただし、ヴァーセヒルダへの恵みはもうないに等しいが……。まあ、彼らはもう我らとは無関係」
「え?」
ミュラーの言葉の意味をアストレアが尋ねる前に、ルキウスが聖杯を泉に戻し、そして、膝を折って祈りを捧げ始めた。
「お嬢を、守ってくださって、返してくださって、ありがとうございます。それから、ヴェスタがそちらに帰りました。どうぞ、ヴェスタの魂に安寧を……」
ルキウスと同じように、ミュラーも膝を折って、神に感謝を捧げた。
アストレアも祈る。
「ありがとうございます、神様。ありがとう、ヴェスタ……」
しばし、静かに祈りを捧げ、それから洞窟を戻り、石段を登り……神殿の外へと出て行った。
神殿の外には緑と光が満ちていた。
アストレアは思い切り息を吸って、そして吐いた。
「ミュラーお兄様。先ほど泉で『ヴァーセヒルダへの恵みはもうないに等しい』とおっしゃっていましたけど」
尋ねてきたアストレアに、ミュラーは「ああ」と答え、何でもないように言った。
「結界を張り、更にヴァーセヒルダへの水の流れを止めた」
スタスタと歩いていくミュラーと、ぴたっと足を止め、何やら神に祈るような仕草をしたルキウス。
「ルキウス?」
「……馬鹿殿下とやりあった後、ミュラー様に『ごろつきなんかを雇ったそいつらをぶち殺さないでいいんですか』って、聞いたんすけど……」
ルキウスの顔は、青ざめていた。
「お、お兄様は、なんて答えたの……?」
「『おまえが手を汚して殺してやるまでもない。そのうち自滅する』」
「つまり、水のない国で、皆、苦しんで死ぬとか……」
ぼそぼそと話すルキウスとアストレアを、ミュラーは振り返って真顔で言った。
「安心しなさい。季節河川ができるほどに雨は降る。そうでなくとも地を掘れば、地下の水を入手することも可能だ」
「そりゃあ、そうですけど……。今まで通りに豊かな水などないんですよ。作物も育たなくなるでしょうし。何百年前みたいな生活に戻るのって……生きていくのにものすごーく苦労……す……る……」
ルキウスは最後まで言葉を発することができなかった。
よくできましたとばかりに笑むミュラー。
だが、その瞳の奥の色は……恐ろしいほどに、闇が深かった。
怒っている。
ミュラーは相当怒りを胸の奥に有している。
アストレアも、恐る恐る、ミュラーに聞いた。
「あの……、お兄様? もしかして、相当お怒りだったりします……?」
アストレアが問えば、ミュラーは答えた。
「怒るだなんて、まさか」
ほっとしかけたアストレアとルキウス。
だが、ミュラーはさらに続けた。
「私の愛する妹を、侮辱し、殺しまでしたのだよ? それにヴェスタは生き返らないしな。怒る程度で済ますものか。あの国の者ども皆、簡単に殺しはしない。水の恵みの少ない地で、せいぜい苦労して生き延びろ。それが嫌なら他国にでも行けばいい」
言葉と共に、ミュラーが浮かべたのは、壮絶に美しい笑み。
美しいも、過ぎれば恐怖に変わるのか。
アストレアとルキウスは、震えそうになる体をおさえながら、お互いに顔を見合わせた。
そして、そろってくるりと神殿のほうを向き、すかさず手を組み合わせて神に祈った。
「神様……、生き返らせてくださってありがとうございます。こんなに過激な兄ですが、わたくしを誰よりも何よりも愛してくれる大切な兄なのです。どうか兄にご厚情とご加護を……」
「……苛烈極まりなく敵は排除する主ですが、味方にとってはこれ以上もなく頼りがいのある次代の長です。どうか、これからもお守りくださるようお願いします。……そちらに渡ったヴェスタも頼むっすね……」
先ほど、泉の前で祈ったよりも、もっとずっと長く真剣に祈り続けるアストリアとルキウスに、ミュラーが声を掛けた。
「どうした、アストレア、ルキウス」
アストレアとルキウスは、ぎくしゃくと頷いた。
「なんでもありませんわ!」
「な、何でもないっす! 帰りましょう! ナデシュタ様がお待ちっす!」
空の太陽が、アストレアとルキウスの願いを叶えるように、一瞬だけ、きらりとその光を増して輝いた。
終わり
これにて中編版『悪役令嬢は、既に殺されていた。』完結です。
お読みいただきまして、ありがとうございます!
登場人物紹介と後書きを後程……。




