第十三話 国王の怒りと悔恨
「オスカー! 貴様、王太子という地位にありながら、何ということをしてくれたのだ……っ!」
国王の手には、ミュラーの書状……マイゼンハウアーからの絶縁状が手に握り締められていた。ぐしゃぐしゃになった書状を、国王はオスカーの顔目がけて投げつけた。
が、それはオスカーに届かず、玉座に座る国王とオスカーの間に、空しく落ちる。
そのオスカーの後ろには、顔をしかめたエミリアもいた。のんびりとオスカーの部屋で朝寝をしていたところ、オスカー共々無理やりに玉座の前へと引きずり出されたのだ。
服だけは着たが、髪はぼさぼさのまま。顔も洗っていない。
「ち、父上……」
「マイゼンハウアーの者を、なんとか我ら王族に取り込もうとしてきた代々のヴァーセヒルダ国王の苦労を無駄にしおって!」
「で、ですが、アストレアは、俺様の愛するエミリアを……」
「はっ! その小娘がどうした! 嘘をつき、下級貴族の子息どもを篭絡し、唆し、行ってもいない虐めとやらでアストレア嬢を愚弄した! 娼婦の娘の手玉に取られおって! 貴様それでも王国を守る王太子か! 貴様の目は、耳は! 顔についているだけの飾りか! 愚か者‼」
国王の剣幕に、何も言えないオスカー。
エミリアは、ささっと手櫛で髪を整えると、精いっぱい媚びた顔で、国王へと話しかけた。
「き、きっと、何か誤解があるのですわ、親愛なる国王陛下!」
国王は、ぎろりとエミリアを睨んだ。
「あ、あたし、この国の民として、国王陛下を尊敬申し上げ、慕っておりましたわ! お優しい陛下のことですから、きっとあたしの言葉にも耳を傾けてくださると……」
「下品極まりない口を閉じろ、小娘」
国王はエミリアの言葉を遮った。
「貴様に発言権はない。王城の窓から外へと放り投げられたくなくば、その口閉じていろ」
国王の言葉が本気だと感じたエミリアは、オスカーの背に隠れ、震えた。
「ち、父上っ! お、俺様の愛するエミリアにそのようにきつい言葉をかけるのはおやめください!」
「……オスカー」
「エ、エミリアは、この俺様を愛してくれているのです! あのアストレアなどとは違い、心根が優しく、可憐なエミリアは……」
「黙れ、オスカー。これ以上アストレア嬢を愚弄するのは許さん」
言葉と共に、国王は立ち上がった。
そして、言った。
「貴様たちの犯した罪の結果だ。そこの窓から外を見ろ」
憲兵たちに腕を引きずられるようにして、オスカーとエミリアは窓から外を見せられた。
そこに広がるのは一見いつもと変わらないような、王都城下。
オスカーもエミリアも首を傾げた。
「いつもと変わりませんが……」
「おまえたちの目は本当に節穴か。マイゼンハウアーから流れる川の水を見ろ」
「川……?」
言われた通り、川のある場所を見る。
だが、そこにはすでに川など見えなかった。
「え……?」
「川が……ない?」
王城からも、滔滔とした川の水の流れが見えていたはずだった。
だが、そこに今は何もない。干上がった川の、乾いた土が、まるで道路のようにあるのみだ。
「ミュラー殿はお前たちに言ったそうだな。『マイゼンハウアー一族の者は、ヴァーセヒルダ王国から去り』そして『ヴァーセヒルダ王国と関わりを持たない』と……」
「い、言いましたが……」
「オスカー、お前の傲慢が招いた結果がこれだ。マイゼンハウアーからの水の恵みが、今後、ヴァーセヒルダにもたらされることはない」
「そ、そんな……、馬鹿な……」
「馬鹿な、ではない! 我がヴァーセヒルダが単なる集落からここまでの大国となったのは、マイゼンハウアーからの恵みがあったからだ! だからこそ、おまえとアストレア嬢を娶せ、ヴァーセヒルダに永遠にマイゼンハウアーからの恵みを……と考えたというのに」
「し、知りません、そんなこと!」
「我が国の歴史を学んでおらんのか、貴様は! それに何度もアストレア嬢を大切せよと言ってきたであろうがっ!」
「で、ですが……」
「うるさい。オスカー、お前も黙れ」
国王は、疲れたように玉座に座ると、壁際の兵たちに視線を流した。
頷いた兵たちが、オスカーとエミリアの手足を押さえ、そして、その右足首に鉄製の拘束具を嵌めた。伸びた鎖の先には鉄球がつけられている。
「な、何ですか、これは!」
「見ての通り鉄球と鎖だ。囚人や奴隷の逃亡を防ぐモノだ。本来、両脚を足鎖で拘束し、ひとつの鉄玉につなぐ形だが、お前たちには片足につけるのみで許してやる。重すぎて動けないようでは服役も無理であろうからな」
「ふ、服役⁉」
片足につけるだけなら、動きはそれほど制限されない。
だが、それは、国王の親切心ではない。
「今後我が国は、水不足になる。お前たちは干上がった川の底を掘り、井戸を作れ。そして、その水を王都の民が使えるよう整備しろ」
「そ、そんな……」
「どうしてあたしたちがそんなことをしなくてはならないの……」
思わず反論したオスカーとエミリアだが、国王は無視した。
「おまえたち二人だけではない。小娘に騙されアストレア嬢の殺害を示唆した下級貴族の息子たち、その一族。そして、直接アストレア嬢を殺害した者たち。マイゼンハウアーを愚弄した者どもすべてに、今後、水を得るための労務に携わらせる」
これまでの水の恵みを得られなくなれば、このヴァーセヒルダでの暮らしは苦しくなるという程度ではすまなくなる。
王国となる以前、乾いた土地に暮らしていた頃の単なる集落に戻ることだろう。
「川の水は干上がったばかり。川の底を掘れば、昔使った地下水路が残っているかも知れず、そこに水が通っているかもしれない」
それを掘るのが、自分なのかとオスカーは茫然と国王を見た。
「残っていなければ……、我々も水がなくなり死ぬだけだが。それとも水瓶や貯水池を作り、季節河川が出来るほどの大雨を待つか……。何にせよ、水を確保するために、せねばならんことは多いのだ」
国王は、兵たちに「そいつらを連れていけ。まず川の底を掘らせることから始めろ」と命じた。
「嫌……っ! 嫌よっ!」
エミリアが叫んだ。
「父上っ! 嫌だ、父上ええええ!」
オスカーの叫びも、国王は無視した。
オスカーとエミリア、そして、連行する兵たちが玉座の前から去った後、国王は呟いた。
「……あの馬鹿息子が、きちんとヴァーセヒルダの責務を理解するであろうと期待をしていた儂が一番の愚物だな。本来なら、儂も川の底を掘る苦役をせねばならんところだが……。それよりも先にマイゼンハウアーに対し謝罪をし、寛恕を願わねば……」
国王は、側近たちや国の官吏たちに井戸や水瓶や貯水池を作るための采配、それらのための人員の手配など、事細かく指示を出した後、マイゼンハウアーの地に向けて出立した。
干上がった川を、護衛兵たちと共に馬で進んでいった。
もう間もなく、マイゼンハウアーの地に辿り着くはずの場所で、まるで透明な壁でもあるかのように、どうやってもそれ以上先へと進めなくなった。
国王は知らぬことだったが、その場所は、以前アストレアがギュンターに対して「べーっ!」と舌を出し、そして「もしも王太子殿下が素晴らしい人で、わたくしが好意を持てるようでしたら許して差し上げますけど。ろくでもない男だったら、お父様のことは一生許しません! 絶縁ですわー!」と最上級の笑みを向けた場所だった。
どうしても進めない。
そのことを理解した国王は「やはり、マイゼンハウアーには、神に守られた不思議な力があったか……」とぼそりと呟いた。
その国王の前に、金の髪を持つ、ひとりの女が現れた。その姿はミュラーやアストレアに似ているようにも思える。
だが、ゆらゆらと揺れる、まるで蜃気楼のような女の姿に、国王たちは、この女は人間ではない……と思った。
女は言った。
「ご機嫌いかがかな、没落する国の王よ。……マイゼンハウアーの恵みを得ようと欲を出さなければ、隣人として、これからも遇してやったというのに、残念な結果となったものだ」
静かな言葉に、国王は膝を突いて謝罪をした。
「もしやあなたはマイゼンハウアーの神か! ならば、謝罪をするっ! どうか、どうか、寛恕を……っ!」
だが、女は、国王の謝罪など全く聞いてはいなかった。
「我が娘を愚弄し、殺したその罪は重い。そして、我が息子の怒りを知れ。今後、我らの恵みをお前たちには分け与えない。せいぜい地下を掘り、空からの雨を待ち、昔ながらの暮らしを送るがいい」
「お、お待ちください……っ!」
国王の叫びは、女……ナデシュタには届かなかった。
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