第十四話 暗闇の中のアストレア
「ここは……、どこ? ミュラーお兄様……」
足元さえも見えない、真っ暗な空間に、アストレアはひとり、いた。
「ルキウス! ヴェスタ!」
叫んだ声も、その暗闇に吸い込まれていくようだった。
アストレアは、自身の両手をぎゅっと組み合わせた。
「わたくしは……、そうよ、学園から帰宅途中……、暴漢に襲われて……」
ゆるゆると、思い出してきた。
ヴェスタに逃げろと言われ、走り出したが、背中から刺されたこと……。
「わたくしは……、死んだの? ヴェスタは無事なの……⁉」
きょろきょろと、辺りを見回す。
だが、何も見えない。
夜の、月も星もない、真の暗闇とはこういうものかと、アストレアは震えた。
「せめて……ヴェスタが無事でありますように……」
アストレアは祈った。
その祈りに応えるように、ヴェスタの「お嬢様」という声が、アストレアの耳に聞こえてきた。
「ヴェスタ⁉ そばにいるの⁉」
「……はい、おそばにおります」
「無事? 痛いところはない?」
はいとも、いいえとも、答える声はなかった。
「ヴェスタ⁉」
「……お嬢様、あちらの先に、光が、見えますか?」
「え、光?」
真っ暗闇の中では、ヴェスタの言ったあちらが、どこを指すのかもわからず、アストレアはきょろきょろと辺りを見回した。
すると……ほんのわずかに光るモノが見えた。
あれは天の国の光なのかもしれない……アストレアはそう思ったのだが……。
「お嬢様。心に強く思い描いてください。金色の光。マイゼンハウアーの森の木漏れ日……、それから……」
「ミュラーお兄様の、金色の髪……」
「そうです。手を伸ばして……」
わずかな光を目指して、アストレアは手を伸ばした。
光。金色の。ミュラーの、木漏れ日のような金の髪……。
わずかな光が、アストレアに向かってすっと伸びてきた。糸のように細いその光。それに手を伸ばし、アストレアはその金の糸を手に掴んだ。
「そのまま……、その金の糸を……、手放さずに……、お進み……くださ……」
ヴェスタの声が、次第に小さくなっていき……、そして、消えた。
「ヴェスタ⁉」
ああ、いなくなってしまった。それがわかって、アストレアは泣きそうになった。
幼いときからずっと傍に付いていてくれて、守ってくれていたヴェスタが。
涙をこらえて、アストレアは金の糸をぐっと掴んだ。
「泣くのは後……。ヴェスタの言う通り、先に、進むの……っ!」
だが、金の糸以外何も見えない空間。しかも足元はまるで泥水の中を進んでいるかのように、重い。
糸を手繰り寄せては、手に巻き付ける。ころんでも、糸を手放さないように。
それを何度繰り返したかわからない。
くじけそうになるたびに、アストレアは、大切な人たちの名を呼んだ。
「ミュラーお兄様……、ルキウス……、お母様……」
ころんでは、立ち上がり、そしてまた、糸を手繰り寄せる。
「ヴェスタ……、ハワード……、みんな……」
一歩一歩、重たい足を引きずるようにして進む。
息が切れても、何度ころんでも。アストレアは歯を食いしばり、歩き続けた。
少しだけ、金の光が強くなった……、そう思ったときに、アストレアを呼ぶ声がした。
「お嬢っ!」
ルキウスの声だった。
「どこっすか⁉ 手を伸ばして‼」
「ルキウスっ! わたくし、ここよ!」
アストレアも、力の限り、叫んだ!
「お嬢!」
金色に輝く道を、ルキウスがアストレア目指して一直線に走ってきていた。
アストレアも、ルキウスに駆け寄り、そして、抱き着いた。
「よかった! お嬢!」
「ルキウス……」
「今、ミュラー様が道を作ってくれています」
「道?」
見れば、真っ暗闇だったはずのその場所に、金色の道ができていて、どこかに向かって伸びていた。
「ミュラー様の、お命を削って、作っている道です。急ぎましょう!」
「お兄様が?」
ルキウスはアストレアを抱き上げた。
「不作法ですみません!」
「いいの、でも、ヴェスタは……」
すでに走りだしながら、ルキウスは言った。
「……ヴェスタは、お嬢を、ちゃんと守った。そうっすよね?」
「ええ、ヴェスタが、金の光を教えてくれて……」
「だから、いいんです。ヴェスタは、もう……、マイゼンハウアーの神と共にあります」
「ヴェスタ……」
アストレアは、ルキウスの肩に顔をうずめた。
「……悲しむより、感謝を。ヴェスタが喜びます」
「ええ、そうね……、そうよね、ルキウス……でも……」
どうしても涙が流れてしまう。
「今は、堪えてください。ミュラー様の元へと帰り着くことだけを考えて」
アストレアは頷いた。
強く、強く願う。
ミュラーの金の色。光り輝く木漏れ日。
「お兄様……」
光が、アストレアとルキウスを包む。まぶしくて、目が開けられないほどに。
そうして……アストレアは、ルキウスと共に、暗闇の世界から抜け出していった。
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